ラベル 鳥見 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 鳥見 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年3月24日火曜日

勝ち馬に乗る

  以前当ブログでも紹介させてもらいました、もう自然に増えるのを待っていては間に合わない状況になっている日本のイヌワシを、人工的に繁殖させて南三陸の自然に野生復帰させて、絶滅を防ぐという「INUWASHI AGAIN 南三陸イヌワシ野生復帰プロジェクト」のクラウドファウンディングが、先日見事目標額の1千2百万円を突破し当初目標を達成しました。当ブログの読者様でご協力いただいた方々、プロジェクトチームに代わって深く御礼申し上げます。

 額も大きく、前例の無いプロジェクトだったので、どうなることかと心配しましたが、これまで取り組んできた実績、差し迫った必要性、実施に携わる人々の熱量、そしてなにより、空にイヌワシが舞う姿を見続けることができる未来に是非なって欲しい、という多くの人々の願いが、形となったのだろうと思います。

 目標額は初年度の予算のおよそ半額としていたそうで、このまま勢いに乗ってもう少し活動が確実に行えるよう資金を集める方向で、26日締め切り(あと2日!)で追加のゴール1千5百万円を目指して、現在クラファン継続中です。当初目標も順調に集まり、出だしは好調、難しい事業だとは理解していますが、南三陸をはじめとした日本の空に多くのイヌワシが舞う光景が近づいたように思います。今、クラファンに協力すると、「イヌワシが国内絶滅の危機から逃れられたきっかけになったプロジェクト、ちょっとオレも手伝ったんだゼ」と後々誇らしく自慢出来るかと思います。あと、返礼品のグッズも格好いいのが揃ってます。

 ということで、まだこの波に乗れていない方は、是非この機会にクラファンに賛同して、ご協力いただければと思っています。

(画像、イラスト引用:「南三陸イヌワシ野生復帰プロジェクト」公式サイトより)


※25日に無事追加目標達成!26日の最終日までに15,603,000円を集めてクラファン無事終了。今後も実際の活動が続いていくし、また支援が必要な場面もあるかもです。また、お願いすることもあるかと思いますが、とりあえず関係者の皆様のご努力と支援いただいた方々に感謝。

2026年1月31日土曜日

If we could. We surely would.

 イヌワシという鳥を見たことがあるだろうか?ワシゃ中央アジアのカザフスタンにナマズ釣りに行ったときにオジロワシと共に見たことがあるけど、国内では恥ずかしながら福岡の動物園だったかで見たぐらいで、空を飛んでいる姿は見たことがない。翼を広げると2mにもなる大型の猛禽類で、一般の人が目にするとしたら東北楽天ゴールデンイーグルスのマスコットキャラクターぐらいだろうか?そう、ゴールデンイーグルと英名では呼ばれる鳥がイヌワシなんである。

 まあ翼長2mってちょっと想像がつきにくいかもだけど、マンガ「乙嫁語り」やNHK「地球ドラマチック ワシ使いの少女~モンゴル アルタイ山脈の麓で~」では、イヌワシを使った鷹狩りの様子が紹介されていて、普通鷹狩りっていうとウサギとかカモ類とかを狩る印象だけど、イヌワシ使ったワシ狩り?ではキツネとかを獲物にできるといえば多少想像できるか?当地紀伊半島でもお馴染みの最も日本人になじみ深い猛禽であるトビが翼長150cmぐらいらしく、トビが気流に乗って舞ってる姿やあのピーヒョロローという鳴き声にはなんとも雄大な気分にさせてもらえるぐらいで身近な鳥では大型の部類だと感じるけど、まあ長さでそのぐらい差があると現物の迫力は倍で効かないぐらいだと思う。ちなみにイヌワシを狩りに使うのは中央アジアのカザフ族の文化らしく、カザフ族の国という国名のカザフスタンはすでに石油とかの鉱物資源で景気が良く近代化が進んでいてあまり見られないようで、主にモンゴルのカザフ族がその伝統を今に伝えているそうな。

 で、東北を本拠地にする野球球団がシンボルにするぐらいだから、東北にはいっぱい飛んでるんだろうって思うと、そうではなく国内絶滅の危機が間近にせまるぐらいに数を減らしているそうな。ワシが若い頃にお世話になった志津川(現南三陸町)にも昔は飛んでいた。それが2012年以降は見られなくなってしまっているという。

 ワシが鳥の話については全幅の信頼をおいて、種同定とか迷ったら教えてもらう”鳥の人”は実は東北時代に仲良くなった人で、彼も当然故郷の山にイヌワシが居なくなったことを残念に思っている。思うだけなら誰でもできる。彼の凄いところは口だけじゃなく手が動くところで、それもワシがゴミ拾うみたいに自分の手だけ動かしているワケじゃなく、林業に携わる人やスポンサー企業なんかも巻き込んで、これまでもイヌワシが餌を獲るために重要な”草原”を確保するために、今あちこちで山火事が問題になっているけど、昔は山林には山火事の延焼を防ぐため、火防線という木が生えてない尾根沿いの草地が設けられていたんだけど、手入れが行き届かなくなっていたのをみんなで整備してきた。日本の山野で減ったのは手つかずの原生林や人里の里山ではなく草原であるという報告もあるそうな。草地を増やした結果、志津川の山にはイヌワシの餌となるノウサギやヤマドリが増えて、現在イヌワシが生息している地域よりも餌環境は良くなっているとのこと。でも、イヌワシは帰ってきてくれない。なぜならイヌワシ自体が数を減らしすぎて増えにくくなっていて、若い鳥が、待っていて他の生息地から供給されることが期待できないぐらいの危機的な状況のようである。

 環境省のレッドリストでもイヌワシは絶滅危惧ⅠB類という上から2番目の整理。環境省としても手をこまねいてるわけにはいかないけれど、ご存じのように力も利権もあんまり持ってない省庁だから、予算も潤沢には持っていない。重要性は認識していてもない袖は振れないから予算が降ってくるのを待っていたらイヌワシ国内絶滅してしまうというのが、もう目に見えている危機的段階。で、鳥の人たちどうしたか?急がにゃならんので、クラウドファウンディングで金集めてやっちまえ!となった。それが今回紹介したい「南三陸イヌワシ野生復帰プロジェクト」である。

 野生で巣立ってくるのが期待できないなら、動物園で繁殖させた個体を野生復帰させていこう。と言えば単純だけど実際には、その段階で失敗に終わった日本産のトキの例を出すまでもなく、難しい試みである。まずは繁殖の技術から野生復帰させる手法から、動物園、復帰に携わる技術者、学ばねばならないことは山とあるだろう。先例としては鳥類という括りなら、中国から大陸の個体群の親を譲り受けて野生復帰、定着をある程度成功させているトキとコウノトリ、国内個体群から親を確保して試行錯誤しているライチョウという例はある。イヌワシの先例としてはスコットランドがあるとのこと。やってできないことはないという腹の括り方か、やってできなければ絶滅あるのみという焦燥感からか、いずれにせよ”やる”と決断した関係各位には最大限の敬意を覚えるところである。

 すでに、先進事例等に基づいて「南三陸イヌワシ野生復帰プロジェクト 実施計画書」を策定し、種の保存法の規定に基づく、国(環境省)のイヌワシ保護増殖事業計画に適合している旨の認定を環境大臣から受けているとのこと、あとはオゼゼの話である。

