2020年9月27日日曜日

白い疑惑

 一瞬をものすごく分割していくときいくつまで分けることができるのか?普通に考えると無限に分けることができるように思う。
 永遠という時間単位がこの宇宙で実際に存在し得るのかどうか良く分からんけど、永遠をものすごく分割していくときも、これまた無限に分けることができそうに思う。
 ほんの一瞬と永遠との間に期間の長さとしては様々な長さがあるにしても(長さを持たないと定義すれば”一瞬”は分けられないとしても)、どんな長さの期間もアホのように高速で活動できる存在にとっては永遠に近似するような長さを持ち得るのではないだろうか?などと哲学的なことを考えたりもする。
 ”朝露の一滴にも世界が映っている”っていわれるのと同じように一瞬も永遠を内に秘めることができるんじゃなかろうか?
 ナニも考えずに鼻くそほじくりながら日々をうっちゃってたら、100年生きてもなんら”生きた”といえるようなことをなしえないけど、例え夭逝したとしても、情熱を持ち日々を闘って生きたなら、その短い人生に数多くの素晴らしい生きた証を残せることを世にあまた存在してきた”夭逝の天才”が証明しているように思う。
 パッと思いつくだけで金子みすゞ、伊藤計劃、土田世紀、ブルーザー・ブロディ、カート・コバーン。その他にも沢山居るだろう。彼ら彼女らほど”生きられた”なら生まれてきたかいもあろうというものである。「移民の歌」を耳にする度に鎖振り回しつつ短く吠え続けながら入場するブロディの映像が脳内自動再生されるのはワシだけじゃないだろう。


 我が愛猫コバンは長生きできないかもしれない。

 連休明け、鼻水垂らしてクタッと元気がなく餌も食べなくなってオロオロして、病気を調べるための血液検査にも1月くらいしたら連れてこいと獣医さんに言われてたこともあり、洗濯ネットに詰めてキャリーケースに入れて動物病院に連れて行った。
 鼻水垂らして調子悪いのは「猫ウイルス性鼻気管炎」のようで、「炎症抑える抗生物質だしておくので飲ませて下さい。人間のインフルエンザと同様、症状を抑える薬は出しますが基本は免疫がウイルスやっつけるのでしばらく安静にさせれば症状は治ります」とのことでホッとしたんだけど、クタッとしてたくせに嫌がって先生の手を引っ掻いた末の血液検査のほうの結果は「猫白血病ウイルス(FeLV)」陽性と出た。
 こっちは割と怖い病気のようで、「猫免疫不全ウイルス(FIV)感染症」いわゆる「猫エイズ」とあわせて、猫の主要な死亡原因となってるらしく、”白血病”っていうと昭和のオッサンは山口百恵主演のドラマを思い出すわけで”血液のガン”っていう認識なんだけど、調べてみると”猫白血病”はちょっと違う印象でむしろ”エイズ”に近くて、骨髄で悪さをして稀に白血球が沢山作られる”白血病”的症状もでるようだけど、むしろ血球が減少して貧血起こしたり免疫系が上手く働かなくなって、感染症やらに日和見感染したり治りが悪くなって悪化したりという症状の方が多いようだ。
 健康な成猫であれば自前の免疫力でウイルスを体から排出することも多いようで、若いほど排出する率は低く、生後半年齢で50%とコバンはこのあたりなので排出する率は半々ぐらいだろうと思うことにしている(もっと小さいときから既に感染していたんじゃないと思いたい)。
 ネットでお勉強すると、
 「残念なことにFeLVを持続感染してしまった猫の70〜90%が1年半~3年の間に発症し、亡くなってしまいます。」
 という恐ろしい数字が出てきて、50前のオッサン怖くてちょっと泣いてしまった。
 野良ということで病気を持っていることもある程度想定していたつもりだったけど、いざその事実を突きつけられると、なんとも不安で悲しく恐ろしい。
 自分も含めて命ある者がいずれ死ぬのは運命で当たり前。ワシャまあ刺激的で面白い人生送れてると思うので死ぬのはあんまり怖くないと思ってるし(実際死にそうになったら怖いと思うけど)、正直可愛い愛猫と言っても所詮は犬畜生だと思えるぐらいには冷めた理性を持ってるつもりでもあったけど、今も横でスヤスヤ寝てたりするこの可愛い生き物があと数年の命かもと思うと、心の底から「そんなんイヤじゃ!」という気持ちが、コバンの死に対する恐怖が湧きあがる。
 明らかに”人間強度”が落ちていて、我ながら弱くなったと思う。

