2020年9月27日日曜日

白い疑惑

 一瞬をものすごく分割していくときいくつまで分けることができるのか?普通に考えると無限に分けることができるように思う。
 永遠という時間単位がこの宇宙で実際に存在し得るのかどうか良く分からんけど、永遠をものすごく分割していくときも、これまた無限に分けることができそうに思う。
 ほんの一瞬と永遠との間に期間の長さとしては様々な長さがあるにしても(長さを持たないと定義すれば”一瞬”は分けられないとしても)、どんな長さの期間もアホのように高速で活動できる存在にとっては永遠に近似するような長さを持ち得るのではないだろうか?などと哲学的なことを考えたりもする。
 ”朝露の一滴にも世界が映っている”っていわれるのと同じように一瞬も永遠を内に秘めることができるんじゃなかろうか?
 ナニも考えずに鼻くそほじくりながら日々をうっちゃってたら、100年生きてもなんら”生きた”といえるようなことをなしえないけど、例え夭逝したとしても、情熱を持ち日々を闘って生きたなら、その短い人生に数多くの素晴らしい生きた証を残せることを世にあまた存在してきた”夭逝の天才”が証明しているように思う。
 パッと思いつくだけで金子みすゞ、伊藤計劃、土田世紀、ブルーザー・ブロディ、カート・コバーン。その他にも沢山居るだろう。彼ら彼女らほど”生きられた”なら生まれてきたかいもあろうというものである。「移民の歌」を耳にする度に鎖振り回しつつ短く吠え続けながら入場するブロディの映像が脳内自動再生されるのはワシだけじゃないだろう。


 我が愛猫コバンは長生きできないかもしれない。

 連休明け、鼻水垂らしてクタッと元気がなく餌も食べなくなってオロオロして、病気を調べるための血液検査にも1月くらいしたら連れてこいと獣医さんに言われてたこともあり、洗濯ネットに詰めてキャリーケースに入れて動物病院に連れて行った。
 鼻水垂らして調子悪いのは「猫ウイルス性鼻気管炎」のようで、「炎症抑える抗生物質だしておくので飲ませて下さい。人間のインフルエンザと同様、症状を抑える薬は出しますが基本は免疫がウイルスやっつけるのでしばらく安静にさせれば症状は治ります」とのことでホッとしたんだけど、クタッとしてたくせに嫌がって先生の手を引っ掻いた末の血液検査のほうの結果は「猫白血病ウイルス(FeLV)」陽性と出た。
 こっちは割と怖い病気のようで、「猫免疫不全ウイルス(FIV)感染症」いわゆる「猫エイズ」とあわせて、猫の主要な死亡原因となってるらしく、”白血病”っていうと昭和のオッサンは山口百恵主演のドラマを思い出すわけで”血液のガン”っていう認識なんだけど、調べてみると”猫白血病”はちょっと違う印象でむしろ”エイズ”に近くて、骨髄で悪さをして稀に白血球が沢山作られる”白血病”的症状もでるようだけど、むしろ血球が減少して貧血起こしたり免疫系が上手く働かなくなって、感染症やらに日和見感染したり治りが悪くなって悪化したりという症状の方が多いようだ。
 健康な成猫であれば自前の免疫力でウイルスを体から排出することも多いようで、若いほど排出する率は低く、生後半年齢で50%とコバンはこのあたりなので排出する率は半々ぐらいだろうと思うことにしている(もっと小さいときから既に感染していたんじゃないと思いたい)。
 ネットでお勉強すると、
 「残念なことにFeLVを持続感染してしまった猫の70〜90%が1年半~3年の間に発症し、亡くなってしまいます。」
 という恐ろしい数字が出てきて、50前のオッサン怖くてちょっと泣いてしまった。
 野良ということで病気を持っていることもある程度想定していたつもりだったけど、いざその事実を突きつけられると、なんとも不安で悲しく恐ろしい。
 自分も含めて命ある者がいずれ死ぬのは運命で当たり前。ワシャまあ刺激的で面白い人生送れてると思うので死ぬのはあんまり怖くないと思ってるし(実際死にそうになったら怖いと思うけど)、正直可愛い愛猫と言っても所詮は犬畜生だと思えるぐらいには冷めた理性を持ってるつもりでもあったけど、今も横でスヤスヤ寝てたりするこの可愛い生き物があと数年の命かもと思うと、心の底から「そんなんイヤじゃ!」という気持ちが、コバンの死に対する恐怖が湧きあがる。
 明らかに”人間強度”が落ちていて、我ながら弱くなったと思う。

