2025年2月22日土曜日

バカと刃物

 魚料理するのに毎日のように使ってるのは、おかーちゃんが愛用してるようないわゆる文化包丁である。文化包丁っていうのは、ある程度幅広で菜切り包丁みたいに野菜はもちろん豆腐切って刃の上にのせて運んだりもできるけど、刃先はソレナリに尖ってて、魚もおろせる、もちろん肉切ってもいいという万能タイプで、魚肉野菜の3つが切れるので三徳包丁とも呼ばれたりする(文化包丁と三徳包丁の整理については諸説あり)。まあそれぞれの専門職である出刃やら刺身包丁なんかのような専用品ならではの使いやすさは期待できないけど、いちいち出刃で魚下ろしてから刺身包丁だしてお造りにする、とか飯の度にやってられるかよっていう主婦(夫)の為に作られたような便利な包丁で、魚さばくのに一番適した刃物はなにかという議論になると、小出刃最強説やらマニアックなところではマキリ(アイヌの伝統的刃物から派生した漁師御用達の小刀)やオルファのカッター大を推す釣り人もいたりするけど、毎日のように魚を捌きかつ魚以外も料理する主夫としては文化包丁一択である。小出刃じゃ刃渡りが短くて野菜が切りにくいし刃も分厚いので綺麗にキャベツ千切りとか決まらん。かといって刃渡りのある出刃は重い。しかも、出刃系始め鋼製の包丁は手入れが面倒で怠るとすぐ錆びる。じゃあステンレス製はどうだ?っていうと今度は研ぎが難しくて切れ味保持するのにやや難儀する。その点でも文化包丁は良くできている。刃の部分は鋼材で研ぎやすく切れ味も良いんだけど、錆びにくいようにその刃をステンレスで両側からサンドイッチしたような構造になっていて、錆びるとしても露出した刃の部分ぐらいで研げばすぐに回復可能。誰が開発したのか知らんけど、非常に良くできていて感心する。専門職じゃないけどなんでもできて手入れも楽な器用な便利屋的刃物。ワシ、普段のオカズ魚のアジ・カマスはもとより、70のスズキやら90の青物いただき物のカツオなんかも文化包丁一ッ本でさばいている。文化包丁で100キロのマグロ捌けと言われたら刃渡りが足りずに苦労するかもだけど、多少時間掛けて良いならさばく自信はある。出刃ほど刃が厚くないので骨とか切れないと思うかもだけど、太い骨は初めから切るのを諦めて、関節に刃を入れたりボキッと折ったりすれば良いだけなので、やり方知っていればプロが使うような日本刀みたいな刃渡りのある包丁でなくても、何度も刃を入れていく必要はあるけどさばけるのである。カブト割りとかも包丁が入る部分に刃を立てるのと押し広げてメリメリ刃物じゃなくて力で割っていくのとの併用で十分可能。逆にプロみたいに一刀両断にダンッ!と決めようとすると、素人だとカツオの背骨程度で出刃使っても刃が欠けるだけである。

 今使ってる文化包丁は、自分史的になかなかに歴史があって、学生時代からかれこれ30年は使ってる。大学に入るときに風呂トイレ台所共用の学生寮というか下宿屋さんにお世話になったんだけど、食費も外食だと掛かるので自炊するようにと、包丁一本持たせてくれた母心、っていうその包丁では実はない。盗まれることはないだろうけど、共用の台所に置いておくと勝手に使われたりはありそうなので、部屋に調理後回収していた。ところが、共用台所には誰でも使ってイイらしい包丁が1本あって、部屋からいちいち自分の包丁持ってくるのも面倒くさくなって、結局自分の包丁は最初の頃使ってたけど、大学在学中のほとんどの期間で共用包丁で料理していた。研ぎながら状態よく使っていて、卒業する頃にはすっかり愛着が湧いてしまい。”母の愛”のまだ新しい包丁と引き替えに、共用包丁をもらって就職先の東京に持って行った。銘を「白寿」という。今調べてみたら刃物どころ岐阜県関市の「正広」というメーカー製で、今でも作られているようだ。すげーロングセラーでワシが気に入るのも納得で、ながく主婦(夫)の友として愛用されてきたのだろう。まあでも正直どうっちゅうことのない普通の文化包丁である。3000円前後で購入可能。ただ、どうっちゅうことのない普通の文化包丁だけど、最初に書いたように手入れしやすく、何でもこれ一本で料理できる便利さから、いつもワシが料理するときには共にあった。30年から研いで使って数限りない料理を作ってきた。そうなると手に馴染んで単なる刃物の域を超えて愛着が湧いてくる。とくに近年は仕事やめて時間もあるのでじっくり料理に向き合う時間もあり、魚をさばくのを筆頭に出番が多く、調子が良いと切っ先ではなく、その後ろあたりのゆるいカーブを描く刃先に自分の神経が繋がっていて、魚の骨のすぐ上にその刃先がスッと入っていく感覚がある。そういうときは料理していて楽しい。30年からすると包丁も手の一部になっていく。包丁の手入れの仕方を参考までに書いておくと、とにかく刃先が鈍ったらすぐ研げってだけである。砥石に水を吸わせてっていうのがお作法だろうけど、そんなの待ってられないので水で湿らせてすぐ研ぐ。魚をなん10匹もさばいていると途中で刃の走りが悪くなってくる。その時はその場で速攻で研ぐ。切れの悪い包丁では綺麗に包丁入れるべき所に刃を走らせきれないし、切れが悪くて引っかかるような状況だと、思わぬ怪我につながりかねない。もちろん料理が終わったら、研いで終了。毎日のように研いでいるとそれほど時間を掛けて研がなければいけないほど刃がなまってしまうことはない。片面50回、反対側30回とか研いでやればOKで次も気持ちよい切れ味で使える。砥石は中砥ぐらいがちょうど良いと思う。学生時代和食チェーン店でバイトしていたけど、板さん達、しょっちゅう包丁研いでた。そしてまな板とか流しとかも常に洗って清潔第一で働いていて、見てて気持ちよかった。

 刃物で思い出深いのは、他にバックのフィレナイフとビクトリノックスの折りたたみナイフがあって、バックのフィレナイフは開高先生の「オーパ!」シリーズで最初和食の道具を山ほど持ち込んでた料理人の谷口教授が、旅慣れてきたらフィレナイフ1本でオヒョウとかもさばくようになって、ってのを読んで高校生の時にバスプロショップスでケン一と共同購入で送料節約して”個人輸入”した。当時はまだインターネットがなくて紙のカタログ見て手紙で注文する方式で、トラブって注文した憶えのない七面鳥の鳴き声が出せる狩猟道具とかが届いてしまい、英語のリンコ先生とかに助けてもらいつつ対応したのも懐かしい。魚さばくにはこれ一本で済ませられるのでキャンプとか行くときに愛用してたし一時期は家でも好んで使ってた。ビクトリノックスは釣り用のウエストポーチとかに放り込んでおいて、ひっくり返って死んだシーバスとか締めて帰るときやら、ルアーが絡んだロープ切ったりするの使ってる。昔は今ほど刃物の携帯にうるさくなくて、学生時代は自室の鍵を付けてポケットに入れて持ち歩いていた。こんなちっこいナイフでなんの犯罪ができるのかわからんけど、今日日ポケットにナイフ入れてると銃刀法の現行犯で捕まりかねず、いやな管理社会になったのもである。ナイフの刃と栓抜きが付いてるだけの薄っぺらいシンプルなのが邪魔にならずに使いやすい。「何で栓抜き?」と思うかもだけどこの栓抜きはマイナスドライバーとしても缶切りとしても使える便利な代物で、何かと言えば酒飲んでた学生時代、つまみにコンビニで買ってきた缶詰を前に「缶切りどこにある?」とかいう状況で貧乏学生の部屋にそんなもんないことも多く、当時は今ほどすべての缶詰がパッカンと手で開けられる方式ではなかったので重宝したモノである。栓抜きも缶切りも使わなくなったので樹脂のガワじゃなくてアルミ製のガワで刃が大小2枚のシンプルなヤツの方が薄くて良いかもだけど、昔からの習慣でたまに紛失したりしたときも同じヤツを探して購入している。コイツでおそらく4代目だと思う。

