2019年5月25日土曜日

姿勢が大事


 今期メバル用シンペンがシーバス釣るのに活躍している。
 正直メバル用シンペンのような”小さい”ルアーの出番の時って渋い状況が想定されて、そういう状況なら動きのない”おとなしい”セイゴスペシャルやらクルクルスペシャルの出番だと思っていて、小さくてそれなりに”動く”メバル用シンペンはなんというか小さいくせにおとなしくなくて、いまいち信用していなかった。
 ところが難攻不落のハクボイル攻略で悩んでいたところ和幸さんの進言に藁をも掴む感じですがってバスディ「海爆リップレス」使ってみたら、爆釣とはいわないまでもセイゴスペシャルとかが無視される状況でも反応拾えることがあって、今まで使ってなかったから盲点になってたけど案外活躍する場面あるかもナと、海爆リップレス買い増ししてついでに廃盤になった7センチ版にはお世話になったストーム「フラッタースティック」4センチもガサっと買って、というあんばいで結局メバル用シンペン症を発症。
 ただ、これがなかなかに面白い結果を招いていて、どうも同じようなメバル用シンキングペンシルなのに、食いが違うようなのである。それもどちらかがいつも釣れるというなら片方がダメか逆に優秀だで話が終わるんだけど、どちらでも良かったんだろうなという状況もあれば、明らかにどちらかしか反応しなかったと思える状況もあって、何か違うんだろうけど何なんだろうな、とまあルアーとかなにが効いてるのか分からなくても経験則で釣れるのが分かってりゃ良いのであんまり気にしても仕方ないなと割り切りつつあったんだけど、ひょっとして’’姿勢’の違いかなと思うところが出てきたので、そのあたりについてちょっと書き留めておくとともに、みなさまの釣りの一助になればと公開してみる。ってことで、今日は「ルアー図鑑うすしお味」第41弾、小型シンキングペンシルでいってみます。
 
 昨年あたりから私には懐かしいバチ対応ルアーであるラパラフローティングのリップを切ってゆっくり沈むぐらいにオモリ埋め込んで調整した「ラパラF改」を使ってみたらなかなかにいい仕事してくれて、同様に水面直下系の”自作シンペン”とともにバチパターンに限らず活躍している。
 このF改の7センチが今期のC川バチ対応で妙に好釣で、何で良く釣れるんだろうな?と思いつつ、いつものごとく、まあ釣れれば理由なんてどうでもいいやと思いながら、好釣なのでというのと鉛をなるべく使わない方針にしているので錫オモリ版に更新していくかというので増産かけてみた。
 錫の方が比重軽いので最初どのぐらいオモリを入れればいいのか分からず、一応料理用の秤で重さはそろえたんだけどグラム単位でしか測れないので最初は軽すぎてフローティングになってしまった。
 C川で好釣なのは今年は水面疾走系のバチが安定して抜けているので水面を航跡引くのが効いてるんだろうから、別に最初から浮いていてもいいようなもんだけど、昔の経験に照らし合わせるとフローティングだと出るけど掛かりが悪いことが多いし飛距離も劣る。
 追加で風呂場試験しながらステンレスの針金を必要な長さ割り出して穴あけて突っ込んで沈むように調整した。
 この時にステンレス線を後方に突っ込んだら元の鉛版F改よりも当然尻下がりというか頭を上に沈むようになったので、それはそのままにして他のは鉛版F改と同程度のやや後方重心でちょっと頭を上にした斜めの姿勢で沈むように調整した。昔その重心に調整したのはある程度後ろに重心がないと飛行姿勢が安定せず飛ばないだろうということでそうしていた。
 っていう感じで手作業してるのでちょっと重くて沈みが早いのもできてしまったりしたけど、それはそれで風の中での安定性とかありそうで良いかもと釣り場に持ち込んで投げてどんな塩梅か試してみた。
 とりあえず、多少重くても浮き上がりはまだ十分早くて、これならもうちょっと重くても問題なく釣れるかなということでどのくらいまで重く作れるかの塩梅を見るために、たぶんCDリップレス(CDL)より重くしてしまえば、CDLだと水面引きが難しい程度に浮いてこないのでそれより重いのはとりあえずダメだろうなと、比較対照にCDL7センチも持ってとりあえずこれまで作った錫版F7改を風呂場に持っていき沈めてみた。

 驚いた。

 なんと、錫版F7改でちょっと重めになってしまったのはCDL7センチより断然沈むのが早い。ゆっくり沈むように調整できたヤツでちょうどCDLと同じぐらいの沈降速度。CDLはもっと早く沈むと思っていたけどぎりぎり沈むぐらいの比重になっている。
 CDLはぎりぎり沈む程度なのに何故浮きにくいのか?逆にF改はそれより重くても何故浮き上がりが早いのか?
 沈んでいく様を見ていれば、重心の位置による沈降時の姿勢の違いなんだろうなと思い当たる。
 CDLは綺麗に水平姿勢を保ったまま沈む。F改は斜めになって後ずさりするように沈んでいく。
 水平姿勢をたもつCDLではルアーの上面の水の抵抗が浮くのを押さえているんだろうし、逆にF改ではルアー下面に当たる水流で揚力?が発生しているのだろう。
 F改は引きはじめすぐにアタることが多いと感じていて、それは沈まずにすぐに水面直下に浮上して航跡引き始めるからだと思っていたけど、ひょっとしたら浮き上がる動き自体にも、水面に泳ぎあがるバチを追ってるシーバスが反応しているのかもしれない。分からんけど。
 シンキングペンシルは基本的に”シンキング”っていうぐらいで沈めて使うことが想定されていて、浮きを押さえる意味で水平姿勢に重心が設計されていることが多い。浮かせるんなら普通の浮くペンシル使っとけってことなんだろうし、あるいは水平姿勢の方が小魚の自然な姿勢であり食わせやすいということも設計思想としてあるのかもしれない。
 でも泳ぎあがる動きに反応しそうな条件ってそれなりに想定できて、泳ぎあがるバチ以外でも、水面に小魚追い上げて食ってるとか普通にあって、そういうときに必ずしも浮き上がるルアーに反応するかっていえば、そんなあこたぁなくてトップや水面直下のルアーでかたがつく方が普通かもしれないけど、それらと”違う動き”があるルアーが効く状況があっても不思議じゃない。って信じれば投げるルアーに魂込められるというモノである。

 そういう観点もふまえて作られているんだろう、って感じで浮き上がるシンキングペンシルって極端なのは少ないにしてもそれなりに売っていて、メバル用シンペンである海爆リップレスも若干尻を下げ気味の姿勢で振って、後方重心なのかなと確認してみると水平に沈んで行くのでどうも頭部の形状やアイの位置で引くと頭を上げて浮き上がり気味になるようだ。
 沈下時水平姿勢で引いたときもあまり尻下がりにはならないフラッタースティック4センチとはサイズが違うというのに加えて、引いたときの姿勢の違いによる泳層の違いもあるように感る。
 もともと海爆リップレスは管理釣り場のマス用のシュガーミノーリップレスを海用に色とか変えたルアーのようで、水面直下やトップウォーター的使い方を想定したルアーだった模様。一番上の黄色のはパーマーク付きで、中古で買って、なんでメバル用シンペンにパーマーク付いてるんだろうと思ったけどコイツは正確にはシュガーミノーリップレスのようだ。まあ細かい模様なんて気にしないけど。
 色や模様は派手なのと地味なのぐらいの違いはあるだろうけど、特に夜釣りの明かりの少ない中では細かな差で違いが出るとはあんまり思ってない。けど、水面近くのルアーを引く”棚”の違いはかなり気にしている。
 水面にボカッとボディーの多くを出して浮いた方が良いのか、頭だけ水面に貼り付くような感じで航跡引かせた方が良いのか、水面直下だけど水面には付かない方が良いのか。
 水面直下0センチと5センチでは魚の食いに差が出る気がするけど、充分な水深がある場所で水面下50センチと100センチにはそんなに差がないと思っている。ってぐらい水面直下の棚の違いには気をつけている。
 気をつけているつもりだったけど、今回色々考えてあらためて、ニョロニョロが手堅いのは引き始めは若干沈みつつ、足下近くに来るにつれ浮き上がって水面に貼り付くので両方の攻め方を意図せずやってるんじゃないかとか、早期のカワゴカイ系のバチが抜けてるときには若干沈んだ方が”棚”が合ってて良いってのもあったんじゃないかとか色々と思いあたる。

 あんまりゴチャゴチャ細かく気にしだすと収拾つかなくなってどのルアー投げるか悩んでばっかりでろくなことにならない気はするけど、違いが出るキモの部分は押さえて自分なりに整理して、釣り場では今どれが効くのかあたりを意識して使っていきたいところである。
 ルアーの釣りでは”なんでか分からんけどこのルアーは釣れる”っていうのはごく普通にあるんだけど、”このルアーはココが売り”っていうのが分かっていれば、手札の切り方に鋭さが出るんじゃなかろうか?と、とにかく何か”変えると来る”を期待して薄ボンヤリとした方針でルアー交換している我が身を反省したところである。
 などと分かったような気持ちでシーバス釣りに行ったらスカ食って、釣れる場所の釣れる時間に行くことに比べたら、そんなこまけぇこたぁいいんだよ!!と身も蓋もないことを思ってしまうナマジであった。

2019年5月19日日曜日

世界3大ナンチャラ水棲生物 毒蛇は急がない編

 一週間のご無沙汰でした、全国100人弱(ちょっと増えました。スピネタ意外に人気かも。てことはみんな釣れてねえんだろうナ)ぐらいのナマジファンのみなさんお待たせです。では引き続きということで前回の最後の”やられたくない”の逆で”世界3大やられてみたい水棲生物”からいってみましょう。