 予防的なワクチンは有効なようだけど、人間が罹る多くのウイルス性の疾患と同様に感染して発症してしまったら抜本的な治療法が確立されていない病気で、発症した病状にあわせて対処療法的な手当をするしかなく、発症していない現時点で免疫力でウイルスを排除してくれるのを祈るのとあわせて、動物の免疫系で作られる抗ウイルス的な役割を果たす伝達物質である”インターフェロン”を週1で一月位注射して免疫力をドーピングで底上げしてやって”陰性”に転じるのを期待しましょうと、獣医さんに治療方針を立ててもらった。
 検査もインターフェロンも結構お高いので、国民健康保険も当たり前だけど猫には使えず地味に我が老後の資金が打撃を食らうけど、ネコ様のためには仕方ない。
 あとは、猫ウイルス性鼻気管炎の症状が治まって食欲出てきたら、しっかり食わせて体力つけさせるようにというのと、なるべくストレスを掛けないように環境を整えてやって下さい、との指導があった。
 もっと早くに飼い始めていたら感染してなかったんじゃないか?とか、ワシが金持ちでいくらでもお金掛けられれば、快適な猫部屋を用意して、餌もアジの頭とか小麦と大豆が主原料の安っすいカリカリとかじゃなくてネコまっしぐらな感じの高級猫餌を用意してやれるのにとかグジグジ思ったけど、過去に戻れるわきゃないし、未来は現在から枝分かれしていくはずなので、今できることをヤレよと、タラは魚屋にレバは肉屋にまかせることにして覚悟を決める。

 まずは食欲無い時点で抗生物質の粉薬を飲ませるのはどうすれば良いのか?ってあたりがそもそも初心者”ネコっ飼い”には分からんので動物病院の看護師さんに聞いたら、「チュールに混ぜてあげれば食べますよ」と教えてくれた。
 ホントかよ?って半信半疑で前日から好物のアジの頭の焼いたのさえ食おうとしないのにさすがに食わねえんじゃないか?って疑ってゴメンナサイ。
 信じられないぐらいに食いつく食いつく。ワシの手に付いた魚汁とか舐めるのも好きなので、チュールの付いた指を舐めさせたら、舐めるどころかがっついてきやがって甘噛みじゃない割と本気の肉食獣の咬合力で指の表と裏に穴が開いて血がタラーッと流れ出る始末。
 水産缶詰会社の”いなば”のペット関連の子会社が作ってる商品で、小さくパッケージされたユルい練り餌状の”ネコのオヤツ”なんだけど、この異常な食いつきはマタタビとかイヌハッカとかのネコに対する麻薬的な原料が使われてるんじゃなかろうかとネットで調べてみたら、麻薬的成分はどうも含まれてないけど海外でも「KittyCrack(ニャンコ用コカイン)」と呼ばれるほどの大ヒット商品のようである。
 これは良いモノである。ただ餌をペースト状にしただけの小袋のわりにはチョイお高い。
 ならば、新鮮な原材料なら我が家にもあるぞと言うことで、金は無いけど暇ならあるので焼いて冷蔵庫保存していたアジの頭と皮をナメロウ作る勢いで叩きまくって、ちょっと味付いてたほうがいいのかなと、本家チュールの味見をしてみて薄い塩味ぐらいにメンつゆで味付けて適宜水を加えて練り餌的な感じにしてみた。