 それから刃物で忘れちゃならないぐらいお世話になりまくってるのが、オルファのカッターとアートナイフで、アートナイフは多分、シーバス用の”お手元フライ”とか作るような小細工するのに東急ハンズかなんかでちょうどいいやと買って、使いやすさ細かい作業のやりやすさ、替え刃を用意すればいつも最高の切れ味が保てる便利さで以来愛用している。最近替え刃が切れてちょうどおかわりしたところである。最近だとポリアセタール樹脂を削ってラインローラーを自作するときとかに活躍してくれた。部品やらルアーやらの自作、改良に、あると便利と言うよりはないと困るぐらいの名品だと思う。手作業好きな人なら一家に1本必携だろう。

 オルファのカッター、あえて限定するなら大きい方は、もう世界最強の刃物の候補の1つと言って良いだろうってぐらいで、世界中で愛されている傑作である。今更書くまでもなく、世界に先駆けて刃を折ることにより常に鋭い切れ味を確保できるという機能を備え、日常用途からプロの作業用途まで幅広く使われているのも、社名のオルファが「折る刃」から来てるのも皆様ご存じのとおり。意外に便利なのが「のこぎり刃」で本格的なのこぎりにご登場いただかなくてもオルファのカッターでだいたいカタが付く。オルファのカッターとの付き合いっていつに始まったのか記憶が定かじゃないぐらいで、小学校の工作の時間には既に使ってたように思う。

 で、切れ味鋭いオルファのカッターといえば自分の手を切るのはお約束で、小っちゃいのから大ごとまでワシの左手には何カ所かオルファのカッターが刻んだ傷跡が残っている。その中でも派手にやらかしたのが小指の付け根あたりの手のひらの傷で、手相的には結婚線のところに1本線が増えている。それは高校の文化祭の準備の時にやっつけたもので、ハッポースチロールの箱を切って貼って削って丸い玉を作ろうとしていて、丸くて持ちにくいのを手で持って作業していたんだけど、文化祭の”お祭りノリ”で密かに持ち込まれて”赤まむしドリンク”の瓶に入れて配給されていたウイスキーで多少酔っ払って手元が狂ったのか、持ってる左手ごと綺麗にスパンと刃を振り抜いてしまった。切り傷の深さからやばいなと思ったけど、刃物で手を切るぐらいは慣れてもいたので「ちょっと保健室行ってくる」って保健室に行ったんだけど、出血量が酔ってて血の巡りが良いのも手伝ってかドバドバで、手傷を負った抜け忍みたいに血が廊下に落ちて追っ手をまくことができず、保健室に怖いもの見たさでやってきた見物客がワラワラと湧いて保健の先生に怒られました。青春の想い出だね。酔っ払ったら刃物を触らないというのは刃物のプロである美容師さん界隈とかでは鉄則のようである。皆様お気を付けて。まあ酔ったら自分の手先から器用さが失われるってのを学べたのは良き教訓で、ワシャ飲んべえだった若い頃も、釣りに行く前の晩とかから酒断ちしてた。

 というぐらいで、刃物って日常生活やらに欠かせない代物だけど、痴情のもつれで刃傷沙汰っていうぐらいに、人を傷つける道具ともなり得る。それは人類が黒曜石から削り出した打製石器を使い始めた昔から、刃物が持つ二面性であり本質でもあると思う。今の危ないから何でも規制っていうなかで、刃物を遠ざけてしまうのは、この人類の生み出した偉大な文明の利器の有用性をも遠ざけてしまうことになりそうで、ワシャちょっと心配なのじゃ。刃物の手前に手を持ってきてはいけないということを学ぶのに一番確実なのは、刃物の手前に手を持ってきて、結果手を切って痛みで学ぶことだと思う。痛みも危険もなにもなしにナニかを得ることなどできないと、そう思うのじゃ。

2025年2月15日土曜日

責任者出てこい(ワシらにも責任がある)

 超弩級の”ド”ってなんじゃラホイ、っていう話は、マンガアニメオタクやら軍事オタクなら当然知っているだろう。意外とこの言葉新しくて第二次世界大戦ぐらいから使われるようになった言葉のはずで、戦艦とかの大きさを示すのに代表的なその後の基準となったような艦名を冠して、例えば現役だと潜水艦だけど”オハイヨ級”原潜なんて呼称する。ってのが軍事モノマンガとかでは良く出てくるのでオタク諸兄にはおなじみであろう。で超弩級に話戻すと、もともとは1900年初頭に斬新な設計で革新的な大型戦艦として生まれたイギリスの「ドレッドノート(戦艦)」に由来し、元々は「大型の」「強力な」戦艦というのを表す言葉として「ドレッドノート級戦艦」というのを略して「弩級戦艦」という感じで使われていた。それが、大艦巨砲主義な大日本帝国の大本営発表とかで、「大和」やら「武蔵」のような”超弩級戦艦”と呼ばれる戦艦の登場を経て、弩級という言葉が戦艦以外にも適用されるようになり、今日のように「ず抜けてすごい」というような意味の形容詞的に使われるようになっているのである。漢字も良い感じにあてがわれていて、横文字略称カタカナ語好きな今時のアホどもに爪の垢でも煎じずそのままででも飲ませてやりたいぐらいだ。

 なんの話をしようとしているかというと、釣り場で見かけた超ドレッドノート級のヘッタクソについてご紹介しようと思ってるんだけど、そのネタを釣り仲間に話したときに「ドレッドノートってなんぞ?」という素朴な質問をいただいたので、先に説明しておいた方が良いのかなと、枕でご説明させていただいたところである。

 休日の漁港にはなかなかにすざまじい弩級、超弩級の輩どもがやってくる。平日の釣り場は、釣れてれば多少混雑するし「ワシへったくそで真っ直ぐ投げれんときあるけどゴメンな」というオッちゃんもいるけど、まあそういう挨拶してくれればこちらはソレナリに上手なのでタイミングなりコースなり工夫して避けてやれば良いだけで、混雑してもみんな和気藹々とした中で秩序立って釣りでができることが多い。カマスとか本職の漁師さんも船降りて参入するので狭い範囲でミッチリ並んで釣ってることも多いけど、本職の人たちはオマツリしないように上手に投げるし、取り込みも横に走られることなく一気に浮かせて水面滑らせるようにバシャバシャさせながら寄せてて淀みなく”操業”していて感心する。
 一方休日の釣り場はというと、もう混沌というか何でもありというか、そもそもナニを釣りたいのかナニがしたいのか分からん勢も多く、まずカマス釣れてる時期の釣れてる釣り場にやってきて、釣りを始める前に暗い中海面をヘッドランプで照らすヤツからして頭にくる。カマス沈むか散る。戦国武将じゃないんだから、今からハリ掛けてぶっ殺そうとする相手にわざわざ宣戦布告するようなことをする意味はなんなのか?常々疑問に思うけど意外に多い。ワシ、ルアーとかで探り入れてる状況ならまず水辺に接近する前に離れた位置から1、2投してから水辺に寄るし、バケツに水汲むのも釣り座から離れた場所でなるべく汲むようにしている。釣り座の足下に魚が居ることはむしろ多いぐらいで、その足下にいる魚たちをまず蹴散らしてから釣るのは、周辺に居る魚の群れ全体に警戒心を与えるだけの愚行としか思えない。バカかホントに。