 「やられてみたい」ってお前は真性のマゾッホなのかと聞かれれば、自分のことはよく分からんので否定しきれるものじゃないにしても、今回のはそういうのとは違う。
 あれっスよ「ジョーズ」1だか2だか忘れたけど、関係者が武勇伝として過去に鮫にやられた話とか語り出して傷跡自慢する場面があって、オチはそういう修羅場をくぐってないサメの研究者が傷跡の無い胸を指さして、怪訝な顔をしている他の二人に「イイ女だったゼ」とかいうアメリカンジョークな台詞を吐いてワッハッハーッってなるいかにもハリウッド映画っぽい場面があるんだけど、そういう”修羅場くぐってきた話”で自慢になるような漢の勲章的な体験をしてみたいってことっスよ。
 まあ死んだらしゃれにならんけどね。ジャカジャン。
出典:ウィキメディア・コモンズ、撮影:Daiju Azuma

 1位「エラブウミヘビ」2位「オンデンザメ」3位「アカエイ」
 エラブウミヘビってヤられたら死ぬやんケって話だけど、意外に咬まれてもふつうの毒蛇と違って口も小さくて毒牙が刺さりにくい、ってよりもおとなしい性格であんまり人に咬みついたりしないからこそ、沖縄の方じゃ産卵のために海岸の洞窟とかにやってきたのをオバアたちがヒョイヒョイ拾って漁してるんだろうけど、ぜひその毒を味わってみたい、死ぬのは流石にいやだけど死なない程度でヤられてみたいと思うのである。何故か?ちょっと長く脱線するけど戻ってくる予定なので気にせず読み進めて欲しい。
 オーストラリアというとカンガルーやコアラにウォンバット、最近じゃクァッカワラビーなんてのも人気で可愛らしい有袋類の天国的な印象があるだろうけど、ホモサピ(アボリジニの人たち)とその相棒として一緒にやってきたらしいディンゴ以前には大型の肉食ほ乳類は有袋類のタスマニアタイガーとタスマニアデビルぐらいで、他の大陸と比べると捕食者が役不足的に感じる。ところがどっこい、生物は空いた席を空けておくほどヌルくない。オーストラリアは実は毒蛇とワニ、猛禽類が独自進化した哺乳類以外の上位捕食者が君臨する恐怖の異世界なんである。かもしれない。
 まあワニはクロコダイルダンディーなんて映画があったぐらいでオーストラリアのイリエワニがクソデカいのとかは有名だけど、猛禽類も実はすごい、むかし「野生の王国」で豪州猛禽特集がヤってたんだけど、次々と雄々しく美しい猛禽類が紹介されるのをうっとりと観た記憶がある。最近では、どうもトビの仲間が火を使うんじゃないか?という事例が報告されていて、それが本当なら火を使う猿とも定義されるホモサピ意外で自然状態では初の事例かもって話で度肝を抜かれたものである。
 火を使うといっても自然に発生する野火を刺激に焼け野原でいち早く発芽する植物とかそういう利用方法は珍しくないんだろうけど、どうもくだんのトビ類は野火で燃えている植物を運んで延焼させ逃げ出した小動物を狩ってるような行動が観察されたらしい。アボリジニの人達は昔から知ってたらしく、れいによって「だから昔からそう言ってるジャン」って話らしいけどね。トビといえば仇敵はカラスで、こと頭脳に関しては、ホモサピ3歳児よりは賢いといわれているカラス達に引けを取っていた感が否めないが、火を使うとなったらライバルに一気に差をつけるかもしれない。カラストンビの頭脳的進化合戦には今後も目を離せないところだ。
 でもって、毒蛇についてなんであるが、オーストラリアは実は毒蛇大国で、とにかく種類が豊富で毒性も神経毒、溶血毒、凝血毒、蛋白質分解系種々取りそろえている。
 Netflixオリジナルのドキュメンタリーシリーズで「危険生物72種」っていう各大陸ごとの危ない生物をランキング方式でオドロオドロシくも娯楽性たっぷりに馬鹿っぽく紹介してくれるのがあるんだけど、これの豪州編が毒蛇だらけで、タイガースネークとかブラウンスネークとかだけでも何種もヤバい種がいてある程度は一括りにしても、それでも毒蛇ぞろぞろ強者ぞろいで笑えてくるほどである。
 オーストラリアの毒蛇といえばかの有名な世界3大毒蛇が一角ナイリクタイパンが有名で、フットボールチームだかの名前にもタイパンズってのがあるぐらいだけど、”ナイリク”タイパンっていうぐらいなら当然エンガンタイパンもいて(タイパンにはもう一種新種が発見された様子)、ナイリクタイパンは毒の強さについては毒蛇界最強の誉れ高い種なんだけど、性格的にはおとなしく人里にも出てこないので、実際にはエンガンタイパンの方が人の住む沿岸部に棲み人と遭遇する機会が多く、咬み方も高速でガジガジと連発式に長い毒牙をブスブスと突き立ててくるというエグい攻撃性でオシッコちびりそうになる。っていうエンガンタイパンよりも死亡事故は数が多いタイガースネークその他の方が多いっていうぐらい役者がそろっているんである。
 このぐらい毒蛇の種類が多くかつ分化が進んでたりもすると、毒に対する血清がすべての種を網羅しきれず、かつ同じ種と思われる蛇に咬まれても地域によって毒が違うとかもあるようで、どの血清が効くか分からないような場合は、毒の科学的分析を進めると同時進行で、とにかくいろんな種類の蛇用の血清を打ってみて、結果として効果があったのを追加で打ちまくるとかいうデタラメな出たとこ勝負の修羅場が生じるらしい。
 そういう強者ぞろいの豪州産毒蛇達を紹介するのに、他の生物と同様に研究者やらの専門家と実際に被害にあった人間双方に取材してるんだけど、豪州の生物毒研究の専門家シドニー大学ブライアン・フライ博士が、専門家としても被害者としても何度も登場して「またお前かいな?」とあきれるやら感心するやら。各種有毒生物の専門家として登場するのは良いとして咬まれすぎの刺されすぎだろアンタ、わざとやられてない?と疑ったんだけど、デスアダーに咬まれたときについての談話を効いて疑いは確信に変わった。ぜったいこの人咬ませてます(風評)。
 デスアダーは名前からもそのツチノコっぽい太短い形からもアフリカのパフアダーの縁者だと思ってたんだけど、実はオーストラリアにはマムシなんかもその仲間らしいけどパフアダーの属するクサリヘビ科のヘビっていないようで、その替わりの生態的地位をコブラ科のヘビが占めるようになっててデスアダーもコブラ科のヘビなんである。ご存じのように似たような生態的地位にある生物が分類的には遠くても同じような形態、生態に進化するのを”収斂”現象っていうんだけど、落ち葉とかに潜り込んで待ち伏せ型の狩りをするデスアダーがパフアダーと同じようにツチノコ体型で、細いシッポを振ってルアーにして獲物をおびき寄せるところまで一緒っていうのを知ると進化の神秘を感じずにいられない。
 そんなデスアダーはそのおどろおどろしい名前からも分かるように人を殺すに十分な神経毒の持ち主なんだけど、フライ博士はこの蛇に咬まれて毒で呼吸困難にあえぎながら、同時にとんでもなく気持ち良く「単純にいえば人生最高の経験をしました」とその経験を振り返っておっしゃるのである。
 クレオパトラは神経毒持ちのコブラの一種に胸を咬ませて死んだとされているけど、彼女は政治犯の処刑などをつうじてパフアダーに咬ませた罪人が苦しんで絶叫して死んでいくのに、コブラに噛ませた者が微笑みを浮かべて死んでいくことからコブラの毒が恍惚とするような快楽と死をもたらすことをあらかじめ知ってたに違いない、とかなんとか。
 以前海外のパンクな兄ちゃんが毒蛇に自分を咬ませるんだか薄めた毒を注射するんだかが趣味で、各種蛇毒を取り込んできた彼の免疫系統とかに興味を抱いた科学者が調べたら血液が各種蛇毒の抗血清の宝庫みたいになってて狂喜乱舞したとかいうネット情報を目にして「えらいマゾもおるもんやな~」と人間の性癖の多様性に感心を新たにしたものだが、そんな面倒な話じゃなくてもっと愚直に彼は神経毒による直接的に強烈な快楽を求め溺れてたんだろうなと得心した。
 日本じゃ世界では解禁の方向にある大麻とか程度で官憲に小突き回されて使用がばれたら社会的に抹殺されかねないけど、さすがに各種抜け穴になってた”ハーブ”も取り締まりの対象になってきている昨今でも蛇毒はまだ想定の外だろう。いっちょワシもコブラの神経毒キメて浮き世の憂さも忘れて桃源郷に心を遊ばせてみるか、って思ってもそもそもコブラおらんやんけ。
 我が国にもコブラ科の毒蛇はじつはいる。奄美沖縄方面にヒャンとかハイとかいうのの仲間達が何亜種かいる。でもこいつらハ虫類マニアにしたら見られたら眼福レベルのレアキャラらしくおいそれとは出会えない。海外にいって、インドコブラとかキメるとすると毒量間違って病院行ったときに毒をどのくらい注入したとか医者に英語で説明できる自信がない。まあ日本でも医者にそんなアホなこと正直に話せるかっていえばいいにくそうな気もするけど、そこはまだ日本語なら火事場の糞力的に婉曲な表現を駆使してアレをナニしてニュルニュルっと説明しきるような気はする。
 まあ、現実的じゃないなとあきらめかけた瞬間、ハイ皆さん分かりましたね、そうですコブラ科の神経毒持ちで日本でも比較的個体数がいて出会う機会もあり得る毒蛇として、私はエラブウミヘビにヤられてみたいと思っちゃったのでした。エラブウミヘビの毒エラブトキシンは蛇毒の中でも指折りの強烈さで”死ぬほどの快楽”へと私を誘ってくれるに違いないと思うのである。死ぬほどの快楽と引き替えに戻ってこれなくなっても、我が人生なかなかに楽しかったし別に扶養家族がいるじゃなしかまわねえかなと思ったりもする。もし、世をはかなんで自殺するなら断然コブラ科の神経毒で死にたい。
 よい子はまねしちゃダメ絶対だよ。エラブウミヘビ産地の沖縄とかだと漁業権設定されてるからね。自殺ぐらいしたいやつはすればいいと思うけど密漁はオバアたちの現地では神聖視もされているお仕事を汚す禁忌だし資源保護の観点からもやっちゃダメだからね。よい子の皆さんにナマジからのお願いね。
 悪い子も新たなドッラグ市場の開拓とか商売っ気出してはりきったりしないように。ふつう死ぬからネ。ナマジの書くこと真に受けちゃダメだよ。
 2位はやっぱりサメ好きなら、サメにやられた傷の一つも”勲章”として欲しいよねって思っちゃうのよね。でもそういうふざけたことを書くのは、ホホジロザメに手足持ってかれた方とか、イタチザメに愛する人を殺された方とかに不愉快な思いをさせるかなという気もするので、そういう不謹慎なことをワザと書いていきたいとは思うけどあんまり直接的に嫌な思いをするだろう人が想定できちゃうのは品がなさ過ぎるかなということで、深海に棲んでて人を襲った報告のないオンデンザメに一噛みしてもらいたいなということになりました。深海に棲んでるヤツにどうやって噛まれるか?って、そらぁいつか自分で釣り上げて”間違って”ちょっと噛まれちゃうって話ッスよ。
 3位も下手すると死にますって話で、ナマジも大好き三白眼で睨んでくる身近な海の怪物アカエイ。東京湾に立ち込んで釣るシーバスマンとかには”生きている地雷”として恐れられまくり。とくに稚魚を産むため浅瀬にやってくる春から初夏にかけて、ちょうど今頃の干潟がヤバい。冬場は温排水のあるところが地雷原になる。
 まあ踏んづけちまったらウェーダーはおろかシューズすら貫通するその毒針の強烈さは恐れておくべきだろう。
 死亡事故有りとして”毒魚”としての認識が広まっていて、刺されたときの対処法とかも毒に対しての対応が主体で語られることが多い。
 ただ、その印象が大きいことが逆に死亡事故にもつながりかねないので、ここではあえて「アカエイの毒はキツいけどアナフィキラシーが出なければ死ぬほどじゃない」と言っておく。
 じゃあなぜ人死にが出るのかっていうと、その棘の物理的攻撃力で刺され、切り裂かれたことによる外傷が原因で死に至る、と認識しておいた方が良い。
 干潟で実際に刺された釣り人に取材した記事を読んだことあるけど、同行者の肩を借りて上陸後ざっくり切られたウェーダーをひっくり返したら、真っ赤に染まった海水がドバドバ出てきて、痛みよりも何よりも刺されて切り裂かれた傷の深さと出血量の多さに、単独行なら浜にたどり着く前に出血量多くて倒れてそのまま溺死とかもあり得たかもとゾッとしたとのこと。豪州のクロコダイルダンディーのモデルになった方がアカエイ類に刺されて亡くなってるけど、この時も心臓に達するような刺し傷が原因だったとのこと。
 写真見てもらえば分かると思うけど、尖った先端に扁平な胴部の両側には鋸状の歯がびっしりと並んでいる凶悪な代物である。進化が何万年あるいは何億年の単位で研ぎ上げた究極の業物といってよいかと。
 強いパンチは強靱な足腰の土台があってこそ打てるんだそうだけど、アカエイはその巨体が水底での安定を確保し土台となり、ムチのようにしなる尾っぽを振って蠍のように刺し、切り裂きにくる。
 逆に、陸上で尾っぽの先の方を抑えてしまえば体が重石になって全く武器をふるえなくなってしまうので、釣り上げたらシッポを押さえてしまい動きを封じてロングノーズのペンチとかでメリメリと棘を剥がして武装解除する、なんてのはそれほど危険ではない。
 ということで、エイに刺されたら毒の処理云々を考えるより先に、鋭い刃物で切りつけられたという認識で止血なり病院に急ぐなりを考えなければならないと注意喚起しておきたい。
 昨今ではエイよけグッズも釣り具店とかでは売られているので対策きちんとしていれば過剰に恐れることはないけれど、それでも人を殺すだけの攻撃力を秘めた身近な怪物に敬意を表して、3位に入れてみたところである。