 予防的なワクチンは有効なようだけど、人間が罹る多くのウイルス性の疾患と同様に感染して発症してしまったら抜本的な治療法が確立されていない病気で、発症した病状にあわせて対処療法的な手当をするしかなく、発症していない現時点で免疫力でウイルスを排除してくれるのを祈るのとあわせて、動物の免疫系で作られる抗ウイルス的な役割を果たす伝達物質である”インターフェロン”を週1で一月位注射して免疫力をドーピングで底上げしてやって”陰性”に転じるのを期待しましょうと、獣医さんに治療方針を立ててもらった。
 検査もインターフェロンも結構お高いので、国民健康保険も当たり前だけど猫には使えず地味に我が老後の資金が打撃を食らうけど、ネコ様のためには仕方ない。
 あとは、猫ウイルス性鼻気管炎の症状が治まって食欲出てきたら、しっかり食わせて体力つけさせるようにというのと、なるべくストレスを掛けないように環境を整えてやって下さい、との指導があった。
 もっと早くに飼い始めていたら感染してなかったんじゃないか?とか、ワシが金持ちでいくらでもお金掛けられれば、快適な猫部屋を用意して、餌もアジの頭とか小麦と大豆が主原料の安っすいカリカリとかじゃなくてネコまっしぐらな感じの高級猫餌を用意してやれるのにとかグジグジ思ったけど、過去に戻れるわきゃないし、未来は現在から枝分かれしていくはずなので、今できることをヤレよと、タラは魚屋にレバは肉屋にまかせることにして覚悟を決める。

 まずは食欲無い時点で抗生物質の粉薬を飲ませるのはどうすれば良いのか?ってあたりがそもそも初心者”ネコっ飼い”には分からんので動物病院の看護師さんに聞いたら、「チュールに混ぜてあげれば食べますよ」と教えてくれた。
 ホントかよ?って半信半疑で前日から好物のアジの頭の焼いたのさえ食おうとしないのにさすがに食わねえんじゃないか?って疑ってゴメンナサイ。
 信じられないぐらいに食いつく食いつく。ワシの手に付いた魚汁とか舐めるのも好きなので、チュールの付いた指を舐めさせたら、舐めるどころかがっついてきやがって甘噛みじゃない割と本気の肉食獣の咬合力で指の表と裏に穴が開いて血がタラーッと流れ出る始末。
 水産缶詰会社の”いなば”のペット関連の子会社が作ってる商品で、小さくパッケージされたユルい練り餌状の”ネコのオヤツ”なんだけど、この異常な食いつきはマタタビとかイヌハッカとかのネコに対する麻薬的な原料が使われてるんじゃなかろうかとネットで調べてみたら、麻薬的成分はどうも含まれてないけど海外でも「KittyCrack(ニャンコ用コカイン)」と呼ばれるほどの大ヒット商品のようである。
 これは良いモノである。ただ餌をペースト状にしただけの小袋のわりにはチョイお高い。
 ならば、新鮮な原材料なら我が家にもあるぞと言うことで、金は無いけど暇ならあるので焼いて冷蔵庫保存していたアジの頭と皮をナメロウ作る勢いで叩きまくって、ちょっと味付いてたほうがいいのかなと、本家チュールの味見をしてみて薄い塩味ぐらいにメンつゆで味付けて適宜水を加えて練り餌的な感じにしてみた。