 この話は、動物愛護団体の「クマがかわいそうだから殺さないで」とは感情論だけで動いていない点で大きく異なる話であると、当ブログの読者様にはお分かりいただけるだろう。頂点捕食者の存在が、餌となる草食動物の生息数や行動に影響を与え、植生を変え河川流路さえ変えうるぐらいに、生態系全体にとって大きな鍵となることは各種報告されている。また、そういう頂点捕食者が存在するためには逆説的に豊かな生態系の存在が前提となる。加えて、現実として火防線も整備されていないような山林では昨今増加しつつある山火事で人の命さえ危うくしかねない。頂点捕食者であるニホンオオカミを絶滅させてしまったしっぺ返しは、現在シカやイノシシによる作物への食害という形で我々が受けていることは、見たら分かるでしょこのしまつ?って感じである。今なら間に合うとすれば手を打たねばと思う。

 と同時に、まあクマかわいそうも、分からんではないと多くの人も思うだろうし、それと住んでる人の安全と天秤に掛けて、上手に棲み分けるなり、個体数管理するなり感情論だけじゃないけど感情論も考慮には入れて、野生動物とはなんとか落としどころを見つけて”和解せよ!”なんだろうなと思うなかで、遠くの懐かしい山をイヌワシが優雅に飛んでくれたら、それはとても素晴らしいだろうなと、ワシも感情論で思ったりもする。クマに襲われて亡くなった動物写真家の星野道夫氏が、人にとって、たとえ都会の街で暮らしていても、遠く離れたところでカリブーたちが大移動している、っていうことは重要なことであり必要なのではないか。という旨エッセイで書かれていたと思うけど、そういう気持ちは確かにある。もし日本の空にイヌワシが舞わなくなったら、舞っていると思えなくなったらそれはとても良ろしくないことではないかと直感的に思う。

 クラウドファウンディングというのは、ワシの大嫌いな”選挙”と違って、直接的にその行おうとする策に金で”1票投じる”ことができるので、ワシ嫌いじゃない。公共予算には公共予算の、デカい、それこそ国家的プロジェクトを行えるだけの枠組みという利点があるけど、結局政治的な綱引きでどうこうされてしまうので、政党支持母体の利益団体の好みに合うようなものになりがちで、まあクソ食らえと思うような方向に行きがちである。その点、クラファンは「是非やってくれ」って思える事業を直接支援できる。ほっとけば要りもせん釣り具ばっかり買うことになるから、たまにはこういう大事な事業を支援するために身銭切っても良いんじゃないかとワシャ思う。なのでチョロッとだけど支援させていただくことにした。

 あと、クラファンの良い点には話が早いってこともあって、公共の予算とか引っ張ってこようとしたら面倒くせえうえに時間が掛かる。クラファンの良さを初めて認識したのは「コロナ禍で金がなくなり法隆寺」が当面の修繕費やらの運営費をクラファンで集めたという記事を目にして、そんなもん本来は国の文化財保護の予算でやるのが筋だろうと思うにしても、予算組んで来年度施行とかでは間に合わねぇってときにサクッと目標額集まってて、これはなかなか凄い仕組みだなと思わされたものである。

 ま、クラファンで金集めてるって言ってもピンキリで、中にはポケットにナイナイしうよとたくらんでるような輩もいるだろうし、そういうのを避けるための選球眼とかがクラファン利用時には求められるんだろうけど、今回の事業はそういうのはまったく心配しなくて大丈夫。これまでやってきたことや、環境省のお墨付きとってることを見れば客観的にもちゃんとしているというのは分かると思うけど(クマさんのために森にドングリ撒きましょう、では環境省はさすがに認めんと思う)、もっと端的に、鳥の人は鳥が大好きで、その好きさ加減はワシが魚を好きって以上のモノがあり、そういう鳥の人が、全力で鳥のために取り組む以外のいらんことをするとはまったく考えられないので、ナマジの魚好き具合を信頼できると思うなら、鳥の人はそれ以上に間違いのない鳥好きだと信頼してもらって大丈夫です。

 ということで、普段鳥を殺しかねない釣り糸使っていて、種族「釣り人」全体としては釣り糸で沢山鳥を殺してきている我々は、罪滅ぼしに可能な範囲でご支援してもバチはアタらんと思うのです。ぜひご支援をお願いします。我がブログの読者さんは数は少ない、少ないけどモノの分かる精鋭だと誇りに思っております。そのうちの何人かでもクラファンに協力してくれて、南三陸町の空にイヌワシが舞ったときに、共に「オレもちょっと手伝ったンや!」と誇らしい気持ちになれれば重畳。そういう未来にできるハズだし、きっとそうなるでしょう。

(画像、イラスト引用:「南三陸イヌワシ野生復帰プロジェクト」公式サイトより)

2025年12月20日土曜日

フグと和解せよ!

  今からカリスマ釣り師(自称)のワシが書く技術は、本当なら極秘にしておきたいぐらいの核心を突いたものである。にもかかわらずあえて公開するのは、心ない釣り人に陸上に放置されるフグたちの姿など見たくないからである。当ブログの読者さんは幸運である。こんな素晴らしい技術がタダで教えてもらえるなんて、釣具屋の回し者の言うこととか聞かされた日には、やれロッドがどうのこうの、やれルアーがどうのこうのと、いやっちゅうぐらいに散在させられるはめになるのは自明だけど、ワシの今回紹介する技術は基本的にはお金はかからない。それでいて効果は波及効果も含めて驚くほど大きく恩恵がデカい。是非最後まで読んでいってください。そしてできればお友達にも教えてあげてください。
 大事なことなので太字で書きます。

 フグの猛攻を防ぐのに一番良いのは、釣れたら則リリースしてフグを警戒させ”スレさせる”ことである。

 これは年間200日から釣りに行き、その多くの時間をオカズのマアジ釣りに費やしてきたカリスマ釣り師ナマジが、経験と実戦と考察と試行錯誤でたどり着いた境地であり、少なくともうちの近所の漁港では鉄板の技術で、そうやってスレさせたフグたちは、その日だけでなくしばらくは学習して刺し餌をなかなか食ってこなくなり、コマセをついばんでまき散らす「自動コマセ拡散機」とさえなってくれるという事実。これは一緒に豆アジ釣りしたツーテンの虎ファンさんもひじさんも目撃しているところであり、とち狂ったワシが言うてるだけではないのでご安心を。ちなみに魚の学習能力については川村軍蔵先生の著書とかによると、コイで実験したらハリにかけられた後、半年くらいは食い方が慎重になったとのことである。

 となると、釣ったフグを殺すような輩はフグをスレさせずに沢山釣る方法を実践しているにすぎない。バカはここでも罰ゲームをやらされているわけである。罪もないフグを殺して平然としていられる神経とゴミを捨てていくしつけのなってなさで併殺食らってる。まあそれが釣り人の代表的な姿と一般的には思われているだろう、ってことがワシには我慢ならん。およそ全ての趣味人で昨今一番評判が悪いのが”撮り鉄”で次が”釣り人”あたりなんではないだろうか?ゴミ放置していくし、立ち入り禁止や駐禁も無視するし、事故起こしたりするしでろくでもない輩と思われていて、同じ釣り人としてワシャ恥ずかしい。