 お次は、”世界3大死ぬまでに見てみたい水棲生物の伝説”いってみましょう。
 まあ、最近の撮影技術とかって凄くって、マッコウイカ対ダイオウイカとかシロナガスクジラを狩るシャチとか一昔前ならいくら漁師が「オレ実際に見たんだから」って言ったとしてもなかなか海の中で起こってることは確認しにくくて目にする機会も少なく、そんな怪獣”南海の大決闘”じゃないんだから、とヨタ話として信じてもらえず眉唾物の”海の伝説”として扱われてきたのが、マッコウクジラはダイオウイカの下に一旦潜り込んでから突き上げるように襲ったとかマッコウクジラの体に取り付けたデータロガーの解析からその手に汗握るような深海の大決闘の様子が分かるようになったりして、伝説は事実だったとあきらかにされることが結構増えてきて驚きを禁じ得ない今日この頃である。ほら吹き扱いされていた漁師のジ様達は「だーからオレの言ったとおりだったろ」と誇りを取り戻したことだろう。
 そういった漁師のジ様達しかまだ見たことのない場面が今後あきらかにされ映像として目にすることができることを期待していってみます。ジャカジャン。
出典:ウィキペディア 撮影:あおもりくま CC 3.0

 1位「マンボウ産卵」2位「泳ぐアワビ」3位「アユカケの妙技」
 1位は、昔ニシンの資源量が豊富だった時代はその産卵期太平洋岸のカルフォルニア沖からぐるっと北回りで北海道沖まで沿岸一面白く濁ったというぐらいの”群来(クキ)”が見られたそうだけど、マンボウは1つがいで辺りの海水が白く染まる”二人だけのクキ”状態になるほどの大量の卵と精子を放出すると漁師のジ様はのたまうのである。
 マンボウは3億個の卵を産むってのは眉唾で卵巣内の未成熟の卵を計数したら約3億個というだけで、それを一気に生むとは限らないので実際には一度の産卵数はもっと少ないだろうというのが識者の見解だけど、ワシャそんなことないと思っちょる。だって海が白くなるほどの産卵っていうのを信じるなら一回に産卵放精する量は半端じゃないはずで、卵巣内の卵が全部一度にとはいかなくても、ある程度同期して一斉に成熟する可能性は結構あると思う。
 かてて加えて、卵巣内の卵が3億個と推計されたのは体長1mちょっとにしかならない多分小っちゃい方のマンボウ(現時点の標準和名のマンボウ)で1トン超える最大の現生硬骨魚類であるウシマンボウではなかったはず。漁師のジ様が見たのが、2000年代まで”マンボウ”でひとくくりにされていたマンボウ、ウシマンボウ、カクレマンボウ、のうちウシマンボウなら多回産卵でも1度に何億という卵をぶちまけて海を白く染めていてもワシャ驚かないね。ということで、近年海洋生物の生態解明では活躍しまくりのドローン撮影とかでマンボウ夫婦の愛の営みが撮影されたら、ワシャ久しぶりに大興奮じゃわい。
 2位は、街の人にしたら「何言ってんだコイツ?」だと思うけど、アワビ類を産するような海辺の出身者にしてみれば「当たり前だろナニが伝説なんだ?」と思われるかもしれない。
 我が故郷の方ではアワビ類は稚貝のうちは泳ぐことができて潮に乗って泳いで磯にやってくると信じられていてアワビの小さいのを「流れ子」と呼んだりしていた。我が故郷だけかなと思っていたら、荒木先生も「岸部露伴は動かない」で泳ぐアワビを密漁する話を描いていて、やっぱり全国的にアワビ類の産地じゃ泳いで当たり前のように思われているけど、泳ぐ映像が公開されたこともないし、種苗生産施設を見学させてもらったときも、緑の殻の稚貝たちは塩ビパイプの上とかを普通に這い回っていて泳いではいなかった。
 現時点で常識的な判断であればアワビ類は泳がない。泳ぐのは稚貝になる前の幼生で磯にやってきて稚貝に変態して着底すれば這い回る生活になる。というのが一応の解答になるはずだ。
 でも、私はアワビ泳ぐ説を捨てきれない。泳がないのならなぜ泳ぐのを見たというジ様とかがいて各地で泳ぐと信じられているのか?そこには何か理由があるはずである。アワビが実際に泳ぐことがあるのか、そう見えてしまうあるいはそう信じてしまうなにかが、人の目に触れにくい海の底に隠されていると思うのである。
 ホタテが泳ぐのは有名だけど、バカガイもマテガイもどうも泳ぐといって良いかどうか微妙なラインだけど砂にもぐって水管だけ出してじっとしているという印象ほどおとなしくなく、良い住処を求めて場所移動のため潮に流されつつ足や水流噴出も使うんだろうけどヒョイヒョイと移動するのは確からしく。内房のスズキは結構バカガイ、マテガイ食っているようだ。ホタテのように泳ぎの上手じゃない二枚貝の移動方法は波打ち際の良い位置を常に確保し続けるナミノコガイの移動がYoutubeでもみられるので参考にされたい。
 ”アワビが泳ぐ”の真相として一番ありそうな常識的な線は夜になると活発に動き回るアワビ類が、餌のコンブだのカジメだのによじ登っているのを見つけた漁師が獲ろうとしたら、剥がれ落ちて逃走したのを流れに乗って”泳いだ”ととらえたってのがありそうな話である。通常アワビはつかまりそうになると岩に貼り付いてしまい、そうなるとテコでも動かなくなる。アワビの漁の映像を見ているとタガネで一発でヒョイッと剥がしているけどあれは警戒してガッチリ貼り付く前に剥がしてしまうからこそできる技で貼り付かれるとタガネ使っても苦戦するはず。
 その戦略が使えない海藻にのっているときはアワビ類はとらえられそうになったら重い貝殻を利用して”落ちる”という陸上の甲虫たちと似たような逃走方法を取るのではなかろうか、っていうのが現時点での推理。今回パソコン椅子探偵じゃないけど。
 そうであれば、”アワビは泳ぐ”の真相がなんだか良く分からないこととも符合してくる。アワビ類は基本的に密漁や事故を防止するために昔から夜間は禁漁のことが多い。そうすると”アワビが泳ぐ”のを見たとしても、ハッキリとその見た状況を説明することや実際に”泳ぐアワビ”を他人に見せて証拠を突きつけるわけにもいかず、眉唾扱いされても口をつぐむしかなかったということだったりするのではなかろうか。
 アワビが泳がなくてもかまわないんだけど、なぜ”アワビ泳ぐ伝説”は信じられてきたのか、その理由は私気になります。
 3位も、漁師のジ様のオラ見たダ系伝説。アユカケがえらぶたの棘でアユを引っかけてとらえるという今の標準和名のもとになった伝説。
 NHKのダーウィンが来たでも普通にバックリ口でアユ襲って食ってたし、昔アユのガラ掛けで獲れたのをもらって飼ってたこともあるんだけど、餌のエビやらカニは普通に口で食ってて、やっぱりアユとか小魚じゃないと伝説の妙技は披露してくれないのかなと、そのうち小魚与えてみようと思ってたんだけど、春になって水温上昇したらあっさり死なせてしまい真相究明には至らなかった。
 これも常識的にはえらぶたの棘はスズキでもコチでもそうだけど捕食者対策のための防御の棘で狩りには使わないっていうのが答えなんだろうけど、じゃあなぜ漁師のジ様は見たと主張するのか?そう見える行動なり現象なりが実際に起こっているから名前になるほど巷間に流布した伝説となったのではないのか、その真相がやっぱり私気になります。
 ということで、受信料は文句言わずに払うのでNHKダーウィンチームに続報を期待したい。
 識者の見解や常識なんてものがあっさりと覆る頼りないものであり、昔からの言い伝えやジ様の体験談には意外に”真実”やら驚くべき裏があったりもして軽くあつかったりして油断してはならないと思うのである。