 「これ、ひょっとして我が家では材料費ほぼタダで手に入るから、ネットフリマで売ったら小金稼げるんじゃネ?売るときの名前は本家がチャオチュールだからヂャオヂュールで行こう!」と捕らぬタヌキの皮を算用するぐらいに良い感じにできたんだけど、コバンの反応はイマイチ。最初ちょっと食ったので成功かと思ったら、次から食わなくなった。病状悪化して食欲落ちたのかなと不安になって試しにヂュールの上に本家チュールをかけてみたら、本家だけ綺麗に舐めとりやがった。
 何が違うンやろ?と偽物の方を舐めようとしたら、えぐみの強い風味がまず鼻に来て舐める気が失せた。本家チュールはカツオ出汁の良い匂いが濃く香り立つ感じで舐めるのになんの躊躇もしなくてすんで、猫用にはそれでも塩分多いのでオヤツにたまにあげるだけにした方がイイらしいけど、なんならもうチョット塩気足してやってご飯に乗せてワシが食っても良いぐらいだったのと対照的である。誰や?ネコは味で餌を選んでないとかアホな論文出したヤツは?っていうぐらいで、香りも含めた”味”をネコは間違いなく区別している。それに反する実験結果が出たら実験の前提なり手法なりが間違ってると思った方が良いと科学者に忠告しておく。

 ヂャオヂュール長者にはなり損ねたけど、嬉しいことに抗生物質とかインターフェロンが効いてくれたのか、コバンの免疫系が頑張ったのか餌食わなかったのは2日ほどだけですんで、現時点では食欲も出てきて部屋に紛れ込んだ蛾も追いまわして食うなどやんちゃぶりを発揮しつつアジのアラもカリカリもモリモリ食ってくれている。
 いま体重4キロちょっとなので、ガンガン食わせて体力つけてやって6キロぐらいに育てるのが当面の目標か。冬の青物の時期までにそのぐらいまで育てて6キロオーバーのブリを一緒に食おうぜコバン。
 ストレス軽減のため、ケージに入れるのも必要最低限にすることにして夜も部屋の中に放流してあるけど、調子悪かった日に心細かったのか隣で頭をワシの腹にくっつけて寝てくれたけど、元気になってきたらいつもの習慣でか、ケージ内のキャリーケースの屋根で寝てたりする。ちょっと寂しい。冬になったらお互いの体温を求めてもっと密着できると期待している。

 状況は楽観できない。そうだとしても、日々を一緒に精一杯楽しく暮らして、コバンの一生が短いものに終わるとしても、その間に沢山可愛がって、沢山遊ばせて、沢山食わせてやろう。

 コバンのおかーちゃんのウニャ子は秋にも子供産んだ気配があって、その生産力の高さ?に戦慄を覚えるくらいだけど、産まれた子供で見かけなくなったのが全部死んだとも思いたくないけど、春7匹生まれたうち既にコバンとハイカグラ、テブクロぐらいしか現時点で生き残っていないかもしれない状況をみるに、餌はあちこちでもらってるとはいえ野良猫が半野生で生きていくことの厳しさを思い知らされる。あたりまえだけどワクチン注射とか受けてないし病気で結構死ぬんだろう。だからバンバン産まなきゃ命を繋げない。
 そのことについて可哀想だと簡単には書きたくない。野良には野良の厳しい中で生き残る充実した生涯があると信じたい。
 野生動物を可哀想だからと柵に囲うのが、必要なときもあるかもだけど、必ずしも正しくはないのと同様だと思う。
 野良猫の幸せには人間も関係してくるんだろうけど、基本その野良猫の責任である。自らで未来を勝ち取り生き残れ。
 飼い猫の幸せはだいたい下僕である飼い主の責任である。精一杯幸せにしてやらねばならないと、短い命かもしれないと覚悟するとなおさら思わされる。