 フグを知り味方につければ他の釣り人が敬遠するような釣り場がパラダイスに変わる。フグと和解せよ!である

 という話のきっかけはMasahiroさんところのブログで釣り人が酸欠必死の潮だまりに捨てていったフグ救出のネタを読んで、どこでも釣り人は同じ罪を犯してやがるなと思ったことで、Masahiroさんは地磯に降りていく小道の草刈りやロープの更新を見知らぬ先人から自主的に引きついておられるんだけど、そのロープの先に付けたゴミ捨てないでねというお願いの看板に「私は、看板に文言を追加した方がいいのでしょうか? 「自然を愛せ。さもなくば魚市場に行け」とか。」と悩んでおられる様にいたく共感して書き込みさせてもらったところであり”フグと和解せよ!”はその時にワシの頭に降りてきた文言でMasahiroさんにも気に入ってもらえたようである。でも本当は看板に文言追加しなくても済むというか、そもそも看板が要らないというのが望ましいように思う。

 なんにせよフグもおらんような貧しい海で釣りなどして面白いか?といつも思うし、生き物の命に敬意もない輩に釣りなどして欲しくない。我が家のVIP様である”釣りの上手い人”は根魚釣りとかしていて、フグしか釣れなくても「フグは結構好き、ちゃんと引くし膨らんで可愛いし。どうせ根魚釣ってもリリースするし食べられなくても関係ないし。」と実に分かってらっしゃる。バカと天才の違いはそういうところだぞ!と思わされる。

 ワシ自身、オカズ釣っててフグにハリ取られるのは勘弁願いたいところだけど、リリース前提で遊んでるときに(オカズ釣ってるときも遊んではいるけどな)、フグが釣れると楽しいし、釣ったことがない種とか釣れると興奮する。尺越えのヒガンフグとか普通にメッキ釣れるよりよっぽど得がたい釣果で超楽しめたのが印象に残ってて、フグの話を書くならあの写真は要るなと真っ先に思ったぐらいである。冒頭写真の下から2番目がそれ。

 まあ、釣りはフグもいれば鳥もいてっていう自然環境を相手にして、それらの複雑な関係性を把握することに努め、それらの要素も楽しむべきだと思っているし、そうでなければ面白くないだろう。よくカワウが魚を食うからと目の敵にする釣り人がいるけど、以前も書いたけどカワウが魚を食うのはそういう鳥だから当たり前だろって話で、もっと言うなら適正量もクソもなくジャブジャブ養魚場育ちのトロ臭い成魚を放流しまくってカワウを増やしておいてどの口が言うって話で、遊漁用の魚の放流量とカワウの増殖との相関関係は多くの報告が上がってる。今ちょっと検索かけて代表的なのを上げるなら「日本の河川におけるアユ放流がカワウの採食行動や分布に及ぼす影響(熊田那央2013年)」とかが面白かった。カワウの繁殖への影響もあれだけど、アユの資源量に関する影響としてはカワウの食害は放流当初ぐらいで限定的で釣り人の影響の方が大きいっていう当たり前体操な身も蓋もない報告で苦笑いさせられる。まあ目の前で魚咥えて上がってきたらムカつく気持ちも分からんでもないけど、それも含めた自然の中でやるから面白いんであって、カワウもおらん釣り場が良いのなら室内釣り堀にでも行っておけって話である。釣り堀は釣り堀で面白いっていうのはヘラ釣りで経験してるので、嫌ならそうしろとしか思えない。それを「美しい自然の中で釣りがしたい」とか言いながら、自然の構成員であるカワウを駆除して、ある意味ゆがめてしまおうとするような矛盾したことを言ってるバカは、罰として、カワウほぼ関係なくて上手な人は同じ条件でキッチリ釣ってくるのにテメェだけ釣れなくてカワウに責任転嫁するという人生が待っているんだろう。心底つまんねぇ罰ゲームな人生。鳥が餌食ってるの観察するのって”バードウォッチング”っていう趣味が人気あるのも当然って感じで楽しいものである。先日もミミカイツブリだと思う鳥が足下で餌のトウゴロウイワシを追い回していて、セイゴとかも逃げまくって釣り一旦休憩になったけど、一生懸命潜って餌追っかけてる姿が冬の澄んだ海では丸見えで、なかなかに楽しかった。


 そういう鳥とも和解せよ、なワシだけど先日とてもショッキングな出来事があった。釣り終えて撤収がてら歩きながら海面見ていたら、見たくもない悲惨なモノが目に入ってきた。ラインが絡んだミズナギドリっぽいのが死んで浮かんでる。ラインが死体から長くたなびいいているので、回収しないと延々と生き物を傷つけかねないので、苦労してフライを引っかけて寄せてきて、トリプルフックとオモリで作った簡易落としギャフで引き上げた。釣りをやめたくなるような、いたたまれない気持ちで胸が締め付けられた。(申し訳なかったけど”鳥の人”に気の滅入る写真を見てもらったところ、くちばしの描く曲線ぐあいの違い、オオミズナギドリにはある塩分処理の器官の出っ張りである”鼻の突起”がない、くちばしの色の境目がくっきりしている等からウミネコ幼鳥と教えてもらいました。)


 釣り糸は漁師さん含め我々”釣り人”が、意図して捨てたか意図せず根掛かりで切れたか分からんにしても、出したゴミであり。責任は我々釣り人にある。オレが捨てたゴミじゃないと思う人は思えば良いけど、さっきも書いたけど一般人から見て同じ”釣り人”だと見られているのは間違いなく、そのことを看過できるのかと問いたい。ワシャやっぱり我慢ならん。だからゴミを拾う、そしてしつこいぐらいゴミを捨てるな、根掛かりで切れるような部分のハリスは生分解性のラインを使えとしつこくしつこく書く。ショックリーダーは全て6ナイロンと66ナイロンの共重合素材で生分解性があると報告された「クインスター」と「バルカン」に、ハリスも号数がない細糸を除いてその2銘柄に加えて「銀鱗」に、道糸用のナイロンラインも「クインスター」に変えて運用中だけど、当初フロロほど摩擦に強くないのでハリス切れやらかしたりしたけど、その場合単純に太くしてやれば良いので解決済みで既に問題なく使用できている。太くしても問題が生じないようにするのがカリスマ釣り師の腕ってところだぜ。

 書いても、誰も言うことを聞いてくれなければ意味がないので、多くの人が読んで賛同してゴミを拾ってラインを生分解性のモノに買い替えて、ってしてもらいたいので、ワシはカリスマにならなきゃならん。カリスマ釣り師になって、釣り糸が絡んで死ぬような可哀相な鳥がいなくなるようにせねばなるまいと思う。この鳥が死んだのは、ワシのカリスマ性が足らんかったせいであると、深く海より深く深く後悔した。

 ”日本の釣り場の現実写真”が自転車の前カゴに満載したゴミと鳥の死骸、朝日に輝く岸壁上に放置された絡んだ釣り糸とアミコマセとか、絶対に誰がなにを言おうとも間違っている。間違っているなら正さねばならない。

 フグと和解し、鳥を愛で、読もうと思っても読み切れない魚に右往左往させられ、ゴミを拾い、釣れた魚を必要な分だけ持ち帰り料理も楽しんで美味しく食べる。時に仲間にも食べてもらって共に楽しむ。そういう釣り人に私はなりたい。カリスマ釣り師なんてほんとのところはどうでもいい、まともな釣り人でいたいとワシャ切に願うのじゃ。

2020年7月5日日曜日

ア~ナルほどね!