 こうやって書いてるといくらでも書けそうだけど疲れてきたのでとりあえずの最後のネタ投下で”世界3大水棲生物共生関係”いってみましょう。ジャカジャン。
 1位「ワモンダコとスジアラ共闘」2位「テッポウエビ類とハゼ類同居」3位「偕老同穴」
 1位は、NHKスペシャル「ブループラネット」再編集版今やってるけどやっぱりクッソ面白い。その中で紹介されてたんだけど、グレートバリアリーフでワモンダコ(沖縄で「島ダコ」って呼んでるのだと思う)とスジアラが共同で狩りをするっていうのが紹介されてて、2種の魚が片方が追いかけてもう片方が逃げた獲物を狩るってのは古くは欧州のパイクとザンダーだったかパーチだったかの報告例からアカエイ類に驚いて逃げる小魚を狙うスギやらシマアジ類やらいくつも知られているッちゃ知られてるんだけど、ここまで息ぴったり効果的な共闘の事例は初めて知って感動した。
 スジアラは沖縄では「アカジン」の名でめでたい魚とされる、まあハタ系の魚食魚なんだけど、当然それに追われた小魚はサンゴの隙間に逃げ込む。そうするとスジアラの興奮した体色変化を見て取るのだと思うけど、番組ではスジアラが餌のありかを教えてる的な説明してて、ワモンダコがその逃げ込んだサンゴを覆うように腕を広げて襲いかかり隙間に触手をニュルニュルッと突っ込んでいく。そうすることでワモンダコが隠れた小魚を得ることもあれば、タコの魔の手から逃れようとサンゴの隙間から飛び出した小魚をスジアラが得ることもあるという両者持ちつ持たれつの良い相棒。
 連れ立って狩りに出かけるため並んで泳ぐ様を見ると、タコが頭良くて海底にタコランティスを築いているという話もあるぐらいでもあり、案外両者の間に意思疎通が図れる合図があって「一狩り行っとく?」と誘い合って出かけているようにも見えてくる。
 2位は、写真のイトヒキハゼなんかが代表例なんだけどテッポウエビ類の穴に居候するハゼがいて、先日行った水族館でも種名分からんかったけどハゼの仲間がしっかり巣の入り口で警戒態勢を取って、その体に触角を這わせながら視力はあんまり良くないらしいので周辺警護はハゼ任せで巣の修繕にいそしんでいるテッポウエビが観察できてなかなかにほほ笑ましい共生関係だった。テッポウエビ類、英語圏じゃピストルシュリンプとか呼ばれてて、ザ・テッポウエビとか潮干狩りとかでつかまえると威嚇でパッチンパッチンとデカい方のハサミで音を鳴らしてくるんだけど、瞬間的にアワが発生して消えるぐらいの高速の指ばっちんらしく、その衝撃派で獲物を気絶させる種がいるとか、ある種では繁殖期にはその音でコミュニケーションをしていて生息数が多い海域では潜水艦のソナー手はうるさくて閉口するとかなにかと面白い生き物である。先日はサンゴに集団で棲む種が報告されてて、そいつらの中には外敵と闘う兵隊階級のとかが居るとか甲殻類で単なる群れじゃない役割分担のある社会性生物ってなかなか珍しいなと興味深かった。水の中のことを我々はまだあんまり知らないってことなんだろう。
 写真のイトヒキハゼは無事もとのテッポウエビの巣穴に帰れたのだろうか。えらい怒ってて噛みつかれたけど悪かったよゴメンナサイ。
出典:ウィキメディアコモンズ、撮影:アメリカ海洋大気庁(NOAA)

 3位はカイロウドウケツ類とドウケツエビの共生関係だけど、偕老同穴って共に老いて同じ穴に葬られるっていうぐらいの夫婦の固い絆を表す言葉なんだけど、実際にそういう名前の網篭みたいな形態の海綿生物がいて、その中に閉じ込められる形で雌雄1組のドウケツエビが棲んでいるっていうのを知ったときには、なんとも不思議なことが海の底にはあるものだと驚いた記憶がある。
 いまサクッとウィキって二度目の驚きを感じている。カイロウドウケツの骨格的な部分はガラス繊維性なんだけど、これが生物体内という低温環境で形成されたガラス繊維でありナノテク的な工業への応用が期待されているとかなんとか。
 深い海の底に美しいガラズ細工の謎がひっそりと夫婦の絆を内包しながら息づいている。なんとも不思議なロマン溢れる生き物たちである。

 皆様に、水の中の世界の不思議と驚きを少しでもお届けできたなら幸い。

2019年5月11日土曜日

世界三大ホニャララ水棲生物


 超深海でプクッと泡を発射する。圧縮されていた気体は上昇するにつれ体積を増していき海面近くまで達すると、巨大な泡まみれの水域を発生させ敵の潜水艦を海中で”墜落”させる。
 なんていう架空の兵器をマンガで読んだ記憶がある。ンナあほな、という感じで色々とツッ込みたくなるけど、その兵器にかなり近い”攻撃”を繰り出す海洋生物がいると知ったときは心の底からの驚きと感動を覚えた。
 前回チラッと触れたザトウクジラの”バブルネットフィーディング(泡の網捕食)”である。捕食方法の呼び名からして、もうバトルマンガの主人公が叫ぶ技名みたいで中二臭い格好良さに溢れている。
 イルカの泥の壁を使ってボラを捕食する方法にも”技名”付いたのだろうか?前例にならうなら”マッドウォールフィーディング(泥の壁捕食)”だろうか、研究者の皆さんにはぜひ新機軸の格好いい技名も考えて欲しいもんだ。
 他にも格好いい”技名”のついた捕食方法ってあるよねって考えると、水に棲む生き物に限定しても、サメの仲間やピラニアの仲間が血とか仲間のたてる捕食音に狂って手当たり次第に噛みつき喰らいまくる”狂乱索餌”、ワニ達のそれが有名だけどウナギやらの細長い捕食者全般の常套手段で大きな獲物から肉をむしり取るための回転技”デスロール”あたりがバブルネットフィーディングもあわせて”世界三大叫んでからくり出したい技名の付いた捕食方法”だろう。
 などとくだらないことを考えていたら、他にもいろんな”世界三大”ってあるなと次々に連想されてきて、なかなか良い暇つぶしになったので、せっかくなので読者の皆様にもご紹介してみたい。
 独断と偏見で、かつあんまり範囲広げると三大に絞れなくなるので水棲生物限定でナマジ的にという感じで、それではハリきっていってみよう。

 名前付いてないけど格好いい捕食方法もいろいろ思いつくんだけど、それこそカジキの角やらマオナガの尾ビレなんていう打撃系から、組み技系のタガメやらアナコンダやら、罠系のタヌキモやツノダルマオコゼとか多すぎて収拾つかないので、細かく絞りつついくつかいってみたい。
 まずは、技名の次はマンガにでてくる武器名というか道具名っぽい”世界三大中二な名前のついた捕食器官”あたりから始めてみたい。ジャカジャン。
 1位「バッカルコーン」2位「矢舌」3位「アリストテレスの提灯」
 1位は有名どころで皆さんお馴染みの流氷の天使クリオネことハダカカメガイが餌のミジンウキマイマイとかにバッカルコーンと射出する結構見た目アレな触手系のエグい捕食器官。知らない方が幸せなこともあるよねって思っちゃう肉食の貝であるクリオネの獰猛さを示すがごとく勢いのある語感。昔釣り場に行くとき聞いてたラジオでオタクで有名なアイドルが「スカシカシパン」とか「バッカルコーン」とかよく口にしてて、やっぱりそのあたりは音読したくなる日本語だよネと共感を覚えたものである。
 2位はこれまた肉食の貝であるイモガイ類が獲物に文字通り矢のように射る、特化した歯舌である毒の矢。アンボイナが一番有名だけど個人的にはイモガイも狩るらしい貝喰らいの貝である”イモガイの王”タガヤサンミナシを推したい。綺麗な花には毒の典型で前衛芸術みたいな幾何学模様の渋い美しさのある貝殻も素敵。
 3位は、古代の賢者の名を冠する魔法道具感満載だけど、実際にはウニの口器というありふれた代物。なんだけど実際ガラスに貼り付いて昆布とか囓ってる映像見ると5本歯が結構獰猛な感じでバリバリ食っててこいつら増えすぎると藻場が”磯焼け”起こして回復しなくなるとかいうのも納得である。ちなみに対岸の北の海ではウニの天敵ラッコを乱獲したらジャイアントケルプの森が消えたとかなんとか。ウニとラッコの食欲侮り難しなのである。ちなみに英語の「アリストテレスズランタン」でも中二感たっぷり。
出典:ウィキメディア・コモンズ、撮影:jon hanson

