2024年5月18日土曜日

あの日見た花の名前を僕はやっと知った

 その花は街のそこかしこに咲いていた。

 主に、歩道の脇、民家の石組みの塀沿いなどに地を這うような蔓を伸ばし、ちょっと立ち上がってピンクの可愛い花を付けている。

 「雑草という名の植物はない」と牧野朔太郎博士は言ったけど、この花はなんという名前なのだろうか?紀伊半島を代表する野の花じゃないだろうか?と思っていた。残念ながら野草の類いに関する我が知識はお粗末であり、憶えたいんだけど歳食うとなかなか憶えられない。自然界では全ての生きとし生けるものは繫がっており、魚のことを知りたければ植物のこともまた知らねばならないと気付くには、人が老いるに充分な年月がかかってしまった。でも知りたいと思うことは大事たと思う。

 今時 、写真撮って画像検索かければ似たような花が沢山候補にあがってきて、その中から該当する種を見つければ花の名前は分かるのかもしれない。でもなんかそれはいやだ、もっと相応しい花の名との出会いがあるように思う。例えば、地域の植物に詳しい人の知己を得て教えていただく、あるいは読んでいた書物でたまたまその花について書かれているなど。

 と思っていたら、先日この花のことを書いた記事がヤフー様からお薦めされてきて、その名を知ることとなった。やっぱりネットになってしまったかと、やや風情に欠ける出会いには落胆も感じたけど、偶然知ることになったという点で及第点はあげて良いかなと。まあヤフー様にはお世話になっております、いつもワシ用の面白い記事お薦めしてくれアザマスてって話だ。

 花の名は「ヒメツルソバ」。というのが和名でタデ食う虫も好き好きのタデの仲間で、言われてみれば花はソバっぽい、学名はPersicaria capitataでなんと原産地はヒマラヤ方面で元々園芸種が野生化した外来種で園芸界隈ではポリゴナムと呼ばれているらしい。などという基礎情報も名前を知れば調べるのもたやすくなる。だからこそワシ「君の名は」って問い続けるし、牧野博士は名台詞を吐くし、リンネ先生は名前を付ける方法を整理したのである。「化物語」でも「夏目友人帳」でも妖怪モノでは相手の名前を特定するということが、非情に重い意味を持ち”言霊”としても特に強いものとして扱われるけど、妖怪に限らず実在の生物でも名前の持つ意味は同様かそれ以上だとワシャ思ってる。アフリカの密林に棲む人を食う巨大なモンスターは「ゴリラ」という名前で縛られることによって、植物食で家族を大事にする愛すべき我らホモサピの親戚であると明らかにされていったし、南の島の夜の闇で怪しく目を光らせていた怪異は「イリオモテヤマネコ」という名を得て、その島にしか居ないその島の頂点捕食者で保護が必要なぐらい希少な猫科動物だと認識できるようになった。”名前”それは燃える命、とゴダイゴも歌ってた。

 そうか、ヒマラヤから来たのか、と思うとなかなかに感慨深い。外来種というと一様に”悪”であるというレッテルを貼りたがる原理主義者が湧いて胸くそ悪くなることが多いけど、そんなモン、種毎にというか地域ごとはもとより時代によっても違うし一律に扱うこと線引きをすることの難しさったら、国立環境研究所の担当部署のエラい人であった五箇先生が「ぶっちゃけ合理的に説明できる線引きなんて無理なので、法的には便宜的に世界的な物流が盛んになった明治以降と以前で分けただけです。」と”中の人”がそんな正直に言って良いものなのか?と余計な心配したくなるぐらいのことを言ってたぐらいで、もう全国的に生態系に組み込まれるぐらいになってしまってたら、駆除したらバランスまた崩れるぐらいで放置が良策で、新たに入ってくる種についてはどんな攪乱が巻き起こるか全く読めンので予防的に徹底的に水際作戦で侵入を防ぐべき、ってのが外来種の対策の両端にあって、前者はシロツメグサとか大多数のハス(植物の)、もっと極端にいうなら稲で、外来種がそんなに嫌いなら米食うな!って話である。後者はいままさに水際作戦で戦端が開かれているナガエツルゲイトウとかヒアリで、多くの外来種ではその間の状況にあり、ある場面では有益ですらあるけど、ある場面では駆除が必要な厄介者っていうのがほとんどのはず。野外への放出が禁止されて話題になってたアメリカザリガニなんてのが典型で、今や内水面で居ない水系を探す方が難しいぐらいで、ナマズやウナギなどの肉食の魚とか鳥とかの重要な餌生物として無くてはならない生物群集の構成員となってることが多いと思うけど、そういう捕食者が居ないような閉鎖水系では爆発的に増えて希少な植物とか根絶やしに食い尽くすこともあるやに聞く。てな種に対しては放置で良いところと、早急に駆除なり捕食者の導入なり対策を必要とするところとでは別の対応が必要で、その対応方法も新たな混乱を招かないような手法を慎重に選ぶ必要もあり難しさを孕んでいる。