 眠い。昨晩のシーバス4バラしが悔しくて寝付けず寝不足で、豆アジ釣りは完勝といっていい結果だったんだけど、睡眠周期がグダグダに乱れて昼寝して起きたら今18時半頃という体たらくで、頭が眠いんだか寝過ぎなんだかボケて使いものにならない。
 ブログ書くネタは用意してあったんだけど、ちょっと細かい話を今の頭では書ききれないので、今回は最近目にした魚関連の報告でちょっと驚いた事案を紹介したりなんぞしてお茶を濁しておきたい。

 基本魚は陸地を歩いたり空を飛んだりできないので、水路でつながっていなければ孤立した池などに自ら移動することはできない。最初に”基本”と書いたのは例外があるからで、皆様ご存じのようにウナギは雨の日に湿った陸地を歩いて移動可能だったりするけど、そういうある種の妖怪変化に近いような魚種ではなく、水から上げれば死んでしまうような魚が、いつの間にか孤立した池などに棲息していることがある。
 近年では”外来種の密放流”なんてのに象徴されるように、人が人為的に放流する場合は”魚類増殖”の事業としても普通にあって、昔はため池の底の泥を抜いて掃除したら、コイだのフナだの入れて次の泥抜きの時に収穫したとかもあったようだし、人の営みとして昔から普通にあった話。
 そうじゃないのに、人が水の入った容器背負ってとても行けるようなところにない山上の池とかにもなぜか歩いたり飛んだりできないはずの魚が居る。
 なんでじゃろ?と昔から疑問に思われていて、証明はされていないけどおそらく水草に付着する粘着糸をもつような魚の卵が水鳥の羽とかに絡んで運ばれて運ばれた先で育つのだろうといわれていた。ありそうな話で、ただこれだと鳥が飛んでる間に卵が乾燥してしまわない程度に近い場所しか運ばれないという制限はあった(雨の日なら飛距離は伸びそう)。
 ところがここに来て、水鳥の糞の中に未消化の状態で排出される魚の卵があり、それが魚の卵を遠くまで運ぶのではないか。という報告が飛び込んできた。以下抜粋すると「ハンガリー・ドナウ研究所(DRI)生態学研究センター(CER)の研究チームは、外来種として広く知られるコイとギベリオブナの卵をマガモに与える実験を行い、「マガモに与えた魚卵のうち0.2%が消化器内で生き残り、糞として排泄され、さらにその一部は孵化した」との研究結果を2020年6月22日に「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」で発表した。(出典:ニューズウィーク日本版7/2日配信)」だそうである。
 ちょっと驚いた。植物のタネが鳥の分に混じって拡散されるのは有名だし、ちょっと前に無人島の小さなカタツムリがやっぱり鳥に消化されずに糞に混じって分布を広げていたというのも目にしていたけど、魚卵は普段から美味しくいただいている日本人としては比率としては低いにしても消化されずにそのまま尻から出てくるとは予想外だった。イクラ美味しくいただいてるロシア人もビックリだろう。
 ちなみにギベリオブナとなっているのは要するにキンギョのこと。そうしておきましょう。深く突っ込むとエラいことになるのがフナ類の分類。
 カモの腹の中なら、消化されるっていう別の問題が生じてくるけど乾燥してしまうことはないだろうから、カモが食べ物を消化するのに掛かる時間で移動できる距離ぐらいは離れた場所に拡散され得る。
 羽に付着も否定されたわけじゃなく近距離ならありそうに思うけど、こんな遠くまでっていうのはカモの尻(CDC?)経由なのかもしれない。
 なかなか目からウロコの研究報告で、こういう身近な、でも永らく謎だった事項に科学的な証拠がでてくるっていうのはとても面白い。こういう記事をお薦めしてきてくれるYahoo様には感謝である。

 目から鱗っていうと、これがまた面白い研究報告が沖縄美ら海財団(水族館の)ほかからきていて、ジンベイザメの目は細かい鱗がびっしり被っているとのこと。目に鱗のある生き物って、昆虫の複眼とか鱗っぽい見た目だけど違うはずで、あんまり思いつかないぐらいで、世界は驚きに溢れている。
 目を意図的に引っ込めることもできるようで、ジンベイザメは目を大事にしている様子がうかがえて、あの巨体のわりにつぶらな瞳でしっかり餌のプランクトンとか見ているのかもしれない。ちなみにホホジロザメは餌に食いつくときに反撃で目を傷つけられないように白目剥いて噛みつく。
 これってジンベイザメだけなんだろうか?近い種類のサメっていうとトラフザメぐらいだろうか?誰か調べて欲しいところ。

 昔はこういう生物ネタって”自前”以外では新書買って読んだり、科学系の雑誌立ち読みしたりしないと手に入らなかったけど、いまもろに科学系の雑誌が紙媒体じゃなくてネット版があったりして、ある程度タダで読めてネットのありがたさを痛感する。
 ナショジオのサイトなんて一昔前なら確実に金払わねば得られないような記事が無料公開分だけでもお腹いっぱいなぐらいで、こんなに情報が安くて良いのかと戸惑うぐらいである。
 ネットにはゴミでしかないような情報も溢れかえっていて、そういうクソ情報が邪魔して欲しい情報にたどり着きにくかったりもするけど、なかなかに面白い情報も転がってて、それが上手くすると布団に寝っ転がってタブレットでヒョイヒョイやるだけで閲覧可能で、オッサンは未来に来たなぁと感慨深く思ってしまうのである。

2018年7月7日土曜日

川デ川鵜ガ魚ヲ食ラウ、ナニゴトノ不思議ナケレド


 アユ釣りやヘラ釣りにおいて、放流した魚をカワウが食ってしまうので問題である、「駆除してしまえ」という乱暴な意見を目にするにつけ、色々思うところではあったけど、基本シーバス野郎で江戸前小物釣り師の私にとっては人様の釣り場の話であり、人んちの事情にエラそうにしゃしゃり出てあれこれ言うのもはばかられたので、あんまりネチネチとは書かないでいた。「鳥もいないと寂しいじゃないですか?」ぐらいのポヤンとした書きぶりでお茶を濁してきた。

 でも、ヘラ釣りもアユ釣りも始めてしまって、人様の釣り場の話ではなく、自分の釣り場の話として当事者意識を持って、正々堂々と腹に据えかねていたことを書かせてもらう。

 「カワウが魚食うのは昔っからそういう商売の鳥だから仕方ねえだろ!」

 もっと構造的な釣り人が犯した罪をあからさまに書くなら。

 「どこでも、いつでもホイホイ釣れる釣り場が欲しくて、適正量とか関係なしに成魚放流ジャブジャブして、トロくて逃げもしないような養殖魚で餌付けしてカワウが産めよ殖やせよするの手助けしたのは漁協も含めた釣り人側だろうが!テメエの撒いた種じゃねえかよ!」

 ということである。いやなら成魚放流止めりゃ良いジャンよ、カワウ可哀想だけど餌足りなくて数減るに決まってるでしょ。
 近年のカワウの増加はバカみたいな成魚放流の量と相関関係があるような報告があったはずである。元ネタ興味あったら検索でもして欲しい。

 そりゃ、釣るときにも釣りやすいんだろうけど、障害物少ない開けた水域に、警戒心も薄れた池育ちの魚大量にぶち込めば、天然育ちのすばしっこい魚がいる障害物の多いややこしい場所じゃなくて、そっちで餌食うわナ。オレがカワウでもそうする。実際カワウそうしている。それをカワウが多くて釣りにならないって言わなきゃならないぐらいになっても、まだなお天然自然の鳥も虫も植物も動物もいる川にアホみたいな量の成魚放流の方がおかしいとは気付かないのか?川で何を見て魚釣ってるんだ?お高い高級ロッド様の曲がり具合の美しさぐらいしか目に入ってないんじゃねえのか?

