2023年2月18日土曜日

釣り人のマナーが良くなることは、今後もまったくぜんぜん期待できない

 ワシゃそう思ってる。

 論拠はいくつかあげられるが、一つには「釣り人」という大雑把なくくりでは、なにもとらえることできないという根本的な限界がある。このブログを読んでくれてるような奇特なレベルの釣り人も「釣り人」なら、なんか最近コロナ禍で”釣りブーム”とかいうからいっちょやってみるかと、百均あたりで道具揃えて釣り場にやってくるのも「釣り人」で、ボランティアで釣り場の清掃活動を企画運営するような聖人から、そいつが一定時間そこにいた結果、生じた廃棄物、具体的には食事飲み物のゴミ、絡んだ釣り糸、一回しか使ってない仕掛け、仕掛けの入ってた包装、余った餌、”外道”として持ち帰らない魚、など全てをその場に捨てていく、そいつの品性の下劣さがもろに形になっている”脱皮殻”のようなものを形成し釣り場に残していく輩まで含めて「釣り人」であり、「釣り人のマナー」っていうと自分は品行方正な釣り師なので関係ないと思われる方も多いと思うけど、世間一般からは同じ「釣り人」と認識しくくられてしまうのである。他人がどう見てこようと本来関係ないんだけど、後述するようにまとめて「釣り人」で考えられると、エラい不利益を被りかねないので、この視点は重要だと思う。どんな業界?でも、おおくくりにして十把一絡げにした中に程度の低い”マナーの悪いやつ”が一定数含まれてくるのは避けようがない。

 そういう人達には、みんなで注意してやってマナーを守ってくれるようにしましょう。っていうのは正論ではあるけど、実際には難しい。長く「釣り人」でいてくれるなら”教育(親がしておくべき躾のレベルだけどな)”も効をそうするかもしれない。でも実際にはマナーの悪い層なんてのは入れ替わり立ち替わりで参入してくる実態のはずで、釣り場にわざわざ看板が出てるし、釣具屋の紙袋にもいちいち「釣り場をきれいに、ゴミは持ち帰りましょう」と書かれていても、読みもしないのか気にしないのか、ひょっとして”読めない”ンじゃなかろうかというバカどもだから、結局魚がたいして釣れない。「ゴミを捨てるな」ぐらいの日本語が読めない、あるいはその必要性が理解できない頭の悪さで、意外に難しいこと考える必要がある”魚釣り”を楽しめるわけがない。なので始めてもすぐに飽きてやめる、やめるけど、テメエには釣りを楽しむだけのおつむがネェっていうのが自認できないそういう輩の新規参入は止まらないので、常にそういう低俗な「釣り人」は量産されている(それでも”啓蒙”活動は聞く耳を持つ人には効くだろうから大事だとは思うけど。)

 そういう人達が、ゴミを捨てている場面って意外と見ないモノで不思議に思うんだけど、おそらくワシが朝の”時合い”が終わって撤収した後に来てるか、逆に夕の”時合い”が始まる前に居なくなってるんではないかという気がする。まあ、釣れんわなそんなんじゃ。にもかかわらず釣り場に行くたびにあからさまに釣り人が残したと思われる、絡んだ釣り糸、一回しか使ってない仕掛け、仕掛けの入ってた包装、余った餌、”外道”として持ち帰らない魚、などなどが前回回収なりしたはずなのにまた落ちている。

 特に気にしてて、昔からなるべく拾うようにしていたのはラインゴミで、目についたら自動的に拾うことにしている。ペットボトルのホルダーにクシャッと丸め込んでペットボトルで押しこんで持ち帰り、帰ったら釣り具を洗って干すと同時に、写真の様に棚に設置してあるラインゴミ袋にまとめていき溜まったら使えそうなオモリやらハリをやらを回収してゴミに出す。冒頭写真は同じゴミ袋の中身の接写。この冬12月終盤ぐらいにゴミ袋を新しい封筒に換えて2ヶ月半くらいで満タンになってきた。

 ラインゴミは本当に勘弁して欲しい。鳥の脚に絡んでるのとか見ると申し訳なくて切ない。なるべく根掛かりもしないようにしてラインが自然界で生き物に悪さをしないようにしておきたいと強く思っている。ラインゴミは見つけたら拾う。