 今コバンは胡座かいた股ぐらに乗ってきて寝てるけど、とりあえず可愛いので手間も金もかかるけどゆるしちゃう。コイツが死んだらワシ耐えられるんかいな?先のことは考えても仕方ないので、とりあえずキーボードを叩く手を止めて撫でまくってやろう。ういやつめ。

2020年9月19日土曜日

予想外の面白さ


 今回、サイトの方の「アニメ・映画など日記」の出張版でお送りいたします。

  日本の深夜アニメにおいて、女子高生になんかやらせるっていうのはすでにある種の様式となっており、女子高生にオッサンの趣味をやらせるというのももはや定番で驚くには値しない。例をあげると女子高生がキャンプする「ゆるキャン△」、女子高生がエアガン使って”サバゲー”する「さばげぶっ!」などである。まあ「さばげぶっ!」の原作マンガが少女マンガ誌の「なかよし」掲載だったていうのは、今時の女子はなんちゅうもんを読んどるんじゃ!と驚いたけどな。

 そんな中で、前期に始まったけどコロナ禍で製作が一時止まってて今期続きが始まった「放課後ていぼう日誌」は女子高生が主に”釣り”をするというマンガ原作のアニメで、正直あんまり期待しないで視聴し始めたんだけど、コレがなかなかどうして面白いっていうか、ハッキリ言って「釣りキチ三平」以降最高の釣りマンガ・釣りアニメだと現時点で確信している。

 釣りマンガとかって、一般的な釣り人レベルの作者が描いたところで、内容が浅すぎてつまんない。それは、技術的なレベルの話では全くなくて、何というか釣り人の精神的な部分の高い低いの問題だと思っている。プロの釣り師が技術監修したところで、細かい釣りの技術なんてのは時代と共に変わっていくような表面的なもので、あんまりそこが細かく詰められていたとしても本質的な面白さには関わってこないと感じている。逆に作者の釣りの技術がそれ程ではなくても、釣りという世界にドップリはまり込んでいて、沼の底から書いているような作者の作品は多少技術的に荒唐無稽な描写となっていようがどうしようもない面白さが湧いてくる。マンガじゃないけど開高先生も技術的には”職業釣り師”的な上手さはないし、夢枕漠先生も映像見る限り自己流で失礼ながらあんまり上手ではない。しかしながら両先生共に”釣りっていうのがなんなのか”っていうそれぞれの哲学がしっかりとしていて、かつドップリと沼に沈み込んでどうしようもなくなっているのが手に取るように分かる作風で、読んでいて身につまされるし面白い。

 釣りマンガでコレまで読んで面白かったのって「釣りキチ三平」を除くとあんまりなくて「おれはナマズ者」「釣り屋ナガレ」あたりがまあまあ面白かったなというぐらいしか記憶にない。多くは作者があんまり釣りのこと分かってなくて、適当なグルメマンガ要素でお茶にごしているにすぎず、まあ日本の釣り人の一般的なレベルってそんなもんなんだろうなっていう感触で、沼の底に沈んでるような釣り人を対象とした作品書いたところで読んで理解できる人間が少ないから仕方ないって話だろうと諦めていた。マンガは描くのに特殊な技術が必要なので沼の底の釣り人が直接描くのは難しいけど、文章はそれなりに誰でも書けるので沼の底からの濃厚な出汁の出た報告とかは書籍でもネット上でも読めるのでそういうのを楽しんでおけば良いと思っていた。

 ところが「放課後ていぼう日誌」は例外的なぐらい面白い。海辺の高校に通う女子高生が堤防で釣りしたり干潟であさりを搔いたりという活動を部活として行う”ていぼう部”に入って釣りを楽しむっていう、設定聞くだに駄作っぽい香りが漂ってくるんだけど、これがなかなかに鋭い鋭い。釣りの技術的には「釣りキチ三平」のような奇想天外な策略も出てこないし、釣りのプロ様が監修したような今時の技も出てこない。初めて釣りをする主人公に部員達が教える形で技術的には基礎の基礎的な部分の解説とかが割と多い。ただ基礎っていうのは一番大事な部分だから”基礎”たりえるわけで、そこがしっかり押さえられているのはむしろ好感度が高い。部活モノのアニメで”プール回”があるのはお約束としてもそれが”着衣水泳”の練習回だなんていうのは最も大事な基礎である”安全第一”っていうのが分かっている釣り人じゃないと描けないはずである。それを堅苦しくなく女子高生のキャッキャウフフな部活風景の中で描いているのである。鋭いぜ。