 っていう休日の漁港で先日見た超ドレッドノート級のヘッタクソは、カマスが足下近くで小魚追ってバシャバシャし始めて、当然の如く良い位置に釣り座構えてたワシの真横に挨拶もなしに入って投げ始めたのにもややイラッとさせられたけど、驚いたのはその後の釣技で、さすがのワシも初めて見る代物だった。ワシも好機到来でサクサク釣ってる横で、輩もアジングタックルみたいな道具でちっこいワーム投げて掛けたんだけど、寄せてきて潮位も低かったので護岸の上と海面がちょっと離れてる状態で、引っこ抜くのにドラグが滑って失敗して揚げ損なった。まあアジ釣るつもりでドラグゆるゆるだったら緊急発進で想定外のカマス掛けてテンパってそうなっても不思議じゃない。ありがちなことではあるだろう。でも再度おんなじことをやって再度失敗するのはどういう頭の悪さなのかはなはだ疑問である。そして、失敗した結果、カマスが護岸の壁面でビチビチと暴れてて巻いてもドラグが滑るだけで上がってこないという状況におちいって、超弩級の輩が次に繰り出した技がワシのド肝を抜いてくれた。多分最適解は”スプールを左手で押さえて引っこ抜く”で、次点でドラグを締め直す、大穴で他人に助けを求めるぐらいだろう。輩はそのどれも選択しなかった。ビチビチ中途半端な位置で暴れてる魚を引っ張り上げるために、アジング用で細いだろうラインが護岸の角に擦れるのもかまわずそのまま後ずさりしやがった。砂浜で竿とかラインの角度を保ったまま”エビバック”はラインの張りとかの変化が少なく円滑に魚を陸揚げできるので使える釣技だけど、細いラインをコンクリの角で擦ったらアカンだろ?当然の如くラインが切れてサヨウナラ。あまりの出来事にワシも驚いて、ほっときゃ良いのに「スプール手で握ってドラグ滑らんようにして抜き上げれば良いだけとちゃうの?」といらん一言で追い打ちをかけてしまった。休日の人気釣り場は恐ろしい。こういう超弩級も出没するのである。

 まあそこまでの超弩級は少ないにしても、弩級のヘッタクソ程度は珍しくもない。
 まずは、なぜどんな情報に基づいて、その釣り場に来ているのか皆目見当がつかないってのが不気味である。全く釣れてない釣り場にいきなり人山が立ったりする。まだ先週釣れていたとかなら週遅れの情報で来てるんだろうなと推定もできるけど、そういう理由が透けて見えることが少なく全く読めないことが多い。先週アジよく釣れてたら今週末は混むだろうなと思っても、天気も良いのにがら空きの時もあったりして、ホント謎である。釣具屋やらネットの釣れてる情報とか、全くアテにならないし、そんな誰でも手に入る情報で動いても混雑するスレた釣り場でやな気分になるだけだけど、弩級の輩どもはどうも混雑していないと不安に思うような気配すらある。これは平日でもある程度あって、いつも上手い人が入る釣り座のあたりは混雑する。その上手い人当人に聞くと「どこでも一緒だけど魚を車に運ぶのが楽」って程度の理由で釣り座を選んでたりする。場所が良ければ釣れると思うというか、釣れてる釣り座にすり寄りたくなる心理は多くの釣り人に共通するようだ。ワシ今の時期フライロッド振ってるのが多いので、後ろに人があまり通らない”端席”がお好みだけど、割と人気がない釣り座なおかげで確保しやすい。けどちゃんと釣れる。釣れてるとやたらと近寄ってくる釣り人はむしろ首都圏とかの釣り場で多かった印象で、ツーテンの虎ファンさんは「いつも混雑してる管釣りのマスから入る人が増えて、そういう釣り人は距離感がおかしいんじゃないか?」と分析していたけど、管釣りなんて存在しないような紀伊半島の港町でも距離感おかしい輩は湧くので、なんなんだろうなと思う。関西圏名古屋圏から来てる人か?
 ナニ情報が元になってるのか分からん話で超弩級だったのは、しばらくなんにも釣れてなさげな護岸に、どう見てもワームで根魚狙ってる様な弩級どもがいきなり降って湧いたように並んだ事例で、根魚で並ぶってのがどうにも理解できずにどう解釈して良いのか理解に苦しんだ。根魚基本的には居たら食ってくる系の魚で、すぐに食ってこないぐらいスレてるなら相当な腕前じゃなきゃ釣れんはずで弩級じゃ無理っていうか、なかなかに上手いはずのワシでも無理。同じ場所で粘るのも人山が立ってる釣り場を選択するのもワシにとってはあり得ないぐらいに不可解な状況だった。根魚なんてのは情報が出てくるような場所やら釣り方とかは一切無視しなければ釣れないとワシなんて思ってるくらいだけど、どうなのよ?

 で、そういう釣れてれば寄ってくるような、ナニが釣りたいのかナニが釣れてるのかも分かってないような弩級の輩どもが釣り場に増えると、まず困るのがトラブルの増加で、ライン放出をフェザリングして糸が吹けないようにするなんて基本ができてないから弩級なわけで、風が吹けば吹けたラインがワシの前までやってくるので輩が巻き始めて糸ふけが回収されるまで投げられん。単純に邪魔。ナニが釣りたいのか釣れてるのかも分かってないので、休日の釣り場で竿何本も展開しくさるのもいて、”釣りっぽいナニカ”をエンジョイしたいだけで真面目に釣る気がないなら邪魔にならんところに行ってくれってホント思う。ナニをエラそうにと思うかもだけど、釣れてる釣り場のよく釣れる釣り座が弩級の輩に潰されて無駄になってるのは実際に目にすると皆さんが思うよりも精神衛生上良くない。前々から繰り返し言ってるけど、ルアーマンで竿何本もさした”箱”を持ち歩いてる輩には、あの箱を捨てろと強く進言する。あれ最初はクーラー兼用だと思ってたけど、クーラーではなく道具箱だと知ったときのワシの受けた衝撃たるや、漁港でアジやら釣るのになぜあんな道具箱に入れて運ばにゃならんほどに道具が必要なのか?ウエストポーチなりなんなら上着のポケットに入る程度の道具で軽快に足を使って活性の高い魚を探し回れるのがルアーの長所だろ?それを完全にダメにして、竿2本も3本も持ち込んで、釣るべき魚が絞れていない云々の前に、見ててもせいぜいワームの色変えるとかジグヘッドの重さ変えるぐらいしかしてないのに、なにをやってるのかやりたいのかてんで分からない。釣具屋の広告に騙されたバカにしか見えない。で、やつらの行動を見るともなしに見ていてイラッイラさせられるのが、準備がとろくさいということで、ワシが延べ竿でアジ釣ってる後ろに車が止まってなんか釣り人がやってきたなと思って、近くで釣られるとうっとうしいなと思ってると、いつまで経っても釣り始めない。ルアーで釣りするのになににそんなに準備に時間が掛かる?竿出してリール付けてルアー結ぶだけだろ?なんか出撃前の儀式とかしてるのか?そうだとしても、たまにしか釣れない貴重な釣れた魚を全部憶えてて、その魚たちすべてを思い出しつつ鎮魂の祈りを捧げてるぐらいしないとそんなに時間くわんだろ?ってぐらいモタクサしてて、そりゃ場合によっては一刻をあらそう時合いに到底間に合わんだろうって話。ワシ、ルアーなら釣り場に着いたらすぐ釣り始められるように、リールセットしてスナップまで結んで自転車で運ぶ。車で釣りに行ってたときも一緒。釣り場でルアーの包装を捨ててく輩がいるけど、釣り場でそんな「家でやっとけ!」な準備してる輩の腕などおして知るべしだと思っている。