 アユ釣り始めるにあたって行けそうな距離の川の情報調べてたら、「漁業権を持つ内水面漁協としては「増殖義務」があり、放流は義務である」とかホームページに書いていたりしてガッカリしたけど、今の時代になにいってんだとしか思えない。河川の魚たちのもともと持っている増殖力を使って川の魚を増やすのが本筋で「ダムできちゃたので放流しないとアユいません」とか「都市近郊なので秋までに魚が釣りきられて自然繁殖無理です」とかいうときの、次善の策というか「ごまかし」で放流して増殖するという手法がとられるというのが本来で、どこもかしこもアホみたいに放流してカワウなんていう高次捕食者の生態やら生息数やらに影響あるぐらいに全国的に成魚放流だらけってのは度を越しているのは明白。
 べつに「増殖の義務」を果たすために、産卵場の造成やってみたり、魚釣りきられて困るんなら禁漁期や禁漁区増やして見回りやらの強化に金使っても(ホントにやるとかなり金かかりそうではあるけど)、今時それが「増殖の義務を果たしていない」なんて表だって言えるバカはさすがにいないと思うけどな。それで魚が少なくても天然モノしかいない釣り場っていうので魅力を感じる釣り人もいれば、ぶっちゃけ放流に金使わなくて良い分入漁料は安く設定できるだろうから、そういう面でも魅力となり得るんじゃないだろうか。バカみたいに金かけて成魚放流しているから「アユの入漁料は高い」というのが常識ならそれが因習でなくて何だと言いたい。

 成魚放流で追いの良い琵琶湖産鮎をガンガン入れて解禁直後から爆釣で釣り人に大人気ってのをやる川が中にはあってもまあ良いと思う。そういうのが好きな人はいるだろうし、そもそもダムで天然遡上がなくなったとか、放流でもしないとアユいなくて寂しいというのは「だったらダムつくらせてんじゃねエ」ってまでいうのはちょっと厳しい言い方かなとも思う。でも、そうやってどこでもダム作らせてどこでもアホみたいに放流して、天然遡上をメインに放流は補助的に行っているなんてのが逆に珍しいというのが、漁業権のある川の実態である。そろそろ無理が生じてまっセ、色々とね。

 高度経済成長期からのレジャーの需要増に応じて「魚が沢山釣りたい」という釣り人の切なる願いも聞いて、漁協としては沢山成魚放流してきたんだと思う。全否定するつもりもないし多くの釣り人を楽しませてくれてきたと評価もできる。でも景気もボチボチな時代に入って、鮎の友釣りとか道具がこんなにクソ高くなって技術もマニアックになった時点で口閉じられなくなって滅んだ剣歯虎のように滅びの道を歩んでいるようにしか見えない。今やってる鮎師がアユタイツ履いて川に立てなくなるぐらい足腰ヨボついて撤退したら新規参入者なんて多くないので廃れる。
 そうなったときに入漁料が減って金が無いから増殖義務果たせません。では、義務が果たせねえんなら権利なんか引っぺがされる。そうなったときに、金は使ってませんが、魚の量を把握して産卵数や稚魚数が適正に増えるように産卵場造成や、産卵期の禁漁期間延長とかで対応しています。っていえるようにしておいた方が良いよと、老婆心ながら書いておく。
 そういう外に出して恥ずかしくない、河川の管理者として漁協が機能していくなら、多分モノの分かった釣り人は来て普通に釣って楽しんでいくだろうし、川が酷い目に遭いそうなら声を上げてくれるんじゃないかと期待できる。
 いまの、成魚放流ジャブジャブの釣れれば良いだけの釣り場を疑問も持たずに支持している釣り人層は、べつに河川が真っ直ぐになって鳥も居なくても、なんか木でも生えてて自然っぽい背景が後ろにあって、魚が釣れればそれで良いじゃないかとか思いそうでおそろしい。そうであれば川が真っ直ぐにされても声もナニも上げないだろう。
 まあ普通は、ちょっとヘンだとは思ってるけど、釣り人の多さとか考えると必要悪だよね。ぐらいは思っていて欲しいんだけど鮎師の方どうだろうか?
 今後10年単位で考えると釣り人の多さは解消していくだろう。だって人口減るんだから。その時に天然遡上の釣り場が残ってないと放流できなくなってくるからアユ釣りできなくなるよ、と心配しているところ。ていうか釣り人が文句も言わないようになった川はコンクリで固められる。

 近所の川には漁業権もなく漁協もない、でもアユは天然遡上がある。もちろんこのアユは都道府県の内水面漁業調整規則に定められた禁漁期間とかは守る必要があるけど、誰でも自由に釣って良い。そして、鳥も動物も魚も食べて良い、なんて人間がおこがましく言うまでもなく、勝手に食っている。それをダメだとする理由は「オレの釣るはずの魚を食われては困る」という釣り人の妄言にしかない。
 そういうタワゴトを言ってる釣り人は、自然の中の魚を釣るのには当然の条件として、魚は泳いでいるうちは誰のモノでもなく、鳥が食うのも含めて「自然」なことで、それを見越して、鳥とかに食われないうちに釣るか、鳥が食い落としたのを釣るか、いずれにせよ鳥が魚を食わないようにするというのは、酷く反自然的であることを認識すべきである。

 ヘラ釣り始めて、自転車で行く「管理池」でカワウの食害がよくボヤかれている。でももともと砂利取った穴に水がたまった池だとしても、そこに鳥が来て虫が飛んでヘビまでいるからの楽しさってのがあって、カワウに食われて数が減る分大型に育つというのなんて、この釣り場の大きな魅力で、少なくて難しいのを何とかする面白さも含めて楽しめば良いと思っている。人工の池でも数釣れなくても面白いと思う部分はあって、カワウも絡んで複雑化した要素の中で自分がどう戦略を練っていくかってところが面白いのにと思う。カワウ目の前でヘラブナ咥えてるのを見るとムカつく気持ちは分かるけどさ、でもそういう難しくする要素も適当にあった方が面白くて、それが嫌なら魚一杯の「箱」や「公園池」に行けば良いんだし、カワウが一所懸命操業してるのぐらい見逃してやってくれよと思う。

 近所の一番近い釣り場のアユも、先日カワウに見つかってしまった。それ以前からサギとは競争して釣っていて、魚は育っていきつつ数は減っていく。そんなの当たり前だと思ってるから、カワウやサギを駆除したいなんて全く思わない。「君らにはできない人間様の技術で負けずに操業するから、一緒に今年はアユの遡上量が多いのを堪能しようぜ。」ぐらいに思って、「強敵」と書いて「とも」と読んで良いぐらいの親しさを彼ら彼女らには感じて釣っている。

 カワウが食う分ぐらいは「自然」なことで目くじら立てるべきでない。「自然」じゃないぐらいカワウが増えているとしても、それは釣り人自体が招いたことであり、責任をカワウになすりつけて、命を安易に奪うな。というのが今回私の書きたかったことである。

2018年3月9日金曜日

春が来る、暖かい雨の夜に


 先週の日曜夜に釣りから帰宅したら、同居人が今夜はカエルがいっぱい出てきてたと何枚か写真を見せてくれた。写真はそのうちの一枚。

 ガマ合戦の季節だなぁとカエル好きはしみじみと思う。
 ガマ合戦とはヒキガエルが早春の暖かい雨の夜とかに一斉に冬眠場所から這い出てきて池とかに集結、数日間メスを巡って組んずほぐれつゲコゲコと鳴き声も騒がしく産卵行動を行う行動である。
 都内の街中とかでも大きな公園なんかでは噴水池めがけて集結中のガマたちが池に到着する前からメスに群がってカエルのダンゴになって足下に転がってたりして、ロマンチックに夜のデートなどしてけつかる都会的なカップルが恐れおののいていたりする。
 カップルがビビるのも当然で、どこにこんなにカエルおったんじゃ?とビックリするぐらいの数が集結する。
 もともとヒキガエルって超省エネで非競争的な生き物で、餌も腹減らなかったら食べにねぐらから出て行かないってぐらいで、公園内に沢山住んでいても時差出勤していて一度に沢山のカエルが行動していること自体がガマ合戦時除くとほぼない。
 かつ行動範囲が広くって、産卵場所自体は狭い池だったりするけど普段住んでる場所は公園内に限らず公園を出た道路の植え込みだったり人んちの庭だったりいろんな所に散らばっている。
 