 で、最近は釣り人の出したと思われるその他の包装やらビニール袋やらも可能な範囲で回収しようと心がけている。ワシがなんで食ってもおらんコンビニ牛丼の食べ残しとか処理してゴミの日にださんといかんのじゃ?(スカベンジャーナマジもさすがにそれは食わん)と腹立たしいけど、どうも釣り場がゴミで汚れていて、最終的に困るのはワシのような地元でしか釣らないような、釣りを止めたら呼吸が止まってしまうような種類の「釣り人」であり、ゴミ捨ててる側の「釣り人」はいっさい全くビタイチ困らないということが、身に染みて理解できるようになってきたので、嫌だけど自衛策としてそうせざるを得ないと考えるに至っている。

 ゴミ捨ててくような輩は、それでその釣り場が”釣り禁止”になっても、痛くも痒くもなさそうなんである。別の釣り場に行けば良いだろうし、なんなら釣りなんてやめてしまってもいっこうにかまわんのだろう。そういう輩のマナーが改善されるのを待つには永遠の時をしてまだ足りない。で、対照的に釣り禁止になると自分は本当に干上がってしまうぐらいに困る。年間200日から釣りに行く人間から釣りを取りあげることの残酷さをご理解いただけるだろうか?当ブログの読者さんなら共感いただけると思うんだけど。みんな一緒だよね?

 だから、”自分の釣り場”のゴミはなるべく拾って釣り場を綺麗に使わせてもらうよう心がけるのは大事で、「漁港」なんていう漁師さんの職場で「邪魔にならんのなら」と遊ぶことを黙認してもらっているような状況では特に、いつ”釣り禁止”にされてもおかしくないので、ちゃんとした釣り人の皆さん。クソ腹立つ話だとは思いますが、諦めて「釣り場のゴミは自分のじゃなくても拾って帰りましょう!」ってお願いさせてもらいます。もうやってますよ!ってさすが我がブログの読者様。素晴らしい釣り人ですね。などと揉み手でおだて上げてでも、釣り場を綺麗にしておかんとマズいって思っています。

 深く考えるとゴミ問題は、プラゴミに代表される人間が作りだした化合物やら分解がなかなか進まないものをこのまま使い続けていいのか?とか悩ましいんだけど、海洋等水域へのマイクロプラスチックの主な流出の原因の一つが、ご家庭の「洗濯排水」だと聞き及ぶに至って、極論すると化繊の服着たらあかんのか?という話にまでなってしまいそうで、いい塩梅の匙加減を考えるのが難しく、とりあえず生物ってしたたかで海洋プラゴミとかを栄養源や住み家に新たな生態系が作られつつあるような報告もチラホラ目にするので、「風の谷のナウシカ」で猛毒のヒソクサリとかの腐海の植物がじつは汚染された大地を浄化していたように、ある程度新たな生態系が何とかしてくれるのを期待しつつも、どうにもならんようなら化繊の服を捨てることも覚悟しつつ、「とりあえず目に見える形で鳥が死ぬようなラインゴミや小さな鉛のオモリは極力自然界に放置しない」、「同じ(と外からは見える)「釣り人」が出したゴミで楽しい釣り場から締め出し食らわないようになるべく拾う。」っていうのは自治体のゴミ出しルールに追加してワシが自分に定めたゴミルールに、好むと好まざるに関わらずなってしまっております。なんでクソどものためにワシがこんなコトせにゃならんのやと気分悪いけどしかたあんめぇ。

 でも、釣り場のゴミがなくなってちょっと綺麗になると、わりと気分の良いものだなとは感じてます。

4 件のコメント:

  1. はじめまして。とても共感しました。1匹釣った喜びと、一つゴミ回収した満足感、たくさん釣れた日なら後者の方が高いかも

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    1.  匿名さんはじめまして 
       同じ思いでいてくれる同志がいてくれて嬉しいです。 
       同志が増えてくれるよう願っています。

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  2. 私のホームの運河じゃ地元のおばはんが橋の上から正々堂々とゴミ袋投げ込んだり
    この季節だとクリスマスの宣伝展開物が流れて来たりとゴミ凄い事になってます。
    大阪でも化外の地と言っていい場所だから諦めてますが

    神戸だと目に付くゴミは拾えるレベルで収まってますが、
    やっぱり釣り人の糸屑は絶えませんね。
    最近は根掛りしたら手元切りする愚か者が増えてます
    いつも顔合わすアオサギ君に絡むのが嫌なので回収していきます
    コンビニ袋に入るレベルで収まるからホームの運河よりマシですけど
    かなり不愉快な気分になるもんです

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    1. ぬこさん おはようございます
       生活ゴミを運河とかにブン投げる必要性が全く分からんですよね。ゴミの日に出すのとどう違うのか?
       根掛かり手元切りも同様理解不能。ゴミは出すし使えるラインは減るし良いこと一つもないはずでワケ分かりません。
       我々で回収できる分だけでも地道に回収していきましょう。

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