 その鋭い作品のなかでも、原作者分かってらっしゃるなと特に感心した話を上げるとすると、主人公の相棒が、釣りって同じようにやっても釣れないことがあってそれも含めて面白いと思うんだけどね、っとか言っちゃうところとかも大きく頷かされたけど、直近2話の”アオサギ回”と”のべ竿回”が著しく鋭くてほとほと感心、脱帽である。

 アオサギ回では主人公がリリースしようとしたガラカブ(カサゴのこと。言葉遣いで九州熊本あたりが舞台と分かる)をアオサギにかすめ取られてムカつくんだけど、その足に釣り糸が絡まっているのを見つけていたたまれなくなって、結局そのムカつくアオサギを捕獲して釣り糸を外してやることにする。それだけならありがちな陳腐な描写になるのかもしれない、ただ今作では、救助目的でも野鳥の捕獲には許可が必要なので先輩が役所の許可を取ってからとっ捕まえて糸を外してやる。コレって実際にやったことある人間かやろうとした人間じゃなければ知り得ない知識であり、原則的には狩猟免許が必要なのかな?ぐらいに思ってたけど、ワシも恥ずかしながら正式な手続きはそういう段取りなんだと初めて知った。救助目的の特例的な許可があるんだな。勉強になりました。ちなみにワシは過去無許可で勝手に捕まえている。鳥の足に釣り糸が絡まっている。可哀想だなと思う。多くの人がそう思うだろう。ただ面倒くせえ手続き取ってまで捕まえてでもどうにかしてやろうと思える人は少ないだろう。それだけで尊敬するに値する。釣り場に平気でゴミを捨てていく輩と真逆の高潔さを感じたと言ったら大げさだろうか。自分も根掛かりで釣り糸を釣り場に残すことがないわけじゃないので、その罪深さを改めて認識させられたお話しで、やっぱり”根掛かり覚悟”なんて釣りは下策で避けなければだし、釣り場のゴミは拾いきれないくらいだけれど、明らかに釣り人が原因で下手すると100年単位で環境に悪影響を与え続ける代物であるラインゴミぐらいは回収できるだけ回収していこうと、ここに新たに誓うぐらいに心に訴えるものがあった。

 のべ竿回では、アジゴ(小アジ)をのべ竿に浮子仕掛けで釣る。アジゴはコマセサビキで主人公が初めて釣った魚であり、その後も何度も釣ってるので最初他の魚が良いって言ってたんだけど、いざ釣ってみると柔くて良くしなって直接的な手応えの延べ竿の釣り味にすっかり魅了される。”のべ竿の釣りは独特の面白さがある”っていうか超面白いっていうのはワシ40年から釣りしてきて割と最近になってやっとたどり着いた境地である。まいりましたと言わざるを得ない。原作者ものすごく心根のしっかりとした程度が高い釣り人であるとお見受けする。それは技術的に上手とかそんなことよりずっと価値のある素晴らしいことだとワシャ思う。