 もいっちょ捕食器官というか捕食補助器官とでもいうべき疑似餌について。ワシもルアーマンだしひとくさり書いとかんとナ。でもアンコウ系入れると3種類アンコウ選ぶだけなので”世界3大アンコウ以外の持ってる疑似餌”でいってみましょう。ジャカジャン。
 1位「Villosa iris(北米産イシガイ類の一種)」2位「アラフラオオセ」3位「ハナミノカサゴ?」
 1位はリンク張ったので元記事で映像見てもらいたいんだけど、日本じゃタナゴ類に卵育てさせられてる貝という位置づけに収まってるイシガイ類だけど、北米のはなかなかにやりよる。バス釣りしてます。バス釣り用のザリガニワームはギドバグが最強だと思ってたけどそれ以上の完成度。ここまで手の込んだリアル志向の疑似餌って他の生き物では思いつかない。普通はまさにワームって感じのミミズ型が多い中、コイツはナニを考えてザリガニ型を選んだのか?考えちゃいねえんだろうけど進化って不思議だね。
 2位は、友釣りは日本独自の釣法でとか言っちゃう鮎師に、そんなもん南の海の底のサメでもやってまっセ、と教えてやりたくなる技巧派。
 以前にも紹介したけどアラフラオオセは衝撃的だったので再度登場。アンコウみたいな潰れた系の典型的待ち伏せ捕食型のサメなんだけど、シッポで小魚の泳ぐ安心空間を演出して寄ってきた魚をバクッといきます。疑似餌を使うサメがいてしかも友釣り系とは恐れいりやの鬼子母豚。
 3位は不確定ながら、ハナミノカサゴかインド洋版のインディアンライオンフィッシュの眼上の皮弁は小魚を模している説を目にして驚いた記憶があったので、元ネタ探したけど見つからず。ただ、画像検索とかで見ていくと、個体によってはそういう形の皮弁を持ってないのもいたりするけど、いくつかの個体では真正面から見たときに目玉模様のある透明な軍配のような皮弁が認められ、それが目の上に飛び出していて折りたたみも可能な感じになっているのを見ると、何らかの意味があってそうなっているのは間違いなく、疑似餌説もあながち嘘じゃないのかなと思う。特にインド洋版の方には胸ビレに目玉模様が散らばってる個体もいて”小魚の群れ感”出してるのかもとかも思う。思うんだけどあの派手な見た目で、疑似餌使って意味あるんかい?という疑問もコレあり。なんだけど毒々しい派手な美しさに妙に似合った可愛い小魚っぽい皮弁が造形として素晴らしいので3位に入れてみた。なんで左右対称に目玉の位置が来ないんだろう?とか考えると、同じ群れの魚は同じ方向向いてるので目の位置は右なら右、左向け左ってことなんだろうか?あの派手な鰭は外敵に対する威嚇用と共に餌の小魚を追い詰めるのにも使うとか聞くとさらに目玉模様の使い方は謎だらけで続報が欲しいところだ。
 ハナミノカサゴ、観賞魚が逃げ出してだかのお決まりの展開で生息地以外の米国東海岸の大西洋に移入していて現地困って在来種のサメにハナミノカサゴで餌付けして天敵にしようとしてるとか、キリンミノとか一部のミノカサゴは集団で狩りを行い、別の個体を誘って一狩り行くんだとか最近なにかと注目の魚でもある。インディアンライオンフィッシュの別名デビルファイヤーフィッシュは名付親に反省してもらいたいぐらいの鼻につく中二臭さ。

 ワシ無宗教なので死んだら別に葬式なんかあげてもらわなくても良いと思ってるし、なんなら切り分けて燃えるゴミの日に出してもらってもかまわないぐらいに思ってる。贅沢いうなら切り分けて海に撒いてサメの餌にでもしてもらえれば、大好きなサメの血肉となり役立てて嬉しいかもしれない。でも実際にはそんなことしたら死体遺棄で罪に問われるだろうし、葬式なんてのは死者のためじゃなくて、生きて送る側が区切りをつけて種々整理するための儀式として機能しているってのぐらいは分かってるので後始末する生きてる人達の好きなようにやってくれと思う。宗派もナニも気にしないから手短にチャッチャとやっておしまいにしてくれれば良いと思っている。
 とは言いながらも、釣り人という普通の人より水死体になる可能性の高い人種として、水の底でこいつらの世話にはなりたくないなという”おぞまし系”の生物もいたりして、ということで選んでみました”世界三大死体をほじられたくない生物”。ジャカジャン。
 1位「バイ」2位「メクラウナギ類」3位「シナモクズガニ」
 基本的にワシ肉食性の貝類って信用してないのがコレまでのネタでも明白だけど、そんなヤツらに死んだ後のこととはいえおいそれと体をお任せするわけにはいかんって話ではなく、ヤツらの食い方が不気味すぎて触手モンスターに襲われる美少女のようにラメーッ!って叫んで逃げ出したい気がする。まあ死んでたら逃げられんけど。
 皆さんバイはお好きでしょ?ホンモノのザ・バイ貝なんて今時おいそれとは食べる機会がないにしても何とかバイとかツブとかの小味の効いた巻き貝を煮付けたのを肴に日本酒チビチビなんてのは悪くねぇ、なんでバイが信用ならねぇんだ?と思われるのも当然だけど、やつら腐肉食性の掃除屋で漁獲するにも臭いのきついイワシだのサバだのを餌にカゴで獲るぐらいで死体あさり大好きな真性のネクロフォリアで、まあそりゃ生態系でそういう役目の生き物が居なきゃ困るって話ではあるんだけど、食い方がえげつない。ヤツら吻と呼ばれるモロ触手な見た目の器官を伸ばしてその先の口を死体に突っ込んで死体あさりするんだけど、その長さが尋常じゃなくて殻の長さの5倍とかに達するとか。幼い日にバイ篭の外から吻を伸ばして篭の中の吊した餌を囓るの図を図鑑で見てしまい心理的外傷もののダメージを負ったのであった。ラメーッ!って叫んだところでさっきも書いたけど死んでるので抵抗もできず、ハラワタに触手突っ込まれて食い荒らされるのである。これを陵辱といわずしてなんという。
 2位のメクラウナギ類は最近ではヌタウナギ類なのかもしれないけど言葉狩り嫌いなので昔の名前で書いてます。まあ、メクラウナギ類とアナゴ類は死体あさりの定番魚(メクラウナギは魚じゃないか?)だけど、どちらかにお願いしなきゃならないならアナゴさんにお願いしてデスロールでキッチリ決めて欲しい気がする。メクラウナギ類のナニが不気味って魚類が顎を獲得する前段階の原始的な脊椎動物なので口が横に開いたりして実に不気味で怖いんである。でもってその横に開く口を死体に突っ込んで口の中の歯を肉に引っかけたら、体を結んで(始めて聞く人には意味不明かもしれないけど言葉どおりです)開けた穴にもぐらないように踏ん張って肉を引きちぎるという特殊技能持ち。技名つけるなら”自縄自縛捕食”かな。以外にも美味しいらしくて韓国では大人気で韓国出張の時、残念ながら出張した所は食べる地域じゃないらしくて食べられなかったけど皮で作った小物入れがお土産屋に売ってたので買った。日本だと秋田とか深海漁業のあるところとかで密かに人気らしい。不気味なのに加えてここでは書けない個人的な恨みもあってワシの死体を漁らせたくはない。
出典:ウィキメディア・コモンズ、撮影:J. Patrick Fischer

 3位のシナモクズガニも最近ではチュウゴクモクズガニなのかもしれないけど以下略。
 っていうより上海ガニってほうが最近はとおりが良いかも。こちらは中国出張の折に食べる機会を得ている。まあ美味しかったけどエビカニって産地で食う鮮度の良いやつが美味しいってのが基本で、ふん縛って活けモノで流通させるのも特定外来生物だからダメだし日本でわざわざありがたがって食うほどのもんかね?日本で食うなら在来種のモクズガニのガン汁のほうが美味しそう、とかいう気はするけどそれで儲けてる商売の人が居るのであんまり大きな声ではいわないでおく。
 でもってなんでそのシナモクズガニに死体食わせたくないのか。浜辺に打ち上げられた死体がカニにたかられているなんていうのは、サメ映画でも定番の場面で正しい水辺の死体のあり方だと思うしシナモクズガニ自体はぜんぜん不気味でも不快でもなく恨みもなにもないんだけど、シナモクズガニには色々と伝説があって、その一つに中国では戦乱の後はシナモクズガニが美味くなるってのがあって、さすが食の追求に関してはフランス人と双璧の美食の民。人の死体食って肥えようが美味いモノは美味いと言い切ってしまう強烈な食い道楽ッぷりに感心するやら呆れるやら。っていうのが頭にあると、シナモクズガニに死体食われるってことは戦乱に巻き込まれて戦地で”水漬く屍”となったことが暗示されて悲しくなっちゃうんである。
 高校の現国の授業で現代詩として「伝説」ってのが取り上げられて感想文を書かされたんだけど、湖のカニを獲る漁師夫婦が船の上で愛し合ったりしつつ子供が一人前になったら口減らしのために二人で湖に身を投げてカニを肥やすっていう上海ガニ版楢山節考的な詩だったんだけど、今思うとワシ10代の頃から「パソコン椅子探偵」っていうか「君の名は」みたいなことやってて、詩を読んだ感想なんて一っことも書かずに、ひたすら「蟹」としか書かれていない蟹の種類を推理して、当時上海ガニなんて日本じゃほとんど知られてなかったけど、さっき書いた戦乱の後に蟹が美味い伝説とかを紹介しつつ、日本のモクズガニに近縁のシナモクズガニだと考えられる。とかいう報告書みたいな感想文もどきを書いて出したら、まあそういうの楽しんでくれそうなセンセだという読みもあったんだけど、お褒めにあずかりましたとさ。もちろん推理は正解してまっセ。
 子供達の幸せのためになら世の親はその身を蟹に食わせても惜しくないのかもしれんけど、戦争なんてわけのわからんモノに巻き込まれて、知らない土地で死んで屍を蟹に食わせるなんてのは空しいだけなので勘弁ねがいたいもんである。