 で、混んでる釣り場以外でやってくれって話ではあるけど、それだけで話がすまないのが弩級の弩級たるところで、ワシと直接交わることのない輩どもが大いにワシに迷惑をかけやがる。まあ皆様ご存じのゴミの問題である。まったく釣り場にゴミを捨てていく輩の考えていることは理解できない。ワシの周りにいる釣り仲間でゴミを捨てるような輩は居ないので聞きようもないし、時合い外してワシが朝まずめ釣った後の釣り場や、ワシが夕まずめで出勤する前の釣り場で釣ってるようでもあり、そら釣れンだろうなって話だけど、さすがに今の今まで釣ってましたっていうハリに活きの良いゴカイがうねってる仕掛けとかがそのまま捨てられているのとかを見ると、ホントに暗澹たる気持ちになる。近所漁港はよく釣れる釣り場だと思うけど、それでも時合いを逃せば釣れる魚など居ない。見事に時合いを外すそのマヌケ加減には恐れ入る。奴らはいったいなんなのか、ケン一は「親のしつけのレベル」と吐き捨てて、Oニーサンは「センスの問題」と切り捨てたけど、なるほどそのどちらでもありそうだと納得する。加えてワシ的には想像力の欠如、もっというなら”頭の悪さ”もあるだろうと思っている。ゴミ捨てれば一番端的に近い将来に起こるだろうことは、釣り場に「釣り禁止」の看板が立って釣りができなくなることで、それぐらい想像しろってはなしだけど輩どもは弩級のバカなのでそれが分からない。そして釣り禁止になっても別に場所を変えれば良いぐらいにしか思ってなさそうで、他の釣り人に多大な迷惑を掛けることには考えがおよんでないだろうし、分かったとしたところで屁とも思わないバカどもなんだろうと思う。ましてやハリの付いた仕掛けなんぞは、漁港を職場とする漁師さんの邪魔になったり、鳥の命を奪ったりっていうのは、バカに想像できるとは思えない。ほんとそういうバカに生まれなくて良かったと胸をなで下ろすところである。何度も書くけど、結構難しいことも考えないと魚釣りって魚が釣れなくてつまらない、極端なことを言うとバカでは楽しめない遊びである。何でもそうなんだろうけど、バカに生まれてしまえば人生罰ゲームみたいなもんである。心底馬鹿にしてるけど、哀れにも思う。バカだから釣具屋に騙されて、やたら細っそいラインをフェザリングもまともにできないので絡ませて、あげくその場に捨てていく。冒頭写真のような絡まった細糸をイヤと言うほど拾わされている。PEの細糸も、ナイロンやらエステルの細糸も弩級のヘッタクソが使ってどうにかできるような代物ではない。ヘッタクソ用にラインが絡まずトラブル少なくなるような道具をメーカー様は作ってくれているけど、限度っていうモノがあって弩級まではどうもならん。糸巻き量を少なめに巻いてスピールエッジにアタる角度をキツ目にするっていうのは万能に近い対策だけど、輩どもが知ってるとも思えないし調べるとも思えない。これ読んだ人は知っておいて欲しいけど、当ブログの読者様なら既にご存じだろうって話で必要な輩に届かないだろうことがもどかしい。

 っていうのとあわせて、そういうバカな道具を素人に売りつける釣具屋やらメーカーにも責任の一端はあると思う。バカが買うから売るのであって、第一に責任があるのはバカな輩どもだとは思う、思うけど素人にはソレナリの太さのナイロンラインを奨めてやってくれと心底思う。それで防げるトラブルはいっぱいあって、ソレナリの太さのナイロンラインで釣れる魚もいくらでもいる。なのに細糸でないと釣れないような初心者の不安を煽る売り方をして、あげく釣れなくてすぐやめてしまうような弩級・超弩級の輩を縮小再生産するに甘んじて釣り人口の減少に拍車を掛けて、ゴミを出す原因を作って釣り場を減らすのに荷担してどうするって話。
 
 ある日カマスが釣れてる釣り場で、横に入ったオッちゃんが一匹釣ったあと、ライントラブル発生で苦労してほどこうとしていた。せっかく釣れてるのにさっさと釣りに復帰しないと、時合い意外と短くて終わってしまうの分かってないなと思って「ハサミあるから切って結び直した方が早いですよ」と助言してあげた。隣に入るときに挨拶してもらってたし、そのぐらいは袖触れ合うも多生の縁で助けてあげても良いだろう。まあ挨拶大事って話である。ところがオッちゃんは「切ると結び直せないのでなんとかほどきます」と言っている。イヤイヤ結べなかったら釣りしてて困るだろ?って思うけど初心者らしいので、面倒くせぇPEとリーダーの結び方とか難しいんだろうなと思いつつ、まあ結び方も知らないと釣り場で困るというのを学ぶのも大事かなと、頑張って時合い続いてるうちにほどいてくれと見捨てることにした。だがしかしこれが、よく釣れてる日でワシが水揚げ目標の干物用12匹を確保して時合いの続いてる中帰ろうかという段階になっても、まだオッちゃん絡んだラインと格闘している。そのまま放置して帰ったとしてもワシにはなんの責任もないはずである。であるけど、釣れる日の釣れる釣り場のまさに時合いドンピシャに来てるのに一匹釣っただけで終わりというのはあまりにも不憫で「私が結び直してあげるからハサミで切ってほどいて早く釣りましょう」と言ってしまった。ワシ自分で言うのもなんだけど、善良な人間ではない。ブログの攻撃的な物言いやら汚い言葉やら読めばおわかりかと思う。でも、だからといって正しい人になって良き行いをしたいと思いもしないほどの、精神構造に欠陥を抱えた人間でもないつもりである。釣り人としても先人や釣り仲間たちから釣り場にかぎらず数限りなく良い施しを受けてきた恩も感じている。その”神聖な負債”をちょっとでも返せるモノなら返したいと、つい出来心で言ってしまった。らしくねぇなと思わんでもない。聞けば子供の頃釣りしたことはあるけど、ほぼ初心者でカマス釣りたいと言って、店員の奨めるままに道具を買ってラインも巻いてもらってリーダーも結んでもらったそうである。初心者に結べもせんPEラインをスプールの端までキッチリ巻いて売りつけてくれるなよ。頼むぜ釣具屋の店員さん。それでその時ナイロンラインより多少値の張るPEラインが売れたとして、そうやって初心者が扱いにくい道具で釣り場でライン絡めて釣りにならなくなったら、その人がまた釣りに行こうってなるかって話で、道具中古屋にでも売っぱらって二度と釣り具や餌を買いに来ることはないのと違うのか?もっと丁寧に上客である、弩級・超弩級じゃないまっとうな釣り人を育てなきゃ商売ジリ貧なのは分からんかね?オッちゃんには「糸巻くところの端まで巻くとドバッと糸が出て絡みやすいからある程度糸抜いて使うと良いですよ、結びやすいナイロンラインを巻いてもらうともっと使いやすいですよ」とアドバイスしつつ、苦労して2人がかりでバチバチ切りつつ絡んだラインを処理してワシがSFノットで結び直して、オッちゃん釣りに復帰したのを確認して帰路についた。

 もしかすると店員自体がメーカーや釣りメディアの垂れ流すおかしな情報に洗脳されててよかれと思ってやってることなのかもしれない。そういうアホな釣り業界の流れを放置して今の有様にしているのは、我々釣り人全員の責任と言うこともできるかもしれん。分解整備できない、水に浸かったら困るクソみたいな道具がもてはやされるのを放置しているバカな釣り人の責任は重い。それを止められないワシのような自称玄人の釣り人も連帯責任で同罪だと思う。だから責任感じてワシは精一杯、くっだらねえ道具を馬鹿にするし、ゴミを捨ててくような恥ずかしい輩どもを口汚くののしるのである。まあ単純に頭にきて憂さはらしてるってのもあるにしてもだ。

 まあ、きったねえ言葉を連ねるだけでは建設的ではないので、繰り返しになる部分も多いけど、いくつか釣り人達に自身が弩級・超弩級にならないように気をつけた方が良いことなどアドバイスしておきたい。