 とはいえ、だいたい専門家が集まって知恵を出して決めると、そこそこ妥当で良い落としどころに落ちると感心している。アメリカザリガニもミシシッピアカミミガメも一律飼育も駄目な特定外来生物に最初っから入れるのではなく、継続して検討していくとした慎重さも良かったと思うし、検討の結果、飼っても良いけど野外放出は駄目よとした落としどころも絶妙の匙加減だなと思う。一律駄目としたら、そりゃ皆飼ってたヤツ殺すのも忍びないから野外に捨てるの目に見えてるわな。アメリカザリガニなんて昭和のガキだったワシでさえ、既に身近な存在だったので”自然”とふれあうにはもってこいの教材だったわけで、飼ってもイケナイ、一律駆除で殺さなきゃならない、ではもったいないし、子供らに歪な生命観を植えつけかねない。場所によって駆除が必要だってのは理解する、そういう所で駆除イベントをすると、子供達が嬉々としてアメザリ踏みつぶしてたりするけど、まあ子供のその種の残酷さは普通にあるのでそれも別にほっときゃ良いと思う。けど、それを大人が主導して”洗脳”するのは気持ち悪いと思わんのかね?って話。飼って可愛がるもよし、飽きて放置して死んでしまったときの”あの臭さ”を味わうのもまた生きモノ好きの通過儀礼でそれもよし。で飼育自体を実質禁止の扱いにしなかったのは英断だと感じる。

 で、専門家がそうやって慎重に事を進めるのに反して、アホの政治家どもはクソな政治的判断とかで自然側にも人間側にも混乱をもたらす。継続検討に専門家が決めたのを覆してブラックバスの特定外来生物入りをきめた今どっかの知事してる当時の環境大臣である自己顕示欲と権力欲の権化な婆様とか、当時の滋賀県知事の琵琶湖の生態系を守るために的発言とか、日本中に湖産鮎バラ撒いて、結果的には湖産鮎は再生産にあんまり加わってなくて鮎については開き直って良いのかもだけど、副産物的にバラ撒いたオイカワ、ハス、ワタカ、挙げ句の果てに冷水病を鑑みてまさに”お前が言うな”って話でクソであった。あと、岐阜の”川を仕切ってニジマス釣り堀”の崩壊して”野良ニジマス”の話も、生態系を守るために電気ショッカー船でスモールマウス駆除しますってやってる県の内水面関係者各位のやることかね、結局この人達は鮎で儲けられればそれで良しぐらいしか考えてねえんだろうな、と鮎友釣り偏重の歪んだ河川管理の有り様をまざまざと見せつけられ、って思ってたらそれ以前にアホでも分かるアホなことをやって自分で自分の首も締めてて心底感心した。スモール駆除も飯の種のアユを守るためと考えるなら彼らのやることにも理があると思ってたけど、アユさえ雑に扱って目先の銭しか追ってない。およそ河川の管理を任せるに値しない輩どもである。

 ってなわけで、ワシは外来種だからといって一律に嫌ったりはしない。ヒメツルソバはもう駆除とか無理なぐらい生えまくってる。ミツバチが蜜集めに飛び回ってるし、アスファルトの上にも張り出しててその下にミミズだって棲んでいる。いまさら駆除する必要も利点もない。ならば綺麗な花が咲いてるなと愛でておけば良いとワシャ思ってる。どのぐらい普遍的にはびこってて、どのくらい美しいか、試しにスーパーまで自転車で行って帰ってくるまでにカメラ持って、写真映えしそうな所でバシバシ撮ってきたので、お楽しみあれ。グダグダ言葉を費やすより”花もて語れ”っていうぐらいでその方がご理解いただけるだろうと思う。
















































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