 っていうのべ竿回であからさまな間違いをみつけてしまいオッサンちょっと安心した。あんまり完璧すぎるのも何だしまあご愛敬ってところだろう。小さい緑色のベラが釣れて逃がしてあげる場面があり、そのベラがキュウセンの雄だとされてたんだけど、普通の釣り人なら「ベラの仲間は性転換する種が多くてキュウセンは小さいうちはみんな雌」っていう突っ込みを入れるところなんだろうけど、それでは突っ込みとしては甘くて間違っている。キュウセンには実は小さいときから雄の個体が少数ながら存在する。ならアニメの描写は正しいのでは?となるけど、そうはならないのがキュウセンなんていう身近な魚の実は面白い生態。小さいときから雄の個体は緑の”アオベラ”じゃなくて、小さいときには色は黄色オレンジに黒ラインの普通は雌の”アカベラ”の色をしているのである。だから正確には「小型のキュウセンには雄であっても”アオベラ”の色をしたモノはいない」と突っ込むのが正しい。小さいときから雄の個体は、雌の体色で雄が引き連れる雌ハーレムに紛れ込んで産卵行動に参加すると聞いている。アカベラの見た目の雄は人間の目には外見上雌と見分けが全くつかないのだけど、同種の雄には一緒に飼育して産卵させようとすると追い払おうとする行動が見られるので、どうもじっくり時間を掛けると理由は分からんけどバレるらしく、ハーレムの主に隠れてバレないうちに卵に精子をかけなければならないとかの都合上か、コイツらの精巣は大きく、大型化して本来の雄の体色である”アオベラ”化しても精巣が雌からの性転換組と比べて大きいので最初からの雄だと区別ができる。ついでに雄に性転換せず雌のままの一生の雌個体もいる。「キュウセンなんて外道」とか言って食味の良さも知らないような釣り人はこういう面白い話にたどりつけないだろう。どんな魚でもつまらない魚なんていないんである。

 なんにせよ放送終わったら原作マンガの方も買わなければならんなと思っている。釣りする人もしない人も楽しめる作品だと思うので超お薦めしておきます。

2020年9月12日土曜日

悲しみよおはようございます


 今朝、コウタイが水槽の底に腹を上にして沈んでいた。
 2009年の5月に購入して、今年で11歳と寿命が5~10年とされるなか老齢で、ここ数年はヒレも再生しにくくなってて、老齢の淡水魚の典型だと思うけど所々破れ傘のようになってて、台風の時に血が滾ったのか暴れた後、餌を食ってくれなくなって、冒頭の写真の様に水草に頭をあずけて背中を水面に出したままジッとしているようになり、これはいよいよ最後の時を迎えようとしているんだなと覚悟はしていた。
 命ある者はいつか死ぬ、年を食ったら死ぬのは当然の摂理。そう知っていても覚悟していたつもりでも、なかなかに寂しいモノがある。
 よく犬猫の死によって飼い主の心にはその犬なり猫なりの形に穴があくと言われるけど、なるほど確かにコウタイの形の穴が開いてるような気がする。
 その穴を埋めるには新たにまたペットを飼って、似たような形で埋めてもらうのが一番だとも言われている。
 実は小型のライギョの仲間を飼育するのはこのコウタイが2代目で、先代はレインボースネークヘッドというインド産の美麗種で、そいつが死んだときもやっぱりその形に心に穴が開いて「もう魚飼うのはやめて今居るスポッテッドトーキングキャット(南米産小型ナマズ)が死んだら観賞魚飼育は終わりにしよう」と思ったのだけど、同居人の強い希望もあって再度飼育することにした。穴は良い塩梅に埋めてもらえた。

 小型のライギョの仲間の良いところは、とにかくバクバクと餌を食ってくれて物怖じせず人に良く慣れるところで、観賞魚飼育において餌やりは楽しいひとときだけど、彼らは慣れてくると人が水槽の前を通ったりすると、硝子前面に頭の先をすりつけるようにして体を左右に振りまくる”餌くれダンス”と言われる行動をとって、餌をやるのに蓋を開けようとすると蓋にジャンプして頭突きカマしてくるぐらいのがっつき具合で、餌も肉食魚用の人工飼料から、釣ってきたハゼ、夜窓に飛んできた虫、魚料理した後のアラの切れっ端、なんでもパクついて、食うと一旦沈んでモグモグと頭を動かしながら飲み込んでいくのも愛嬌があって楽しい。
 コウタイはレインボースネークヘッドと比べても食いしん坊で、かつ身体能力が高く、手に持った餌をジャンプして咥えて水中に戻るとか、まあ野生では水上の昆虫とかそうやって食ってるんだろうけど、なかなか感動的で生きたハゼとかの小魚をあげたときに見せる興奮して襲いかかる”これぞ魚食魚”という獰猛さも素晴らしかった。
 あと、掃除するのにポンプを囓るのはともかく、ワシの手もよく囓ってくれて結構痛かったのも今となっては懐かしい。
 そういう迫力ある魚食魚が、飼育下では30センチ以下ぐらいなので細身で長さのわりには”小さい”こともあって一般的な60センチ水槽で飼えてしまうのである。迫力なら大型の魚食魚の方があるだろうけど、50センチ以上とかに育つ魚には最低でも120センチ水槽が必要になってきて、なかなか一般家庭では飼育が難しい。