 一つ、アジ釣り舐めるな!
 ほんと、アジぐらいコマセサビキで簡単に釣れると安易に考えてる釣り人のなんと多いことか、サビキって要するにルアーでっせ、疑似餌に食ってくる活性のある時間やら日って意外に少なくて、活性の良い日にアタればコマセサビキの爆発力はすごいモノがあるけど、ほとんどの日は夕まずめとかにチョロッと釣れて終わりである。毎日コンスタントに釣る名人のオバちゃんとか居るけど、それは毎日通って釣り座も誘い方も最適化している熟練の技でこそなせる釣りであり、たまの休みに釣りでもエンジョイ勢が爆釣できる日など年に10日もあるだろうかぐらいの感覚である。ましてやアジングやおやって話で、近所漁港ではそもそもカマスと一緒に港外から入ってきたような群れ以外、夏に豆アジで入ってきてから”主食コマセ”でコマセに学習しきってるので、動きで誘うワームとかでは釣りがほぼ成立し得ない。アジングするなら天然の良港みたいな湾奥の釣り場じゃなくて外海に面したような釣り場を選べって話である。で、じゃあどうすれば良いのっていえば常々しつこく繰り返しているように”延べアジ”である。釣れてる時の爆発力でこそサビキに遅れをとるけど、手堅さにおいて延べアジに勝るモノはないといいきれる。まあゆうてもワシの延べアジの技も4年も5年もかけてクンフー積んだわけで、最初はマズメ時になんとか4,5匹釣れる程度から始めて、コマセも仕掛けも改良して、フグを味方につけてと、日々進化させてるけど、逆に言うと延べアジなら最初から4、5匹は釣れるぐらい堅いのである。4、5匹でも釣れれば、次さらにどうすれば良いかのとっかかりになるので、ハズすとまったくどうにもならないサビキより手が進みやすい。釣具屋も、多くの輩が全く先に進んでいかないだろうアジングの道具売りつけるより延べアジをまず流行らせろ。コマセが沢山売れるからと言って安易にコマセサビキを素人に奨めるな。アジ釣り、真面目にやればいくらでも深く突っ込んでいける面白さがあって、正直今自分の釣りの中で一番高度な技量で釣ってるのはアジである。釣れれば楽しく深く潜って行けるので、達人でもなければアジごときで釣れない釣りはするなという話である。

 二つ、ゴミを拾え
 真面目に釣りをするなら、もう釣り場が釣り禁止にならないように自己防衛として、他人が捨てたゴミをムカつくけど拾わないとどうしようもない現実がある。これはほんとお願いだけど”ゴミは拾うしかない”と諦めて拾っておいてください、ナマジ伏してお願いいたします。
 ゴミを拾うコツがあると思うので、読んでいただいた皆様だけにこっそりと秘伝を教えてしまいましょう。
 ゴミ拾うのに、拾ってもそれを道具入れとかに入れるとラインゴミとか絡まるしバッチイので、ゴミ拾い用の容器を常に持ち歩いておくと、ラインゴミとかかさばらないモノであれば、気兼ねなくササッと拾ってしまえます。ワシはペットボトルの保冷バック、いわゆるペットボトルホルダーを腰にぶら下げていて、それにササッとぶち込んで上からペットボトルで重石をしてゴミ回収してます。ラインゴミだけでも目に入ったら躊躇せず拾う習慣が身につけば貴方の釣り場環境はずいぶん良くなるはずです。たまに休日明けとかペットボトルホルダーに入りきらんので漁獲物入れてる水汲みバケツにぶち込んだりもしてます。
 で、そういう小物以外の、触るのもイヤな感じのコマセの袋とか、コンビニ袋に入った食いかけの牛丼の残りとか、ペットボトルホルダーはもちろん水汲みバケツにも下手すると入りきらんので、中身を海水で洗って、コンビニ袋があったらコンビニ袋にぶち込んで、自転車の前カゴにぶち込んで回収してます。本来そこで買った飲料の缶やらペットボトルを捨てるためのモノだと思いつつ、申し訳ないけど帰り道の自販機横のゴミ箱に飲料ゴミは捨てさせてもらってますゴメン。で、それ以外のゴミはどうしようもないので、ゴミの日まで分別してレジ袋とかに入れて玄関脇の外に放置。牛丼臭いし、なんかバッチちくてバカが感染るような病原体が付いてそうな気もして我が家の敷居をまたがせたくはない。さいわい近所の野良猫もカラスも賢くて食うモノが入ってないゴミ袋を荒らしたりすることはないので助かっている。輩どもよりはよっぽど賢い。
 釣り場の釣果写真とか、さも美しい自然の中で格好いい道具で釣ったような雰囲気を醸し出したくなるモノだけど、実際の釣り場はゴミだらけで、魚も渋くて苦労することが多いっていうのをちゃんと示しておかないと、釣具屋側の甘言に騙されて弩級候補の新参者が”無限湧き”するのを止められないので、抑止力となるべく”ゴミと釣果”の写真をこれから積極的に撮っていこうと思っている。そういう日本の釣り場の現実を見て、安易に釣りに手を染めるような輩に覚悟を促せたり、心ある釣り人に何かを感じてもらえたりすれば重畳。

 三つ、使えもせん細い糸を使うな
 釣具屋・糸屋が儲かるだけで、百害あって一利ぐらいあるのかないのか程度なのでほんとやめてね。釣り場でライントラブル起こしてたらその時間は魚釣れないって単純な話で、小もの釣りからシーバスぐらいまでなら、ある程度太さのあるナイロンラインでなんとでもなるんだから、アホな情報に惑わされて「細糸使ってるオレ格好いい!」とか勘違いしないように。腕が良いなら太い糸で細い糸使ってる輩より釣ってくれ。その方が格好いい。ライントラブル多いならあんたの腕では扱えない代物だってことだし、糸巻き量を減らすとライントラブルは激減するのは憶えておいて良いかも。ちなみにワシ、メッキとかの小もの釣りからチヌ狙いまではナイロン1号、シーバスと小型青物あたりはナイロン2号使ってます。今時のナイロンラインは高性能なので使いやすく丈夫。ナイロンで間に合う釣りはナイロン以外使う気がしないぐらい。

 四つ、バカみたいな道具を買うな
 ホント今時の道具って、使いにくそうだなと思うし、あれで上手に魚釣ってる釣り具メーカーのテスターとかホントに技術が高いと感心する。道具がまともならもっと簡単に釣るだろうって思う。嘘だと思うならワシの釣果をチェックしてみてちょうだい。30年40年前の道具で玄人を自称できるぐらいには釣ってます。
 だいたい、スピニングリールに特別な防水機能が必要になるような機構を乗っける思想が理解不能。メーカーの人知らんのかもしれんけど釣りって水辺でやる遊びでっせ。あと、感度の良い道具ってみんな騙されて買うけど、釣り人側に感度が良いってことは、当然ながら糸の反対側に居る”魚にも感度が良い”って話で「ショートバイトが多い」とか分かった風に言わなきゃならん状況では、かったるい調子の竿使ってビヨーんと伸びるナイロンラインで釣るとガッチリ食い込むことが多い。そういうアタリの分かりにくい道具立てで竿先やらラインの動きやらで、警戒せず自然に食い込んだような微妙なアタリをとれるようになると、魚はバシバシ掛かるようになります。感度とか飛距離とか軽さとか魚一匹も釣れなくても評価できるようなカタログスペックにはほとんど意味などないので騙されないように。バカな道具も売れなきゃ作れなくなるので買わないのが一番。リールでお薦めなのは過去記事に書いてるので参考にしてね。あとあの何本も竿立てられる箱は捨てろ。

 五つ、くっだらねぇ安い情報に惑わされるな
 ネット情報とか釣具屋情報とか、そこでさらされている時点で終わってるので、ひっかかってわけ分からん人山を作ってくれるな。究極的には釣りの情報は釣り場に立って足で稼いで己が目で確かめろ。あと、わけ分からん釣具屋側が新しい道具売りたいがためにとってつけたような”簡単に爆釣”的な釣技を真似してる暇があるなら、ラインをふけさせないようにフェザリングして”トラブルなく正しく投げて巻く”とか、きちんと魚の泳層を狙えるようにカウントダウンしっかりして棚キープするとかの”基本のキ”こそしっかり練習して身につけておいてくれ。今書いた2つがキッチリできたら釣れる魚はたいてい釣れる。40年以上釣ってきてるけど、今でもその二つの精度は上げるべく努力してるぐらいに重要な要素だと思ってる。飛距離?アクション?まああって困ることはない程度のものである。場所と時間の“ポイント選び”が9割以上釣果を決めるとおもうけど、道具や技術も間違ってると魚が釣れない要素ではある。道具と技術は基本こそ大事で基礎ができてなければ応用もクソもない。特別な強みがあるよりあからさまな欠点がないことが大事で、欠点があるとそこから釣りが崩壊する。応用は基礎ができてれば釣ってりゃ自ずとできるようになる。基礎吹っ飛ばして行けるような楽な近道はどんな世界でも一緒だろうけど存在しない。地道に工夫とか経験値とか努力とかを積み上げていくしかない。