 我が家の周りでガマ合戦してるだろうと私が予想している場所は、川向こうの崖を登った学校の池で、我が住宅の敷地内からガマ合戦参加しようと思うと、さすがに川の垂直護岸は越えにくいので、橋を渡って迂回して崖を登って参戦していくのだろうと思っている。夜出かけたけど朝冷え込んで動けなくなったのか橋渡ったあたりの道の真ん中でボテッと落ちているのを出勤途中に拾ったことがある。車にひかれちゃ可哀想なので崖の藪に移動させておいたけどあの年彼か彼女は参加しそびれたのか参加後帰り損なってたのか。
 月曜に雨が降っていたのでガマ合戦は月曜に始まった可能性が高いと思う。うちの住宅敷地内のガマたちが日曜に穴から出てきたのは、ガマの足で1日かかると分かった上での前夜の出立だったのだろう。早く着いたぶんには待てば良いしね。
 ガマの歩みは遅いけど結構登坂能力はあるので着実に歩いて行く。ちゃんと道順覚えていて、到着時間も予想してるとしたら、両生類って言って想像するよりもずいぶん賢い生き物のように感じる。
 そういう賢さの他に、1日前に土の中で明日の夜雨が降ることを知る能力とか、湿度とか気圧の変化なんだろうけど不思議な能力だなと思う。ちょうどその翌日火曜日が冬眠してた蛙や虫が穴から出てくる「啓蟄」にあたってて、昔の人の自然をよく見ていた感覚にも敬服する。ちなみにヒキガエルはガマ合戦の後もう一度穴に潜って寝ます。オタマジャクシ達の成長と餌の関係からこの時期生むのが最適なんだけど、大人はまだ餌も少ないし寝ていたいというのを知ると、なかなかどの生き物でも親の愛って偉大だなと感心する。

 我が家の周りに棲んでいるヒキガエルは多分標準和名でいうところのニホンヒキガエルだと思っている。鼓膜が小さくて目から離れているので見分けるんだけど正直自信がない。関東には本来アズマヒキガエルが分布しているはずで、街中の公園とかにニホンヒキガエルが多いのは昔解剖用とか実験用に出回ってたのが逃げ出して定着したのではといわれている。ということで「国内移入種」だけど鼓膜がちょっと小さいぐらいの違いがどうしたってんだ、近所にガマが住んでて毎年合戦してるっていう楽しい事実の前にはそんなこたぁどうでもいい気が強くする。

 最近、ヒキガエルネタがネットでも飛び交ってて、冬眠中に頭食われたまま生きてた北米のヒキガエルの写真にビビらされたり、ミイデラゴミムシの仲間がカエルに食われても胃袋吐き出させて生還するとか、カラスがオオヒキガエルを食うとかなかなか興味深かった。
 ミイデラゴミムシの話はそんなモン当たり前じゃん何が論文にするほどの発見なのか?といぶかしんだ。ミイデラゴミムシはケツから2液性の毒霧噴射して科学反応で高温の屁をこくヘッピリムシとして名を馳せているし、カエルが蜂とか食べて胃を刺されると胃ごと毒虫を吐き出す行動もカエル好きならご存じのはずだ。
 でも、記事を読むとなかなかに興味深く感心した。ミイデラゴミムシ食われて吐き出されるまでに数十分とかかかっても胃の中で生きてて、他の似たようなゴミムシでは同じ時間で生存していることはほぼ無いので、吐き出されること前提にカエルの胃の中で生き延びるため何らかの進化適応をしているらしいとのこと。数センチのゴミムシが化学兵器で闘い胃酸の中でも生き残る術を持っているとか、なんとも生き物は不思議で面白い。ミイデラゴミムシの仲間は黄色に黒点が目立つ毒虫色で割と珍しくもない虫なので、見つけたらその屁の匂いをかいでみるのも一興かと。高温で焼き付けるので匂いなかなかとれないそうで、かぐときは自己責任でお願いします。

 オオヒキガエルを食うカラスの仲間の報告は映像付きで、周りで他のカラスがこわごわ様子見しているなか、1匹が悠々と晩餐を楽しんでいる感じだった。英国での話だったけどオオヒキガエルは外来種のはずで、欧州産ヒキガエルの食べ方は知ってても毒性の強いオオヒキガエルを安全に食べるには試行錯誤があったはずである。失敗して犠牲者が出ていてもおかしくない。なにしろ哺乳類の捕食者が少ないせいか毒蛇天国のオーストラリア大陸ではオオヒキガエルのせいで命を落とす毒蛇がいて毒蛇の方の被害が問題になっているぐらいだ。
 でもそこは鳥類どころか現生の生物全体でも上位に来るぐらいの知恵者のカラス様である。ちゃんと心得てお作法を確立して、毒の無い部分をつまんでひっくり返して、腹側から美味しいところをいただいちゃうんだそうだ。
 なぜ危険を冒してまで食べるのかといえば、多分、美食のためと好奇心に加え勇気を示すためじゃなかろうかと思う。ヒキガエルは美食家で有名だった陶芸家の魯山人も皮の処理をきちんとする必要があるけど美味しいと書きとめていて、口の肥えてるカラス様にも美味しいんだろう。仲間と情報共有するぐらいの頭の良さを持つカラス様、仲間内で毒に当たらず新しい獲物を食べる方法を見つけた個体はその勇気と知恵を讃えられててもおかしくない。それぐらいにカラス様頭が良い。

 どれも真っ黒で近所のカラス(ハシブトガラス)の個体識別はできていないけど、どうもカラスの方では近所の人間の個体識別はできているようで、私は無害認定されているのか割と近くによってじっと見つめることができる。向こうも横向いてこちらをじっと見つめている。こちらが観察しているつもりなんだけど、カラスを覗き込むときお前もまたカラスに覗かれている、ってなちょっとニーチェな感じになっている。

 カラス様の頭の良さについては、とりのなんこ先生の「とりぱん」を読むと空恐ろしくなるぐらいの知恵者ぶりに驚かされるが、先日ジョギングしてたら頭上を何十羽というカラスが飛んでて驚いた。写真今一ヒッチコックっぽさが出てなくて残念。
 大規模な渡りをするとかは聞かないのでなんで集まってるのか分からなかったけど、カラス様のことだし、きっと意味のある行動なんだろうなと部屋に戻ってからググってみると、俗に「カラスの葬式」として知られる行動らしい。
 「死者を悼む」なんていうのは、ひどく人間くさい感情のように思うけど、社会性のある動物ではわりと広くみられるようにも聞いている。ゾウが有名か?
 「カラスの葬式」については、死者を悼む感情があるわけじゃなくて、仲間の死についてその死に至った危険について情報共有しているとする説も読んだけど、そもそも「死者を悼む」なんていう感情が人間においてどうして発達してきたのかと考えたら、まさに死に至る危険についての情報共有と仲間内の結束の強化とかがあって進化してきたはずで、カラスの葬式はそういう感情の原点にあるような行動と見受けられ、そこに死を悼む感情の萌芽がないなんて、カラスじゃない人間にどうして言えるのかと問いたい。あるだろ?きっと。