 水質とかにもあんまり気を使わなくて良くて、月に2回の半分換水と数年に一度の底砂と底面濾過装置のフィルターの掃除で問題なく、関西で一時帰化していたぐらいで室内なら加温無しで冬を越せるのはともかく、関東の都市部の夏の酷暑による水温上昇とそれに伴う溶存酸素量の不足も、ライギョの仲間なので上鰓器官を使った空気呼吸でプカっと息吸って平気の平左。

 買ってきたときは15センチ強だったけど、最終的には23センチぐらいになっていた。
 最初は隠れ場所として植木鉢とか入れてたけど、あまり隠れないので後年大きくなったこともあり遊泳できる面積を増やすのに、底面近くにはモノを設置せず、植物始め吊した流木やら鉢やらを水面近くから水面上に配置して、植物が茂る水辺っぽい景観にしていた。
 植物の作る影が水中を薄暗くして、その中を泳ぐコウタイの白銀の斑点がギラギラとしてなかなかに目を楽しませてくれた。

 飼育者としてできる限りのことはしてきたつもりだけど、果たしてコウタイは”幸せ”だったのだろうか?人間の感覚で他の生き物の幸せとか推りようがないので考えてもせんないことかもしれんけど、養殖されて一度も自然の世界に出ることなく、繁殖の機会もなかったのはどうなんだろう?と考えると、生き物を飼育することにつきまとう罪悪感は拭えない。
 だとしても共に暮らした月日がかけがえのないものだったという、こちらの都合だけど、その思いは揺るがないように思う。 
 11年の永きにわたって楽しませてくれてありがとう。心からの感謝を捧げる。

2020年9月6日日曜日

いろいろと甘い生活


 ねこっ飼いの朝は早い。

 夜は居室内のケージに入れるんだけど、最初は嫌がって底に敷いたダンボールをガリガリしたり鳴いて抗議したりで「オレこいつと暮らしていけるんだろうか」と不安になったけど、っわりとすぐにケージに入れたら寝る時間と学習してくれて、病院への送迎とかに使うキャリーケースの中に古タオルを敷いて寝床を作ってあげたんだけど、キャリーケースの屋根が夜寝る定位置になっている。なんかスヌーピーみたい。
 とはいえ6時前ぐらいには起きだしてゴソゴソやり始めるので、こちらも起きて、布団上げて掃除機掛け→ケージの扉開放→ブラシ掛け→餌→猫トイレ掃除、とネコ様の下僕として朝の一連の作業をこなさねばならぬ。

 トイレは問題なく猫トイレの砂にしかしないし、餌も好き嫌いなく食べてくれてその点は楽。カブト割りにして焼いたフッコの頭とかの大物はケージの外で食おうとするのでその時だけケージの扉を閉める。爪研ぎも柱とか襖じゃなくて座椅子の背を気に入ってくれたようで、座椅子ならまあボロくなったら買い換えれば良い程度なのでありがたい。市販のダンボール製爪研ぎも用意したけどたまに囓るぐらいであまり使ってない。
 猫が飼い主の買ったモノを思惑通り使ってくれないってのはお約束らしい。