 まあ、あと挨拶ぐらいしてお互い気持ちよくとかもあるけど、書き続けるといくらでも書けるので、このぐらいにしておこう。エラそうに書いたけど今年はワシは自身を達人あるいはカリスマ釣り師として演出しなきゃならんのでこの調子で頑張りたい。日本語読んで理解してくれるぐらいの釣り人ならワシの言ってることはかなり伝わると思ってるけど、弩級・超弩級あたりになってくると、日本語読めてるのか極めて怪しくなってくるので、そういう輩どもの脳髄にまで届けて洗脳するような言葉を吐くにはどうすれば良いのか、なかなか難しくてアタイ困っちゃうの。

2025年2月8日土曜日

未来は観測するまで確定しない

  天気予報が外れて、時化の中大苦戦とかありがちで、今時の高性能なコンピューターの能力をもって、様々なデータを取り込んで、長い時間の中で開発・改良されてきた演算方法を駆使して予想したところで、明日の天気さえ確実には予知できない。

 椎名誠先生って、ご自身が飾らない謙虚な物腰なのでその印象はあんまりないかもだけど、すごい勉強家で、ものすごい読書家なのは有名かもだけど、いろんなことを興味を持って調べていたりして、SFモノとか著書にも影響は見て取れるけど、その椎名先生が紹介していた科学ネタで、SFに良く出てくる技術で、案外テレポーテーションや時間移動は一部実現してるぐらいで簡単だけど、未来予知はほぼ不可能と言って良いぐらいに難しいって紹介していた。たしかに量子テレポーテーションとかは実験室段階では確認されているぐらいで、まあ量子が実際に移動するわけじゃないのでテレポーテーションといって想像する技術とはちょっとちがうけど、情報が瞬時に伝わるってのを突き詰めていけば、物体も情報に還元してしまえば送れそうにも思う。時間移動については、ドラえもんに頼まなくても今は次の瞬間昔になって、昔の未来に我々は存在しえる。これもまたタイムマシーン的なモノとは印象が異なるが、冷凍あるいは冬眠状態で未来に目覚めるっていうのは実現化しそうな技術だし、高速で飛んでったロケットとかの中では時間がユックリ進むので帰ってくると相対的に未来に戻って?くるっていう「ウラシマ効果」でも未来に行くことはできそうで、逆に過去に戻るのはアインシュタインが「計算したら無限に等しいエネルギーが必要になるので無理」とかいってたように思う。でも未来に行くのならできそうな技術である。

 これが、未来予知となると、そもそも物質の大元である量子とかの極小の世界では、量子の状態は観測するまで確定しないってのがあるようで、目に見えるような大きさを持った物質は一般的なニュートン力学的な物理法則に従うけど、量子レベルになるとちょっとわけ分からん挙動になるというのが今の定説である。有名な”シュレディンガーの猫”の思考実験みたいに、箱の中で原子が放射線を放出したか放出していないかは確定していないので、放射線が放出されると殺される仕組みの箱の中の猫は観測するまで生きている状態と死んだ状態とが重ね合わせて存在している。ってわけ分からん話で、未来というのは五分五分の状態に限らず7:3とか0.1:99.9とかもあるんだろうけど確率的に不確定な状態にあって、観測するとそれが結果に収束するんだそうである。ほんまかいな?って話だけどどうもそうらしい。明日の降水確率30%というのは、まあ実際にその確率で不確定な状態にあるってワケじゃなくて、今の技術水準でめいっぱい予想したらそのぐらいの曖昧な結果しか出ないって話だろうけど、突き詰めていって、コンピューターが量子コンピューターとかの出現で桁違いの処理速度になり、地球上のすべての気象に関連する物理的な粒子や要素を観測する体制を構築してその値をぶち込んだところで、予報としてはやっぱり明日の降水確率は30%とか、確率的な答えにしかたどりつけない道理である。まあそこまで行ったら立派だけどな。

 という中で、主に物理条件を考えておけば良いだけの天気予報すらめちゃくちゃ難しいのに、明日の魚のご機嫌がそうやすやすと我々釣り人に読めるかよ?って話で、それでも釣り人は明日の魚のご機嫌を読もうと血眼になる。まあ、ある程度季節的な動きとか、日周的な動きとかあって、直近の釣れ具合とか餌生物の動向、それこそ明日の天気予報とかも加味しながら、なんとか”パターン”的なものを読んで良い釣りにつなげようとする。それはある程度ハマってくれて努力が報われることもあれば、ちょっとした要素でまったくハズれて途方に暮れることも多い。簡単な例を出すなら、イルカやら青物やらの捕食者に追い散らされて全く食ってこない日もあれば、逆に追い込まれて接岸して爆釣に繋がるときもある。イルカの明日のご機嫌など読みようがあるか?ッて話だけど、まだそれ単体なら今日イルカがワシワシ魚食ってた海域では餌が豊富なんだろうから明日も来る可能性あるな、とか読みはなんぼか立てられる。だとしてもイルカの他に餌がどこに行くか、潮の動きはどうか、天候や風向きはどうか、対象魚自身の”気分”はどうか?そして何より釣り人の動向はどうかと、複雑な要素が絡み合うと、ある程度の予想は立てるけど、結局は博打でしかなく、これまでも折に触れて書いてきたけど、最終的には釣り場に立って確かめるより明日釣れるかどうか?その結果を確定させる方法などないのである。

 って言うぐらいに生物の絡む”未来予知”は難しいにもかかわらず、世の中の多くの人が、日本の漁業は資源管理ができてなくて獲りすぎで魚が居なくなっているって、アホな現場を知らん机上の空論を振りかざしてエラそうにのたまう学者先生の分かりやすい”たわ言”を信じて、水産資源がさも管理さえすれば、予定どおりに漁獲し続けられるような妄想を抱いているように見受けられる。何度も書いてきたけど幻想に過ぎない。まずはその幻想をブチ殺せ!

 とりあえず、資源管理のために北欧型の個別割当制度にするっていったって、企業ベースで漁業者数が限られているあちらさんと、大企業の事業ベースからジ様の生きがい的なモノまで多種多様な形態で漁業が営まれている日本とでは、仕組みの根本から違ってくるだろうことは自明で、北欧信者はどの分野でもいるけど噴飯物である(ワシもABUやラパラを信仰してるけどな)。制度作ってルールを決めただけでみんな大人しく言うこと聞いてくれるなら苦労しないって話もこれありで、ちゃんとルールを守ってるか調査する体制だけでもエラいコストがかかるのもこれまた自明。海保にでもやらせろ、って思うかもだけど漁業関係だけでも罰金額やら刑罰上げてもレジャー感覚で密漁しやがる輩の対応とかヤクザのしのぎに闇バイトとかの組織的な密漁対応まであって、それだけでも手一杯ぽくて、そんな地道に帳面と現物突きあわせてやらなきゃならんようなややこしい仕事、片手間でできるわきゃない。県や警察もおなじようなもの。

 かてて加えて、生物の動向、その未来を予想する困難さよ。資源管理の考え方自体は間違ってないと思うし、重要な考え方だと思う。ただ、予想精度は控えめに言って大雑把で不確定要素を多くはらんでおり、丁寧に情報を収集しつつ改訂作業しながらやったとしても「種親まで獲りすぎたら次の世代が減る」という大原則は確かだとしても、なかなか数量的な管理まで上手にするのは難しい。そして、管理したところで天然資源である水産資源は自然に増減するものであり、まあ端的に言えば魚種交代とかいわれてよく知られている現象に逆らってまで、資源を豊富な状態で保つことは不可能だと断言する。サンマが減ったのは外国漁船を含め獲りすぎたせいというのは、まずいま魚種交代でサンマが減ってマイワシが増えてる局面だというのを考えると、ほぼ嘘っぱちでサンマは獲ってなくても自然に減っていったはずである。乱獲が追い打ちしている可能性までは否定しないけど、どのみち獲らなくても減っていくのを指くわえて獲らずにいるほど漁師も余裕があるわけない。とれるときに親の敵と魚の群れはとっておかねばならんというのが大昔からの鉄則である。スルメイカとかあんなもん資源管理の対象となったと聞いたときは冗談かと思ったぐらいで、海洋環境の変化でアホみたいに湧くこともあれば激減することもあるような単年度で発生して増減するのが基本の生物資源である。獲りすぎていなくなったというよりもっと根源的な問題である気候変動による海水温上昇とかが効いてるはずというのは、まあなかなか確定的には証拠揃えて言いにくいんだろうけど、それなりに証拠もあるだろうし水産関係各位アホな学者先生除けば分かってると思う。