 そうやって、ハシブトカラスという生き物について知っていくと、ゴミ捨て場を荒らすやっかい者で見た目も真っ黒で不吉な鳥という認識が、とても賢く人間臭い魅力に溢れる楽しい隣人という認識に置き換わる。烏の濡れ羽色の光沢ある美しさも、愛嬌のある瞳もネコぐらいはある適度に存在感のある大きさも好ましく思えてくる。
 ゴミを荒らす問題は、ゴミ置き場にネットを掛けることでほぼ解決できたとおもう。こういう現実的で具体的な方策が「駆逐してしまえ」というような現実的でもなく感情論でしかないクソな方向性よりずいぶん上出来なのは明らかだと思う。
 あとは繁殖期に巣の近くを通る人間に飛びかかるのとかの問題もあるけど、たいした実害無いしほっとけばそのうち学習して人間なんて襲わなくなるんじゃないかと思っている。彼ら賢いし巣の撤去とかは「敵認定」を受けてしまって逆効果じゃないかと思うけどどうだろう。

 生き物嫌いな都会派の人間からすれば、街なんてコンクリートで囲って清潔にチリ一つ無く管理して、余計な生き物なんていなくなれば良いと思うのかも知れない。
 でもそんなことは現実的でもなければ、生き物好きからしたら面白くもなんともない。人間だって食い物食って水飲んで排泄するなら、その時点でゴキブリだのネズミだのは寄ってくる。
 生き物嫌いでなければ、公園で緑に触れたいと思ったり庭に花を育てたいと思ったりもする。そうすると虫や鳥もやってくる。それらが沢山いればそれを狙って捕食者もやってくる。
 中には悪さをするヤツも居るだろうし、何かしらの被害も生じるかも知れない。それでも完全な駆逐なんてできやしないはずなので、その都度個々の場面で対応を考えるなりして共存を図っていくしかないと思うし、共存できると楽しい世界が開けてくると信じている。
 先日、我が家の近所にはタヌキもいると知って嬉しくなった。マンションの工事で軒下に潜り込んだ作業員の人が「こっち来ちゃダメだって出てけ!」と追い出しているので、ネコでも棲んでたのかなと思って見てたら、可哀想に首のあたり疥癬にやられて毛が抜けたタヌキがしょぼくれて出てきた。
 我が家の近所にはこれで哺乳類の捕食者が、ネコ、ハクビシンについで3種め確認である。
 ネコについてはまた改めてクドクドと書く予定だけど、タヌキやハクビシンが居たからって何がいいのか、生き物嫌いの人には全く分からないだろうけど、夜、敷地内をテッテッテッテと歩いて行く獣がいてネコかなと思って口笛吹いて挨拶したら、一瞬チラッとこちらを向いて遠ざかっていくシッポが長くて、こちらを向いた顔に白い線が入ってたときの心のときめきはどこから来るのか、自分でも理由が良く分からない。良く分からないけど多分、野生生物がご近所さんで嬉しいんだと思う。

 ハクビシンも謎の多い生物で外来種なのか在来種なのかすら確定できてないようだ。でも、屋根裏に巣を作られて糞が臭いとか、農家で果物食べられて困るとかの被害がなければ外来種だろうと放っておいて良いんじゃないかと思う。
 「移入種・外来種だから」っていう理由を錦の御旗にする社会正義の戦士どもには心底辟易しているので、なおさら天邪鬼にハクビシンともご近所づきあいしたくなる。

 何度も書くけど、外来種だからダメってんなら米食うな。特定外来生物法の考え方並びで「明治期以降に新たに移入された種」で線引きとする、っていう線引きする側の都合で勝手に引いた線で良いのなら、オレも断然勝手に線引きさせてもらう。関東の公園のニホンヒキガエルも都会のハシブトカラスも近所のネコ、ハクビシン、タヌキも等しくご近所づきあいすべき存在で、駆除だの虐めたりだのはまかりならん。根拠はオレ様の好みに合うからだ。
 オマエらが主張している「外来種だから駆除すべき」ってのは、その程度の主張と同レベルの好みの問題でしかないことを思い知れといいたい。

 「外来種=悪」という図式が、よく指摘されているように環境破壊とかの他の要因を隠す隠れ蓑にされていたり、外来種なら殺しても許されるというような命を作為的に選別するようないびつな生命倫理観に繋がったりしていて、極めて気持ちが悪い。欧米の動物保護論者における「賢いから守る」という選別と似たような気持ち悪さを感じる。それはオマエの好みだろってやっぱり思う。オマエが思う分には好きにしろだが押しつけるな。

 外来種・移入種が生態系におよぼす問題とか、個別具体的にいちいち状況が違うぐらいで、本当に難しいことが多い。
 「外来種=悪」ですべて駆除するべきですまされない端的な事例としては、外来種も含んである程度安定してしまっている生態系なり生物群集から外来種を取り除くと、当たり前だけど生物群集なりに混乱が生じる。ソースだのエビデンスだのうるせー世の中になってるけどその程度ググれカスってぐらいで論文も出てたはず。ソースってなんねコロッケにかけるヤツか、いやコロッケじゃなくてエビでんす、ってやかましわ。
 沖縄本島でマングース駆除するとか言い始めたときも「オマエ、それ生物の教科書に載ってたウサギ保護するためにキツネ駆除したらウサギ増えすぎて病気やら餌不足やらで激減したとかの二の舞になるんやないか?」と心配になった。
 実際には、マングースの減り具合と保護すべきヤンバルクイナとかの個体数を監視しながら慎重にやってるみたいで、今のところマングースがいなかったころに戻していくという目標に近づいているようでホッとしているけど、そのぐらい慎重にやらないとまずいんだってのは間違いないと思う。

 「池の水全部抜く」で外来種を取り除いたら環境が改善されて、ほらカワセミが、とかやってるのを見て心底アホくさくなった。ため池の水定期的に抜くのはため池の管理として昔は農作業の一環としてやられてたはずで、それが放置されてヘドロ状の堆積物がたまってたのを掃除するってのはライギョとか貧酸素得意な生き物以外には良いんだろうけど、そもそも護岸された都会の池で水抜いてラージマウスバスだのブルーギルだの駆除したぐらいで環境改善されるかよ、水草とかなくても繁殖できる基質産卵性でかつ外来魚駆除屋に虐められないモツゴが単一種で優先して、魚のサイズが平均して小さくなったのでデカイ魚を狙うアオサギとかが利用しなくなって、カワセミがやってきて写真映えするから喜ばれてるだけだろと思っている。

 カワセミ綺麗だし可愛いし好きだけど、じゃあ割食ってどっか新しいえさ場探しに行かなきゃならなくなっただろうアオサギとかの立場はどうすんのって話で、全体よく見て考えてからやれよと言いたい。分かったうえで、アオサギよりカワセミのほうが客呼べるからここはカワセミ一択で、という大人な判断ならそれもあるんだろうけど、分からず善行だとやってしまうのは、少なくともバスやギルにとってはとんでもない悪さをしれっと意識もせずにヤルってのは、私の好みで言わせてもらえば手ひどく間違ってる。