 死んだあとはまあいいやと割り切っても、生きている間に遭遇してあいまみえるのはご勘弁な生き物たちもいるな、ということで”世界三大やられたくない水棲生物”いってみよう。ジャカジャン。
 1位「ダルマザメ」2位「カンディル類」3位「住血吸虫類」
 1位は、海洋生物でナニが最強の捕食者かって議論になるときに穴馬的に出てくるサメだけどワシャこいつが最強で良いんじゃなかろうかと思う。本命は当然シャチというのが大方の見解で、シロナガスクジラを含む大型のクジラを狩るタイプも知られていて、哺乳類食というクジラでも弱ったり死んだりしたら餌にするホホジロザメが姿見ただけでおびえてその海域から逃げてしばらく寄りつかないという逸話とか知ってると、それはそれで一つの正解なんだろうと感じるけど、でもそのシャチも多分寄生虫とかには囓られてるだろうし、病原菌とかには勝てないこともあるだろうから、その辺まで考慮すると最強ってなんだろうっていうのはよく分からなくなる。ただ、ダルマザメはシャチを直接襲った報告例ネットの海じゃ見つけきれなかったけど、襲って餌とした生物はイルカやマッコウクジラのような歯クジラも含まれ、その他ヒゲクジラ、ホホジロザメ含むサメ類やマグロなどの大型の魚類、果ては潜水艦のネオプレン樹脂製の部品まで囓る無差別ぶりで、シャチも報告例がないだけで襲ってるに違いなく、そういう直接的な襲撃による外的損傷をシャチに与えうる強者であればコレは”海洋最強の捕食者”の称号を与えてはどうか?と検討しても罰はあたらんだろう。
 そう聞くと正体知らない人は「どんな怪物ザメなんだろう」と思うかもしれないけど、実物は50センチぐらいの見た目ショボいサメである。
 水中の捕食者は基本餌生物より格段に大きく一口で餌生物を補食する。陸上では捕食者であるライオンより餌になるアミメキリンやオグロヌーの方が大きかったりするし、インパラがライオンより小さいと言ってもそれ程の体格差はなく一口で食えるような餌ではない、という例に見られるように陸上の捕食者では珍しくない大型の餌生物を狩って噛みちぎって食べる、という水棲生物は実は少ない。例外がさっきから書いているけどクジラも食べるシャチ、ホホジロザメ、ダルマザメあたりと淡水ならピラニアと2位に上げてるカンディルやらなにやらなんである。
 なぜ、水中では大型の餌生物を狩らないのか?コレという解答を目にした憶えがないので私見になるけど、おそらく水中では餌も自分も浮いているので同じ座標に狩って殺した餌を止めておくのが難しいからというのが一つの要因としてあるのではないか。
 陸上なら地に足が付いているので、ライオンなら仕留めた獲物はゆっくり味わえば良いし、ライオンに餌を奪われる立場のヒョウなら木の上に引っ張り上げるとかの工夫は必要かも知れないけど、死んだ獲物がどっかに勝手に行ってしまうことはない。これが、水中の場合たとえば自分より大きなマグロ類を仕留めました。となったときにマグロ類は泳ぐことによって浮力っていうか揚力発生させて浮いていたので沈み始める。囓ってて食べきれるまでに自分が耐えられない水深へと沈下してしまえば、せっかく危険を犯して労力かけて得た獲物を捨てざるを得ない。クジラのように死んでもしばらくは脂肪分とか肺の空気で浮いていてくれればホホジロザメがそうするように流れていくのにつきまといながら食べ続けることはできる。それにしても限界はあって流されて陸地に打ち上げられたりしたら追い切れない。シャチはシロナガスクジラとか大型のヒゲクジラを狩ると、柔らかい舌とかから食い散らかしたうえで大半の肉を満腹したら捨てて移動してしまうらしい。残りはサメとかが囓るか沈んでしまう。沈んで着底してしまえば陸上と一緒でおいそれとは逃げない餌になるので、海底ではさっき書いたように死体ほじくる系生物が普通にご馳走を囓りとっていく。
 っていうナマジ説が正しいのかどうかは別にして、水中を泳ぐ捕食者は一口で餌を食うのが基本であり、水域において動物プランクトンの果たす役割で大きなモノとして植物プランクトンが生産した有機物を次の大きさの捕食者に渡すというのがあるぐらいで、そうやって順番に高次の捕食者ほど大きくなっていく。
 その例外中の例外が50センチかそこらのダルマザメなんである。大型の餌生物を襲う場合実際にはホホジロザメがクジラを食うのは掃除屋的に死体を食ってるって話で、アシカとかは一口とは言わないまでもエアジョーズ的に狩って殺してから流れ去っていくまでには食い切れる程度にホホジロザメは大きい。シャチの食い方は正直どうなの?って思うぐらい無駄が多くて、大型のオスのコククジラが子連れのザトウクジラを狙ってるシャチを追っ払うって映像を見たことあるけど、襲われてるのが赤の他人(他クジラか?)でも追っ払わずにいられないぐらいヒゲクジラにとっては迷惑きわまりなく看過できない級の不倶戴天の敵なんだろう。
 その点、ダルマザメの戦略は特殊というかなんというかなんだけどデッカい獲物の体表面を一口だけ囓り取るというもので、英名クッキーカッターシャークって呼ばれているけどむしろ実態はアイスクリームを半球状にすくい取る器具みたいな歯をもってて5センチかそこらの半球状に皮付き肉を囓り取るんである。
 相手が大型のクジラやサメ、マグロ等なので死にはしないので餌生物の資源量とかに与える悪影響は囓り取った肉の分だけでシャチの食い散らかしに比べるとずいぶんと上品に感じられる。なんというか魚と思うから特殊だけど寄生虫とか陸上なら蚊のような吸血生物に近いと考えれば腑に落ちる気がする。
 実はこれに近い餌の食いかたする魚はほかにもいて、ホンソメワケベラのふりをして近づいて大型魚の体表を囓り取るニセクロスジギンポなんていう個性派がいて悪いやっちゃなぁと思ってたら、最近の研究では本家のホンソメワケベラ自身もたまに”お客”を囓ってて囓りすぎると客来なくなるし、その囓り具合を他のライバル店との関係もあって戦略的に変えたりしているとかなんとか。クソ面白いんでやンの。
 淡水では他の魚の鱗専門食のスケールイーターと呼ばれる魚もいたりするけど、観賞魚の世界では餌がないと他の魚の鰭やら鱗やら囓り始めるのは割と居たような気がする。淡水の閉鎖された水域で餌少なくなったり個体数増えすぎたりしたら手っ取り早く効率よく得られる餌は隣の魚の鰭鱗ってことなんだろう。自然界ってほんと多様性に富んでてありとあらゆる戦略で競われるルールのない修羅場なんだなとワクワクするネ。
 というわけで話戻すけど迷惑っちゃ迷惑だけど洗練された技巧派のダルマザメ、クジラとかにしてみれば蚊に刺されたようなモノだとしても、人間が囓られると鋭利なアイスクリームしゃもじ(器具名知らんので今造語しました)で直径5センチがとこの半球状に肉をえぐられたようになるので、これは縫合するのも難しそうだしメチャクチャ痛そうで、ヘタすりゃ失血死ものである。
 実際に遠泳中の泳者が襲われた事例はあるそうで死亡事故には至らなかったようだけど想像するだに金玉がヒュンと縮み上がる玉ヒュン案件である。 
 2位の「カンディル類」はアマゾンの尻穴野郎として皆様ご存じのお魚。ピラニア(ナッテリーとか)とかコイツとか、大きな獲物が流されていくいとまも与えず大群で食い尽くすって戦略がいかにもアマゾンの強者の力押しって感じでゾクゾクしますね。
 ただ、カンディル類にはピラニア的な軍団派と寄生虫的な尻穴派が入り混じっているようで圧倒的にイヤなのは尻穴派なのは言うまでもなく、尻穴、尿道、穴があったら入りたい輩で入り込んだら内側から柔い肉を囓りつつ引き抜けないように背ビレ胸ビレの棘を立てるとか、これまた玉ヒュン案件なのである。アァーッ!!
 3位の「住血吸虫類」は寄生虫なんだけど、水棲生物なのか?という疑問は生活史のなかに泳ぐ段階があるので水棲生物だとして、そんなもん生で淡水魚やらサワガニやら食う程バカじゃないからオレには関係ないやと思う釣り人の皆様。反省して気をつけてください。住血吸虫類は中間宿主を生で食べることで感染する寄生虫じゃなくて、中間宿主の淡水産巻貝から泳ぎ出たメタセルカリア幼生が直接最終宿主であるホモサピを含む哺乳類の皮膚に穴を開けて潜り込んできて寄生します。
 日本じゃ日本住血吸虫が中間宿主のミヤイリガイ駆除とかで終息宣言がだされていて過去のものとなって忘れ去られつつあるから危機感が全くないんだとおもうけど、いまだ日本住血吸虫の感染地域であるアジアやビルハルツ住血吸虫類やマンソン住血吸虫類の感染地域のアフリカで怪魚ハンター的な釣り人が平気で魚と一緒に水に入って記念写真撮ってたりするのを目にすると、特効薬に耐性のあるヤツらまで出始めてるなか、よくあんなことやるなと老婆心ながら心配になるのである。
 自己責任で寄生されるのは好きにしろだけど、日本でもミヤイリガイ自体は絶滅していない地域もあったりして内房の某河川流域とかが生息地らしいんだけど、アジアから日本住血吸虫持ち帰って卵バラ撒くなよとは釘刺しておきたい。
 こいつらの気色悪さを知ったのはらも先生の小説「ガダラの豚」で、アフリカと日本を舞台にした呪術と超能力、嘘と本当が入り交じる物語なんだけど、その中でアフリカの呪術師が使う”呪い”の現実的な解釈の一つとして「オマエの集落に呪いをかけた、オマエらはやがて腹に水がたまって死に至るだろう」って宣言しつつ、裏で井戸や貯水タンクに住血吸虫の中間宿主である淡水巻貝をぶち込むっていうのが出てきて、タネや仕掛けもあって実際に”効く”呪いってのはあり得て、かつ仕掛けられた側はタネを見破るのは難しいってあたりから、呪術の全てがインチキではなく実効ある手段とハッタリを織り交ぜた駆け引きが存在するという舞台設定が真実味を帯びて虚々実々の騙し合いの物語世界に引き込まれていくのである。
 水に浸かったら皮膚から浸入してくるっていう魚釣りしていたら完全には防ぎきれないようなアブねえ寄生経路なうえに、雄雌つがいで静脈内に陣取って卵バンバン生み始めると卵に激しい免疫反応を起こしてしまい、マンソン住血吸虫やら日本住血吸虫では肝硬変やら起こして腹水溜まってとかエラいことになるのである。
 実に陰湿でイヤーなやられかたでこれまた勘弁願いたいモノである。