 イマイチ腑に落ちてない人も居るだろうから、水産資源の動向が全く読めんという端的な事例を紹介しておきたい。絶滅が危惧されていて大いにそのことが話題にもなったニホンウナギ。その幼魚であるシラスウナギが今年とんでもなく捕れている。ワシ実は昨年からお歳をめされて辞められる方の許可枠を引き継ぐ形で、ウナギ稚魚漁業従事者の許可を得て操業している。無職と言ってるけど、物価高のおり生活も切り詰めつつ、実はそういうアルバイトはしているのである。昨年参入して許可手続き料約3千円と道具も自作したりして安く上げて3千円ぐらいと初期投資約6千円でスタートして、1匹200円の海のダイヤを大漁して、いい加減買い換え時の冷蔵庫を中古で良いから購入するのを当面の目標として頑張った。しかしながら新規参入でそうそうはじめっから上手くいくはずもなく、初年度は6千円弱と経費とトントンぐらいに終わった。まあ大損せにゃ上出来でこれから稼いでいけばいいと迎えた二年目の今漁期。紀伊半島は1月はあんまり捕れなくて2月ぐらいから本格的な来遊を迎えるので正月明けに1回試しに行ってまだ来てないのを確認して、2月から始めようと思っていたけど、本格的な漁期を前にシラス捕りの師匠である漁師さんから衝撃的な情報を耳にして落胆した。1月から九州四国でメチャクチャ捕れていて、価格が暴落して去年の1割の1匹20円まで単価が下がって、まだ下がりそうで今漁期はもう店じまいだとのこと。最低限今年から値上がりした許可手続き料ぐらいは回収しようと思っていたけど、今現在10円台に突入していて最終的には5円ぐらいまで下がるとの読みも、漁期途中での終了の指示もあり得るんじゃないかという話もささやかれる情勢でかなり厳しい。まあ、数が捕れればなんぼかでも銭にはなるし、なにより稼げもしないのに寒い中馬鹿臭くてカイてる(当地ではシラスは「カク」と言う)人も少ないので、練習して道具の改良とか進めるにはちょうど良い。というわけで雨降った日に行ったら、まあ上手に捕る人に比べたらものの数じゃないにしても、去年とは比べものにならないぐらい捕れて単純に面白かった。冒頭写真のバケツの中の糸くずみたいなのがシラスウナギです。

 ウナギの稚魚が捕れなくなって、資源量が減っていると評価されて、河川環境の悪化やらネオニコチノイド系の農薬との関連がとりざたされたりもしたけど、正直ナニが原因か分からないというのと共に、ワシ的には違和感を感じていた。ナニが違和感の原因かというと、ウナギって耳石のカルシウム、ストロンチウム比だかでどこで育ったか分かるようで、ウナギ印象に反して海に結構棲んでてむしろそっちが主体という説もある。河川がコンクリで固められても海は消波ブロックの隙間とかいくらでもあるだろうし、ネオニコチノイド系の農薬が海のプランクトン組成とかウナギの稚魚の餌に打撃をあたえてるとかいう話は、知らんだけであるのかもだけど、ちょっと想像しにくい。というなかで、なんか分からんけど捕れるときはアホほど捕れるという水産資源の特性そのままの結果が、いま近所の海でシラスウナギにおいて起こっている。誰がこんなことを予想できたというのか?

 水産資源を獲りすぎないようにするのはもちろん大事。と同時に我々の知能や知識がおよびもつかない要因でそれらは増えたり減ったりするので、それを完璧に読んで、あまつさえ管理しきれるなんて考えてはいけない。それは傲岸不遜というものである。それを踏まえつつ、少しずつでも情報や考え方を更新していきながら、真摯に向き合う必要があると思っている。

 そしてワシの思考は、最終的には明日釣れるかどうかを確定させるためには、やっぱり明日釣りに行くしかないという結論に収束していくのである。

2025年2月1日土曜日

朝青龍は豊昇龍のおじさん

 初場所、綱取りに挑んだ2人の大関の15日間の闘いの結果は残酷にも明暗分かれた。先場所大関どうしの相星決戦を制して優勝した琴櫻関はなんと負け越して来場所は角番大関で、綱取りが一転して大関陥落の危機に。逆に、豊昇龍関は苦手の熱海富士に負けたりと三敗するも、今場所優勝争いを先頭で引っ張ったカザフスタン出身の金峰山関に一敗差で迎えた千秋楽、本割りで金峰山関に、これも一敗差で追いかけていた王鵬関が土を付けると、優勝決定戦は豊昇龍、王鵬、金峰山の巴戦にもつれ込む大盛り上がりの展開。これなにげに本割り組んだ審判部のファインプレーで、最後2日は金峰山関との対戦残ってる相手で上位の力士は霧島関と王鵬関で、千秋楽盛り上げるなら金峰山に千秋楽土が付いて優勝決定戦というのが最高で、そうするとここ二場所ぐらい覚醒したかのような強さを見せている王鵬関のほうが、綱取り失敗からガタガタになって王関陥落してやっと復調してきた感のある霧島関より期待がデキたと思う。実際決してたやすい相手ではない霧島関を倒して金峰山関千秋楽を単独トップで迎える。

 金峰山関はワシの推し力士である。なにしろカザフスタンというワシ釣りに行ったこともあるけど日本ではあまり馴染みがない遠い国(冒頭写真のような草原と山脈の国です)からはるばるやってきて、裸一貫、締め込みいっちょで、厳しい勝負の世界で闘ってるんである。ワシが応援しなくてどうする。先場所まで古傷の首に加えて膝まで故障をかかえて幕下に落ちていたのが、今場所幕内に復帰すると、怪我の調子も良いのか、新たな武器となった恵まれた体格の長いリーチを活かした諸手突きが威力抜群で、首の故障に響かないように工夫を重ねた結果なんだろうけど怪我の功名とはこのことって感じで、足も良く動いててピンチになってもなんか投げも打ったりして気持ちの良い勝ちっぷりで、正直このまま優勝してくれと祈ってた。 

 ただ、本割りで負けて優勝決定戦となると、体力勝負になるので大型力士は有利な面もあるけど、経験の浅さはやっぱり補えなかった感じで、そこはここ一番に強く、優勝経験もある豊昇龍関に目の前まで来ていた幕内最高優勝をかっさらわれてしまった。でも金峰山関の成長と大活躍は誰の目にも明らかで、胸を張ってこれからも相撲を取っていって欲しい。っていうか本人も大いに自信をつけただろう。今回悔しくたって良いんだぜ、次のチャンスは絶対巡ってくると確信させるに十分でこれからも応援させてもらう。