 「共存」って移民の問題に象徴されるように世界規模で人も物も動く二十一世紀における重要な課題だと思う。
 「共存」っていう言葉の美しさには皆抵抗感少なく、理念としてはそうなんだろうなと思うのかも知れない。お互い良い部分を持ち寄って、違いを認め合って話し合いで衝突を回避して共に利益を享受しながら、とかなんとか理想的な関係を思い描いてしまうのかも知れない。
 現実は甘くねえぜと、自然との共存、異文化との共存、ご近所さんとの共存、実際には望んでもいないのにいきなり同時に壺にぶち込まれた毒蟲たちのように、放置しておけば食いあいして強いやつしか生き残らないか全滅するような状況が否応なく発生するのに近い。
 自然との共存?そら完全に制御できるんならしてしまいたい。台風も害虫も無くてすむなら無くしてしまいたいと思うだろう。でもなくなんないし、台風で雨が来ないと飲み水不足したり種々困る。害虫も程度問題で生物群集内での役割もあるし狭い室内はともかく自然界から駆逐することはできないしするべきでもない。
 異文化との相互理解?ワシゃ同じ日本人でも原発推進するような人間とは理解し合えンのに、北朝鮮のエラい人やら無差別テロ行ってるような過激なイスラム教徒と理解し合えるわきゃない。
 ご近所さんとの共存?実は家庭菜園に撒いた種をほじくるキジバト・ヒヨドリと我が家には敵対関係が生じている。我が家の中で「テッポで撃って食っちまえ」などという恐ろしい言葉すら囁かれている。スギの木に関して、すべて伐採でもかまわないとこの時期は思ってしまう。

 「共存」により互いにより良い未来を迎えるなんて都合の良い幻想よりは、お互い相容れない者どうしが、それでも現実的な落としどころたり得る対策を考えて考えて、共倒れになることをかろうじて避けられるというのが「共存」の現実に近いンじゃなかろうか。
 なんで、悪さするカラスのためにワシらが面倒くせえし金もかかるのにゴミ捨て場にネットかけなきゃならんのや?というぐらいに、こちらが思いっきり面倒くせえ手間を掛けてやっと平穏が得られるという割に合わなさこそが「共存」の正体だと覚悟して、それでも嫌でも「共存」を考えなければならない人も生き物も物も概念でもなんでもやってくるというのが今の世界なんだと腹をくくって、自分ちの種をほじられたら怒りを込めて追い払い、カラスネットや抗アレルギー剤のような負担を強いられてでも平穏に済ませられる手法があるなら喜んで受け入れて、個々の状況を良く見極めて、自分が酷いことをしてしまっていないか、酷いことをしても仕方ないという覚悟があるか、常に問いながらよりマシな方法を模索していくべきだと思う。

 そういう諦念の先に、ガマのゆっくりとした歩みやカラスの羽の美しさを愛でる暁光みたいなご褒美もあったりなかったりするはずだ。

2017年5月5日金曜日

ポンちゃん登場中庭劇場

 朝、ベランダに出て洗濯物干したりルアーを塗装したりしていたら、「ピュイーッ、ピュイーッ」というあまり聞いたことがない鳥の鳴き声が聞こえた。結構大きな鳴き声。

 なんか珍しい鳥でも来てるのかなとベランダから中庭の方を見ていると、それらしい鳥が飛んできて中庭の木の幹にキツツキのように貼り付いて止まった。
 我が家の近所の川向こう、崖の林にはコゲラが棲んでいて、たまに川を越えてこちらの桜並木までやってきているのを見かけるし、ギーギーと鳴いているのも耳にするが、明らかにサイズがちがってキジバトより一回り小さいぐらい、ヒヨドリより大きいだろうか。
 そんな大きなキツツキがこんな所にいるのか?と目を疑ったけど、どう見てもキツツキ。背中が緑色でアオゲラのようである。
 とりのなんこ先生の鳥見マンガ「とりぱん」でも「ポンちゃん」の愛称でおなじみの鳥だが、まさか我が家のベランダからご尊顔を拝見できるとは恐悦至極。
 ベランダから見える中庭、5階建ての宿舎と宿舎の間に芝生に木が生えていて、家庭菜園と生け垣もあるけど、どうってことないどこにでもある都会の中庭。だと思うけど、近くに河原や林があるのでそこからやってくるのか鳥は結構いて楽しい。

 アオゲラ20m位の近距離で木の幹を登りながら木をつついたりしているので、驚かせないように部屋に戻って双眼鏡とデジカメを取ってくる。
 双眼鏡で覗くと頭の赤いのも確認できる。後頭部だけ赤いのでメスなのかな。どうももう一匹いるようで鳴き声が少し離れたところでも聞こえる。つがいでやってきたのだろうか。中庭気に入ってくれると良いのだが。
 って、書いてる今、ドララララララッというコゲラとは迫力の違う重低音のドラミングの音が聞こえてきた。双眼鏡持って見に行ってみると若葉の茂みの中にいるのか木を叩いている姿は見えなかったけど飛び立ったところは見えた。縄張り主張し始めたということはお気に召していただけたのかな。

 時間戻して、写真撮影時、ちょっと飛んで地面に降りたので、地べたの虫とか食べてるのかなと見ていたけど、調べてみるとアオゲラけっこう蟻が好きだそうで、蟻食べてたのかもしれない。
 最後、キツツキっぽいシルエットを撮影して、次に飛んでいった公園の方にカメラを向けると、幼女達が遊んでいて「ベランダからカメラと双眼鏡で幼女を追っかけていた変質者」と認定されかねないので撮影終了。うーん、出かけもしないでこの楽しいひととき。とってもお得な気がするけど、ご近所さん達はこの幸運に気付いているだろうか?

 中庭のレギュラーメンバーとしては、いつもやかましく、たまにベランダの睡蓮鉢で水浴びしてたりもする愛嬌者のヒヨドリ、今も梢でチュピーチュピーチュピーと縄張り主張しているシジュウカラ、おなじみのスズメ、家庭菜園にまいた種をほじくらんでくれなキジバト、ドバトあたりに、腰のあたりが白いムクドリ、冬には「とりぱん」でもツグミンの愛称で人気のツグミもやってくる。メジロも可愛い。
 ギャーギャーやかましいのでヒヨドリの群れでも来たかと思うとオナガの群れだったり、駐輪場に自転車止めていると真横の生け垣のなかでウグイスが枝を渡っていたりもする。
 巣離れの時期に気が荒くなったり、ゴミネットをかけ忘れるとすかさず荒らしたりと嫌われがちなハシブトガラスも、いろんなところでその頭の良さが紹介されているのを読んだりすると、この都会にしたたかに生きる知恵ものに敬意に近い感情を抱かずにおれない。こちらが観察していると、あちらもこちらをじっと観察していたりして。

 ベランダからでも結構楽しめているけど、散歩に行ったり、駅までの道すがら川辺を歩いていると、ピーッピーッっと鳴いているカワセミに遭遇できたり、今年も猫が降りられない3面護岸の中州ではカルガモが雛を連れていたり、コサギがドジョウすくいのような足取りで漁をしていたり。そういえばしばらく棲み着いていたアオサギを見なくなったが、どこか良い漁場を見つけて越していったのだろうか。
 最寄り駅のいつもの場所で今年もツバメが巣をかけている。
 割とよく見る地味な鳥の名前が知りたくて、写真に撮れるほど接近できないので、記憶を頼りに図鑑をみて、たぶんカワラヒワかなと同定した。
 名前を知ると、また愛着が湧く。

  なかなか、もの覚えが悪くなって生き物の名前とかも1回聞いただけでは記憶できなくなってきてるけど、まあこれからも楽しみながらなじみの鳥を増やしていきたい。

 いい季節だ。