 ただ、まだ生後半年ちょっとぐらいの子供なのもあるのか単に性格なのか、コバンやんちゃで困る。
 猫って一撃必殺の瞬発力で狩りをする生き物なので、群れで獲物を追跡する狩りをする犬に比べると運動量が少なく、一日の大半を毛繕いと眠りに費やしてるので、もちろん散歩とか連れて行く必要もなく楽なんだけど、一日のうちに2回ぐらい活性が上がる時間帯があって、だいたい朝飯食った後と夜寝る前なんだけど、たまに変な時間に暴れ出したなと思うとその後トイレすることが多い。これもわりとありがちな現象らしく”トイレハイ”というそうな。

 活性があがってる時は、オモチャとして与えてあるフック外したルア-2個を投げてあげたりして遊ばせるんだけど、活性上がってるときは興奮して歯止めがきかないのか、普段は爪を立てないように気をつけてくれてるんだろうけど、ルアー投げるまえに目の前でじらして動かしてるときとか、まだ興奮冷め切ってないときに不用意に手を出したときとか爪立てて引っかかれる。ひっかき傷が絶えない。まあ猫だからいたしかたない。

 活性が上がると、部屋中走り回って高いところにも登りたがって、ゲージの上やら飛び上がるのは良いンだけど、意外と大丈夫だなと思ってた障子の戸を、桟をハシゴのようにして駆け上がって欄間にセミのように張り付きやがって、障子下の方は裏にガラスが入ってたので最悪脱走はしないだろうと高をくくってたけど、こりゃどうにもならんと空き部屋の襖と入れ替え。まあ猫だからいたしかたない。

 このぐらいは大丈夫かなと思うことはだいたいダメで、パソコン下のカラーボックスの中に筆記具とかこまごまとしたものを収納して、その前をケージで蓋してたんだけど、ケージの隙間から猫の手が入るけど大丈夫だろうと思ってたら、むしろ逆に手を突っ込んでモノを引きずり出すっていうのは好きなようで、気がつくとボールペンとか引っ張り出してガリガリ囓ってたりするので、ケージを猫の手が入らない細い網目のに変更した。まあ猫だからいたしかたない。

 群れで暮らして序列や掟のハッキリしている狼由来の犬と違って、基本単独行動の猫は親兄弟との関係とかからある程度の”しつけ”は受けるようだけど、あんまり”しつけ”てどうこうできると期待すするような生き物ではないようで、ネコ様のやりたいようにして問題が生じないように下僕である人間が工夫するのが基本のようである。
 ただ、親がクケッとか鳴きながらおイタをした仔猫に猫パンチ食らわせている様子はわりと見るので、まったくしつけができないというわけでもなく、猫を叱ってしつけるのはダメです的な”猫ッかわいがり”が過ぎる識者の見解は正直疑わしいと思っている。


 ネットでお勉強したところによると、直接叩いたりするのは飼い主に対する不信感を募らせることがあるので望ましくなく、大きな音とかが嫌いなので、やっちゃイケないことをしたときには何か落下音とか猫が驚く音を出して、やっちゃイケないことをすると嫌な音がすると学習させるのが次善の策で、一番良いのはやっちゃイケないことより楽しそうなオモチャとかで気をそらせて止めさせるのが最善だとか。


 まあ、そういう”おイタ”の問題やらトイレ掃除に餌にと面倒臭いんだけど、足下で無防備に寝てる様とか、帰宅すると喜んで足下にスリスリしてくる様とか、一緒に昼寝してると髪の毛舐めてグルーミングしてくれる様とか、雷にビビってケージに隠れる様とか、太い前足の好ましさとか、投げたルア-に突撃する野性味あふれるしなやかな身のこなしとか、なぜか白目剥いて寝てる様とか、喉を撫でてやったときに細くなる目とか、暗がりでこちらを見つめる丸く開いた瞳のウルッとした感じとか、数え上げるときりがないぐらいに面倒臭さ以上に可愛さにあふれているので、ネコ様の下僕も悪くないなと思う今日この頃である。