 「これ、ひょっとして我が家では材料費ほぼタダで手に入るから、ネットフリマで売ったら小金稼げるんじゃネ?売るときの名前は本家がチャオチュールだからヂャオヂュールで行こう!」と捕らぬタヌキの皮を算用するぐらいに良い感じにできたんだけど、コバンの反応はイマイチ。最初ちょっと食ったので成功かと思ったら、次から食わなくなった。病状悪化して食欲落ちたのかなと不安になって試しにヂュールの上に本家チュールをかけてみたら、本家だけ綺麗に舐めとりやがった。
 何が違うンやろ?と偽物の方を舐めようとしたら、えぐみの強い風味がまず鼻に来て舐める気が失せた。本家チュールはカツオ出汁の良い匂いが濃く香り立つ感じで舐めるのになんの躊躇もしなくてすんで、猫用にはそれでも塩分多いのでオヤツにたまにあげるだけにした方がイイらしいけど、なんならもうチョット塩気足してやってご飯に乗せてワシが食っても良いぐらいだったのと対照的である。誰や?ネコは味で餌を選んでないとかアホな論文出したヤツは?っていうぐらいで、香りも含めた”味”をネコは間違いなく区別している。それに反する実験結果が出たら実験の前提なり手法なりが間違ってると思った方が良いと科学者に忠告しておく。

 ヂャオヂュール長者にはなり損ねたけど、嬉しいことに抗生物質とかインターフェロンが効いてくれたのか、コバンの免疫系が頑張ったのか餌食わなかったのは2日ほどだけですんで、現時点では食欲も出てきて部屋に紛れ込んだ蛾も追いまわして食うなどやんちゃぶりを発揮しつつアジのアラもカリカリもモリモリ食ってくれている。
 いま体重4キロちょっとなので、ガンガン食わせて体力つけてやって6キロぐらいに育てるのが当面の目標か。冬の青物の時期までにそのぐらいまで育てて6キロオーバーのブリを一緒に食おうぜコバン。
 ストレス軽減のため、ケージに入れるのも必要最低限にすることにして夜も部屋の中に放流してあるけど、調子悪かった日に心細かったのか隣で頭をワシの腹にくっつけて寝てくれたけど、元気になってきたらいつもの習慣でか、ケージ内のキャリーケースの屋根で寝てたりする。ちょっと寂しい。冬になったらお互いの体温を求めてもっと密着できると期待している。

 状況は楽観できない。そうだとしても、日々を一緒に精一杯楽しく暮らして、コバンの一生が短いものに終わるとしても、その間に沢山可愛がって、沢山遊ばせて、沢山食わせてやろう。

 コバンのおかーちゃんのウニャ子は秋にも子供産んだ気配があって、その生産力の高さ?に戦慄を覚えるくらいだけど、産まれた子供で見かけなくなったのが全部死んだとも思いたくないけど、春7匹生まれたうち既にコバンとハイカグラ、テブクロぐらいしか現時点で生き残っていないかもしれない状況をみるに、餌はあちこちでもらってるとはいえ野良猫が半野生で生きていくことの厳しさを思い知らされる。あたりまえだけどワクチン注射とか受けてないし病気で結構死ぬんだろう。だからバンバン産まなきゃ命を繋げない。
 そのことについて可哀想だと簡単には書きたくない。野良には野良の厳しい中で生き残る充実した生涯があると信じたい。
 野生動物を可哀想だからと柵に囲うのが、必要なときもあるかもだけど、必ずしも正しくはないのと同様だと思う。
 野良猫の幸せには人間も関係してくるんだろうけど、基本その野良猫の責任である。自らで未来を勝ち取り生き残れ。
 飼い猫の幸せはだいたい下僕である飼い主の責任である。精一杯幸せにしてやらねばならないと、短い命かもしれないと覚悟するとなおさら思わされる。

 今コバンは胡座かいた股ぐらに乗ってきて寝てるけど、とりあえず可愛いので手間も金もかかるけどゆるしちゃう。コイツが死んだらワシ耐えられるんかいな?先のことは考えても仕方ないので、とりあえずキーボードを叩く手を止めて撫でまくってやろう。ういやつめ。

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