 ってな具合で、最初はネタも今暖めてるのはもう少し熟成期間がいるし、つなぎの小ネタでお気楽にしょうもないネタ書き散らしてお茶濁そうと書き始めたら妙に興が乗って筆が走ってというかキーボードが叩けてしまい、予定していたネタ半分ぐらいまできた所なんだけど長いし疲れたしで残りは来週ということで、どちら様もよろしく。
 内容的には当初から人生において知ってて役立つとかそういう要素の一切ないしょうもないネタを書き散らす予定ではあったので、せめて見た目的には良い写真でも使っておこうかなと、今回ウィキペディア様とウィキコモンズ様から画像を拝借しております。ワシ少額とはいえちゃんとウィキメディア財団から催促メール来たら寄付してるからこのぐらい使わしてもらっても罰あたらんだろうて。
 出典とか書いてない写真は完全に著作権とか放棄した「パブリックドメイン」とかいう整理の自由に使っていい写真で、出典書いてるのは「勝手に使っても良いけど、出典書いて著作権がどうなってるか分かるようにリンク張っといてね」という整理の写真で著作権の等級とか書いてある「ウィキコモンズ」の該当ページと画像共有サイトの撮影者のページにリンク張りました。多分これで権利関係は問題ないという理解なんだけど、どなたか詳しい方で「コレが足りん」とかあったら手取りあげ足取りで教えてくれると助かります。

 ではまた来週ごきげんよう。 

2019年5月4日土曜日

自由への闘争あるいは逃走

 マスカラスの弟はドスカラスッ!!っとわけ分からん感じで始まっておりますナマジのブログ、元号変わっても引き続きよしなに。

 ちゅうても世間様10連休とかも、すでに700連休ぐらいのワシにはあんまり関係なく、特に変わったこともなく淡々と釣りとリハビリの日々が苦戦しながら続いておりネタもそれほど変わったものがご用意できるわきゃなくて、身近な小ネタとかでご容赦を。
 淡々と変わりなくとはいえ季節は確実に巡っていて、新緑のまぶしい季節となっております。我が家のプランターも春の花は終了で、秋に植えた豆苗の残りがニョキニョキとやる気を出して花を咲かせて豆がなり始めております。
 豆の種類としてはソラマメなんだと思うけど、葉っぱ食べる品種だろうから豆が食えるのかどうか、豆って中毒するやつもあった気がするので花だけ楽しんでおくべきか?ちなみに春先には伸びるそばからヒヨドリについばまれて成長できず、我が家とヒヨドリとの関係は悪化し緊張の度合いを増しております。
 朝、睡蓮鉢で水浴びしている音で目覚めるのとかは風情があっていいんだけど、種だの新芽だのに手(くちばし)を出すのは勘弁して欲しいんですけど。ヒヨドリって木の実とか花の蜜が好きって印象で種だの新芽だのは食うと思ってなかったけど、ひょっとして真犯人は別にいるのかしら?

 室内では、水槽の水草の水上葉が繁茂しまくっていい感じになっている。ライギョの潜む水辺って感じがしていい塩梅だ。そろそろある程度剪定した方が良いか?
 この水槽の主であるコウタイは熱帯魚というほど暖かい地方出身じゃないので、昔は近畿地方でも帰化していたとかで寒さは室内なら問題なく冬でもヒーター入れていない。とはいえ底面濾過から水上部分の植物に水を供給している水中モーターの熱で真冬でも20度弱ぐらいはあるんだけど、気温の上昇とともに水温も20度を超え熱帯原産の水草たちはモリモリと成長する。
 もう少し暑くなってくると、水温上がりすぎるので熱がこもらないようにするためと気化熱で多少温度下げるため、蓋の半分を金網に換えるので、そうなると水槽内は湿度が減少する’擬似的乾期’をむかえ、湿り気が好きな水草の水上葉は適度にしおれたり枯れたりする。
 先日、我が家の風呂場にカマドウマの一種(マダラカマドウマか?同定は素人じゃちょっと無理)が出現、こりゃコウタイの餌にちょうどいいやと捕獲して水槽内に放ったんだけど、葉っぱの上にいたのを狙った最初の一撃を運良く逃れて、茂みに逃げ込んだので「そのうち食われるだろう」と放置しておいたら、水中モーターの電源引っ張ってきてる隙間あたりから逃走したのか、ベンジョコウロギの別名どおりトイレに出現した。なかなかしたたかな生存能力に敬意を表して放置しておいた。台所にはゴキブリ用の毒餌とかあるけど食わずに生き延びてみせてほしい。世帯主として同居を許可する。
 アシタカがサンに「生きろ!そなたは美しい」って台詞を吐いてるけど、ネット上ではじゃあ「不細工はタヒね!」ってことなのか?と疑義が呈されていたりしてクスッとなる。
 カマドウマちゃん(輸卵管ぽいのが突き出てるので雌っぽい)美しくはないかもだけど、したたかに生きろ!って言ってやりたい。ワシごときに言われずとも彼女ならやってくれるだろう。