 で、豊昇龍関、本人嫌がってるぐらいに叔父さんの朝青龍関とは比較されて話題にされがちである。まあ、顔も似てるし投げが強いのも似てるので仕方ないところはある。でも大横綱の朝青龍関と比べると、投げは上手いけど、気迫と立ち会いは劣るかなと思ってたけど、今場所はこれまた覚醒して化けた感があった。小兵力士ではないものの決して大柄ではないんだけど、運動する物体の持つエネルギーは重さだけでなく、早さの2乗にも比例するわけで、出足鋭くしかも低く土俵をしっかり蹴って突っ込む押しの強さが今場所際立っていた。投げは相変わらず上手いんだけど、立ち会いで押し込んで一気に相手を土俵の外へというのが印象に残って、いよいよ相撲取りとしては完成形に近づいてきたとみな思ったはず。先場所同じ大関との相星対決に負けて相当悔しかったのだろう。研鑽と向上への渇望が見て取れた取り口だった。まあ、投げに特化して肩関節の脱臼が癖になっても投げにこだわった昭和の大横綱千代の富士関みたいな力士になってくれても良かったけど、なんにせよ強くなっていくのは見てて気持ちいいので大歓迎。で、2度目の優勝。まあ先場所準優勝で今場所優勝ならとうぜん横綱審議委員会が開かれたわけで、まあめでたく横綱誕生となったわけだけど、横綱になる一定の目安として「大関として二場所連続優勝かそれに準ずる成績」というのが言われていて”準ずる”ってところが難しい。過去に優勝したことない大関を横綱にしたら、大して活躍しないし、部屋で女将さんに暴力振るって廃業になるし、格闘家転向もパッとしなくて相撲が舐められる原因になるし、あげくスポーツ冒険家とか角幡先生に説教されるような怪しげな肩書きでナニやってるか分からんまま消えていった双羽黒みたいなのがいるので、横審もそのへん慎重になる。勝ち星の数が前回も今回も全勝優勝的なものではないのでネットニュースとかでは、すぐに「横綱確定」とかの記事も散見される状態だったけど、微妙っちゃ微妙だった。とはいえ、今場所の最後まで諦めずに優勝争いに食いついていった精神力の強さと、最後決定戦で2勝してるのは追加星でカウントして評価して、ここは横綱で問題ないんじゃないでしょうか?とワシも思ってたのも事実。綱取りってものすごい重圧らしく、あの強かった霧島関が綱取り失敗後ガッタガタになったぐらいだし、琴櫻関だって先場所の優勝見てたら今場所の崩れっぷりは想像できないぐらいにメンタルも強いと思う。でも今場所はあからさまに普通に取ってりゃ10勝やそこらは楽に勝てるはずの大関がたった5勝でっせ。まあ、その綱取りのプレッシャーに負けずに優勝したという事実だけでも心技体の充実ぶりは明白でしょ。

 っていう真面目な話の他に、今年は大相撲はコロナ禍もあって久しく行われてなかった海外巡業を控えていて、横綱照ノ富士関が今場所途中で引退して、海外巡業で横綱土俵入りが披露できないってどうするよ?って協会関係者は頭抱えてたと思う。照ノ富士関満身創痍だったのは明らかで、巡業終わるまで頑張ってくれというのは酷ってモノで拍手で引退を送られてしかるべき立派な横綱だったと思う。まあそのへんの巡業でオゼゼも稼がないかんという大人の事情もあるんでしょ。それもあって、ここは二場所連続優勝またはそれに準ずる成績ってのにはバッチリ当てはまってるんだし、いっときましょうよという横綱審議委員のみなさんの思惑もあったんだったりして、と邪推している。豊昇龍関、足もよく上がるし横綱土俵入りも格好良く決めてくれまっせヨイショー、って気の早いことを考えてるワシ。

 で、横審でよく審議の対象になるのが綱を張る「品格」を備えているかとかいう、実にくっだらねぇネタで、相撲が神に捧げる神事であるということを鑑みても、そもそも相撲の起源とされる野見宿禰と当麻蹶速の対戦は、野見宿禰がストンピングで当麻蹶速の腰をブチ折って殺しての完全決着であり、もう相撲の神様は”荒ぶる神”であるとしか思えないのである。お行儀良く優等生なのが力士の”品格”か?と改めて疑義を呈しておきたい。まあ、豊昇龍関はおじさんと違ってやんちゃなところの少ない好青年であり、そこは横審的には問題視しなかっただろう。でもワシ的に豊昇龍関には横綱になるにあたっては品格に注文を付けておきたい。もっと荒ぶってくれ、もっとやんちゃしてくれという要望である。それこそ叔父さんのようにである。それが力士に求められる品格だろとワシャ思う。豊昇龍関、アベマの取材で他の力士がインタビュー受けてるときに、後ろからつっついてじゃましたりという、年相応のお茶目な一面も見せる若者だけど、それこそ朝青龍の轍を踏ませるなと部屋の親方やらも厳しく指導したんだろうけど、土俵でも私生活でも一般的な品格を疑われるようなことの全くない好青年ぶりである。そこがワシには物足りない。

 顔を張られて怒りに顔面紅潮させて、張り返したり相手をねじ伏せにいく怒りのこもった気迫、相手の痛めている膝に蹴手繰りを入れる非情さ、相手力士共々客席まで吹っ飛ぶような押し。時に土俵の上で垣間見られる、そういう荒々しさこそ相撲の神が求めるものであると信じる。お客さんもワシら中継視聴者も盛り上がるしな。

 土俵の外の話としては、以前も書いたけど格闘技が盛り上がるには”良いヒール(悪役)”が必要だって話で、米国最大のプロレス団体WWEの中継を見るようになって、改めてその思いを強くしているところだけど、なぜ協会はそのことが分かってないのかって常々おもっている。分かりやすい強い悪役が居れば盛り上がるのである。白鵬関が横綱のころは当時の貴乃花親方と確執とかもあって盛り上がったし、それこそ朝青龍関なんてワイドショーネタ連発で大いに話題を集めてくれた。ワシこれまでで一番好きな力士は300キロに近い規格外の巨漢で「角界の黒船」と呼ばれた小錦関である。後年はあの体重ではむべなるかなだけど膝の怪我もあって痛々しかったけど、全盛期はもう止められないぐらいの強さがあった。でも品格が無いとか横審に嫌われて二場所連続優勝に準ずる成績でも綱は張らせてもらえなかった。あの巨漢力士のプッシュプッシュな突き押し相撲の迫力は見てて痛快だったし、「俺が日本人ならもう横綱になってたはず」とか言っちゃう、ずけずけとした物言いも気持ちよかった。

 今の幕内幕下あたりの力士で悪役を務められそうな弾が見当たらない。モンゴル勢は総じて優等生になってしまって、ヒールと言うよりはむしろベビーフェイス(良いモノ)側である。千代翔真関は引き技多用で多少嫌われてるかもだけど、いかんせんヒールになるには迫力が不足している。ヒールとして大成することを期待していた、2m超の規格外の体でもろ差し食らってから相手の後ろマワシを肩越しにつかんでつり出すという、取り口も非常識だった北青鵬は、部屋で後輩に暴力振るったり金巻き上げたりといういじめで廃業となっており、実にヒールとして将来有望な力士だったので惜しい。まあ荒ぶってもらいたいけどそりゃあかんやろ。親方が白鵬だったので協会ももみ消さずに部屋ごと潰された感があるけど、まあ名選手かならずしも名監督たりえずってところか。私生活というか土俵外で面白いのは酒パワーで闘う錦木関とか酒豪の多い角界でも名をはせるとは、いったいどのぐらい飲むのか?と思うし、良くしゃべる一山本関はアベマのインタビューで「若隆景が推し力士」と公言するわけ分からん感性の持ち主で面白いってぐらいで、いずれにせよホノボノとした話題提供にとどまり「あんのクソやろう負ければ良いのに」というような強い感情を引き出すにはほど遠い。どっかの部屋が分かりやすい超ドレッドノート級のヒールになり得る新弟子引っ張ってきてくれることを期待するけど、いまの相互監視で足引っ張り合う社会情勢からして、そんな危ない弾を仕込みたがる部屋もないだろうから、豊昇龍関には横綱になったからには、是非これまでの品行方正な行いを悔い改めて、叔父さんを凌駕するような公私におけるハジケっぷりを披露して、大化けして欲しいと願っている。そうなれば、偉大な悪者横綱として、豊昇龍は朝青龍の甥っ子と言われることはなくなり、逆に「朝青龍関っていう豊昇龍関の叔父さんも横綱だったんだよ」と言われるようになるだろう。是非その方面でも頑張ってもらいたい。優勝明け会見に遅刻してたみたいだけど、イイゾその調子で行け!豊昇龍。なんだったら相撲協会上げて豊昇龍関を”悪の横綱”として売り出すアングル(対立を煽るようなシナリオ)を書いたって良いだろう。取り組みで八百長は勘弁して欲しいけど、取り組み外の売り出し方ならなんぼでも工夫してもらいたい。相撲協会の広報担当におかれましては是非そのへんご検討願います。

 なにはともあれ、初場所豊昇龍関優勝、横綱昇進おめでとうございます。