 平成最後の日には、体力もちょっとはついてきたしということで、久しぶりに水族館に行ってきた。ゴールデンウィークの人混みでかなり疲れたけどやっぱり水族館はいい。
 モンツキシビレエイというのを初めて見たけど、目玉模様がドンとど真ん中にあってモゾモゾと水底を歩く姿といい最高に愛らしい魚だ。触れずともシビれた。大水槽のターポンはオレの掛けたのはもっとデカかったと死んだ子の歳を数えるようなことを思ってしまったし、ロウニンアジについてはワシの釣ったのの方がずいぶんデカかったなと優越感に浸れた。
 イルカショーも楽しかった。イルカ(バンドウイルカ)も愛嬌があって賢そうだし可愛らしい。欧米の動物保護団体が漁するなとか水族館に閉じこめるなとか煩いこという気持ちも分からんでもない。
 分からんでもないけど牛だって賢いし可愛いからなにが違うんやって話で、そういうと菜食主義者とかが小賢しいこといいやがるけど、植物に痛覚や感情がないなんて、なんでオマエごときに分かるんや?っていつも思う。植物も虫にかじられたりしたら防御反応として毒物質生成したり、周りの他の個体にも情報伝達物質飛ばしたりもするとか知ったら、動物のような神経系やそれが発展した脳が感じる感情がないとしても、’痛み’も感じているといえる気がするし”会話”さえしているように思う。’生き残りたい’という方向性は生物なら基本一緒で、その次元において根本的に我々生き物はすべて等しく、儚く脆くも尊くて罪深いんじゃないのっ?てワシャ思うんじゃ。
 ベジタリストやらヴィーガンやらが自分らだけ手が汚れてないようなしたり顔していられるのを見るたびに、頭が悪いと罪の意識さえ感じずにすんで幸せでイイネ、とうらやましく思う。ワシも頭あんまり良くなくて苦労してきたけど、生きていくことの罪深さぐらいは分かる。
 健康のためとか自分のためにやってるなら止めやしないけど、’痛みを感じる他の命を傷つけたくない’とか脳味噌虫沸いたような御託を並べ始めて他者を非難し始めるのとか目にすると、思いっきりののしって論破してやりたくなる。痛みを感じる感じないで線を引くっていうのが、さっき書いたように痛みを感じるということの定義から難しいってことを棚に上げておいたとしても、どっかに勝手に線を引いてその差別的な線引きに他者を従わせようとする傲慢さ。
 痛みを感じなければ殺して良いとするなら、無痛覚症の人や脳死の人は殺していいのか?現代医学では脳死の方は死者扱いでイイんじゃネ?ってなりつつあるけど、そんな簡単に割り切れるもんじゃないことぐらい分かるでしょ?あんたのカーチャンが脳死で病院のベットに横たわってる、そのときにもう痛みも感じないから管抜いちゃいましょって逡巡もなく即断できんのかアンタは?できるんならすごいけど、心の底から軽蔑する。母親と特別な密接さを持つ哺乳類として、脳死が現代医学の整理で人の死だと定義されるとしても、それを理解し感情を整理するには相当な時間と覚悟というかあきらめが必要とされるんじゃないのか?
 どっかで線を引かなければ、なにも食えなくなる。だからいろんな文化や地域で、歴史的な背景やらをふまえて暗黙の了解やら宗教的禁忌やらなにやらで線が引かれているし、個人でも線を引くし、場合によっては国家とかの体制が制度で線を引くこともある。でも結局は流動的で暫定的なものでしかあり得ないんだと思う。 
 なんてことと同時に、自由自在にクルクルと泳ぎ回るイルカたちを見ていると、最近の分類じゃ’クジラ偶蹄目’って偶蹄目とまとめられたぐらいで、もとは陸にいたカバ的な四つ足の生き物だったはずなのに海洋生活によくもここまで適応進化したもんだなと感じつつ、そういう大海原をいく生き物をプールに閉じこめておくことの是非についても、やっぱり考えてしまう。
 善い悪いは、まずは脇に放置して、イルカの幸せについて、イルカでもないホモサピの自分が、なるだけイルカになったつもりで考えてみる。
 プールに閉じこめられるのはやっぱりヤだろうと思う。大海原を自由自在に泳ぎ回った方が気持ち良さそうに思う。でも、大海原に泳ぎ出せば自由ではあるけど、天敵である人間やら病原性生物から逃げなきゃならんし餌探せなければ餓死する。自由には責任がつきまとう、っていつも書いてるやつである。
 水族館のイルカは病気になれば治療してもらえるし、餌ももらえる。
 ショーを一日何回かしなければならないけど、これは暇つぶしにもなるし仲間と遊ぶのが好きな社会性の強い生物であるイルカにはいうほど負担じゃなくて、むしろ楽しみなんじゃないかと思う。
 南の島で釣り場移動中とかにイルカが船によって来て、船のつくる引波に乗って遊んだり、クルクルとジャンプを披露してくれたりしたのを見ているので、もともとそういう遊び好きな性質を利用してショーを仕込んでいるんだとは思う。
 まあ本当のところはよく分からんにしても、イルカにとって必ずしも不幸せなことばかりではないようには思う。飼育されて得られたイルカの知見がイルカの保護に役立つとかもあるだろう。
 でも、イルカの自由を奪って拘束しているのは事実なので、本当はイルカにとっては、腹が減ったり病気になったら人間を頼って、気が向いたら芸も見せて遊んで、飽きたら海を好きなところまで泳いでいくっていうのが、ワシがイルカなら一番幸せだろうと考える。とらわれの身は正直勘弁願いたいし、水族館のイルカにはやっぱり不幸の臭いがそこはかとなく漂う。
 自由にイルカに選ばせるのが本当は理想かもしれない。イルカが、浅瀬に逃げ込む魚を網でとうせんぼしてくれる漁民と協力する事例は過去現在いくつも知られているし、気が向くとダイバーと遊ぶためにやって来るイルカがいるダイビングスポットなんてのも割とあるようで、そういうのが理想といえば理想なのかもしれない。
 だとしても、イルカをプールに閉じこめておくことが悪かというと、そうとも限らないんじゃないかと思う。一旦脇に置いておいた善悪の判断につっこんでみよう。
 今日、映像撮影技術はものすごく発達していて、先日もNetflixオリジナルの「OUR PLANET-私たちの地球-」というドキュメンタリーシリーズ観たんだけど、めちゃくちゃ痺れる映像満載だった。イルカを例に出すと、イルカが浅場のボラの類をしっぽで泥を巻き上げて泥の壁でグルッと囲んでしまい、パニクったボラは濁った泥の中に逃げ込めば音響カメラ搭載の捕食者であるイルカにやられるのが本能的に分かっているのか、泥の壁を飛び越えて逃げるんだけど、そこを着水地点に仲間のイルカたちが口を開けて待っているなんていう驚きの漁の場面をドローンで空撮していて、初めてザトウクジラの’バブルネットフィーディング’の映像を目にしたときの衝撃を思い出した。ドローンは海外では遊魚船でも利用が始まってるようで、むかし米国の巻き網船が、ヘリでキハダマグロの群を探して巻いていたのの小型発展版で釣りもだいぶ未来にきたもんだと感慨深い。ちなみにその巻き網がキハダと一緒にいるイルカを巻きまくってて批判を浴びて、イルカを巻かない技術で穫ってきたキハダで作った缶詰には「ドルフィンセーフ」とか認定マークがついてたとかなんとか。ホント欧米の動物保護団体ってめんどくせぇ。あんまりうるさいこというと食うモンなくなるぞ。って話で食料生産の現場でのイルカ食等利用はその地での文化的にとか許容されるんならワシャなんの問題もないって思ってるので今回書く気はない。反対意見を言うのも自由だけど食うのも自由って話である。
 今回食う話じゃなくて、研究目的もあるとしても主に見せ物としてイルカを飼うことの善悪についいて考えている。
 ドローンの話書いたように、映像技術が発達してきた現在、必ずしも生きたイルカを飼って見せ物にしなくても、映像で見れば良いし、本物が見たければイルカのいる海に行くべきだという意見もあるだろうとは思う。思うけど、現時点の映像では生きて動く本物の迫力にはまだ遠く及ばない。生きた本物を見せる価値はイルカの自由を奪ってでもあると思う。
 「OUR PLANET」で、ほかにもいろんな素晴らしい映像が楽しめたけど、虎の中でももっとも北方に棲みもっとも大型といわれる亜種アムールトラが、雪の積もる稜線を、形は爪を引っ込めた猫の足そのものなんだけど、馬鹿デカい前足で雪を踏みしめタシッタシッっとやってくる映像の美しさ迫力にはほとほとまいった。
 「OUR PLANET」はまさに欧米の動物保護団体であるWWFが協賛なので時に説教臭かったり、ペルー沖のアンチョビの減少なんていう、水産の教科書にも出てくるぐらいの典型的なエルニーニョとラニャーニャとか気象海象が関係してくる変動なのに乱獲が原因とか嘘こいてたりだけど、アムールトラの美しさには嘘やまやかしはなく、確かにこの美しい捕食者を地球上から失ってはならないと思わされる説得力のある映像だった。
 だとしても、小学生の頃に動物園で強化ガラス越しに相対したトラ(シベリアトラと紹介されてた)の実物の持つ大きさ迫力、ガラスがビリビリと震えるほどの低い咆哮。40年近く昔のことだけどあの感動は映像では代替することができない。多分ほとんどの人がトラといって頭に思い浮かべるその大きさはせいぜいヒョウの大きさでトラは軽くその倍はデカい。間近で見るととにかく顔がバカデカくてビビる。
 アムールトラを撮影するために、撮影班は無人カメラをあちこちに設置するとともに、2冬に及ぶ小屋での張り込みを敢行し執念の撮影で映像をものにしたとのことで、トラの本物なんておいそれと現地に行ったって見られないんである。
 本来何キロ四方にも及ぶ広大な縄張りを持つトラを動物園の檻の中に閉じこめることは、ストレス感じるだろうしトラにとっては不幸なのかもしれない。でもそれでも多くの人に檻の中トラでもいいので見てもらいたいと思うのは傲慢だろうか?トラの尊厳を踏みにじりすぎているだろうか?
 答えは人によってそれぞれあったりなかったりするんだろうけど、野生生物や自然を遠ざける方向性は間違っていると直感的に感じる。そういう直感が働かなくなることの危うさは今の時代常々感じるところである。そんなことも分からんのか?って驚くようなことが増えてきた気がする。
 イルカの幸せがどうのこうの言う資格もないような、遊びで魚を釣って、楽しみのために魚を飼育している人間が書くことにどれだけの説得力があるか分からんけど、そういう他者をさいなむような犠牲のうえにしか得られない感覚もあるんだということは確信している。

 なんで、野生生物や自然環境を守らなければならんのか?そんなもんそうしないとやがてホモサピにも都合が悪いことが起こるからってだけである。その延長線上にイルカ可愛いとかトラかっこいいとか人それぞれの好みがあって、本当はそういう野生生物の幸せを考えてる暇があったら、ホモサピのっていうか自分の幸せを考えろってのがとどのつまりなのかもしれない。
 でもイルカの自由を考えたときに、自分の自由に思いを馳せずにはいられなかった。
 イルカの幸せを考えたときに一つの理想として強制されずに自分で好きな方を選べるのが幸せなんじゃないかと書いた。そう考えると今の自分は自由にものもいえるし、職業選択の自由も保障されているし、ご飯のお代わりも自由だし幸せなような気がする。
 でも、もうちょっと突っ込んで考えていくと、ワシってホントに自由か?っていうのは疑問に思う。例えば素っ裸になって奇声をあげて通りを疾走したいと思ったとして、ワシは自由にそうすることができるだろうか。多分できないだろう。なんか常識とか世間体とか、警察にしょっぴかれるとかがあって二の足を踏むだろう。そういう目に見えない文化とか制度とか自分の感じ方とかが、ある種ワシをつなぐ鎖となって自由じゃすでにいられてないんじゃないか?とか、自由に生きるっていったって一人じゃ生きられないから社会で生きるならその定めた規則やらには従わねばならんし、金も稼がにゃ飯も食えんし、自由にやればやるほど責任は重くなって種々メンドクサいしって、とか考えるとある程度自分以外のものに頼らざるを得ず、そうなると餌もらうなら芸の一つもやって見せにゃならず、プールの中に囲われたイルカと本質的にワシ変わらんやんけ?と自由っていうことがどういうことなのかという、難しい課題について今日も答えは分かったような分からんようなところでお茶を濁すしかないようなのである。難しいさね。

 ただ、身近にいて一番自由な生き物だと思うのは、疑いようもなく自由に家を出入りできる飼われたイエネコである。やつら腹減ったら餌くれとか当然のように要求しやがるけど、気が向かないと触らせてもくれない。外で遊ぼうが恋しようが喧嘩しようが自由。あれが一番ワシの求める自由に近い存在だと思う。生態系における特権的貴族階級といっていいかもしれない。

 水槽のコウタイの牙を逃れ抜けだし、便所にも風呂場にも玄関にも神出鬼没な自由な存在としてのカマドウマの生き方に憧れを覚えるけど、ああいう危険も飢えも自らの力だけを頼りに切り抜ける野生の力を持ち得ないワシとしては、なんか上手に芸をして生きていくしかないのかなといまのところ思うのであった。
 ワシも若い頃は結構な美少年やったけど(嘘じゃないって、コラッそこ鼻で笑うんじゃない!)歳食って既に美しくもなくなっちゃったけど、まだしばらくはグダグダと生きていきたい。