テレビアニメ版第6期「ゲゲゲの鬼太郎」が安定して面白すぎて、100話近い長期にわたってこの水準ってどうなってるんだ?と驚いている。日曜朝の子供向けの時間帯の作品のハズなのにワシのようなサブカル系のオタクなオッサンが観ても、ゾッとするぐらいの恐怖の根源に迫るような回もあれば、感涙にむせぶような良い話し系もあり、考えさせられる寓話あり、文明批判あり、人間に関する洞察あり、それでいて滑稽で楽しい部分や、子供達もワシらオタクも大喜びのバトルアニメ的要素も手抜かりなしで、日本妖怪の総大将ぬらりひょんと西洋妖怪の主バックベアードが手を組んでそろそろ物語は終演に向かいつつあり俄然盛り上がってきているので、まだ観てない人はネトフリ契約するなりして家族揃ってみて欲しいところである。途中から観ても基本一話でも成立する話が多いので大丈夫。テレビ放送時ならなんと無料で視聴可能。
その6鬼太郎の面白さを構成する重要な要素として私は猫娘の魅力が小さくないと感じている。水木先生の原作に忠実な昭和の猫娘からはだいぶ造形が変化していて、立ち位置も歴代猫娘とはまた違っていてそれぞれの期の猫娘の変化を追うだけでアニオタなら一晩酒が飲めるぐらいなんだろうけど、6期の猫娘の設定は”ツンデレお姉さん”なのである(ツンデレがなんなのか分からん人は後でちょっと説明してますので気にせず読み進めてください)。
今期全体通してのヒロイン枠としては砂かけ婆は除くとして猫娘と人間の少女のマナちゃんがいて、3期の夢子チャンの時のように鬼太郎を巡って恋の3角関係的なバトルも繰り広げられるのかと思いきや、マナちゃんは恋愛ネタ絡んでこなくて猫娘のことを「猫姉さん」と呼んでて妹分として、6期の底に流れる題材の一つである異なるモノ同士の共存的な部分の理想的な関係として、深刻なネタも挟みつつ互いを尊重し合い助け合い傷ついた関係を修復し仲良くする様が描かれている。ちょっとユリユリしくもあり、そのあたり令和の鬼太郎ぽくていい(放送始まったの平成だけど)。
キャラクター発表の時とか始まった当初は、鬼太郎よりずいぶん長身で今までの猫娘ともだいぶ違う性格付けに「水木作品に対する冒涜だ!」「今時ツンデレヒロインなど流行らん」という批判もネット上散見されたけど、いまや猫娘単体で特集したムック本が出るぐらいの局地的な人気を得ておりオタクどもの間では6期の正ヒロインとして確固たる評価を得ているとワシは勝手に思っている。
その猫娘回だった第93話「まぼろしの汽車」(ここから思いっきりネタバレなのでコレから視聴予定の人はご注意を)。この回の猫娘はどこの鳳凰院凶真か暁美ほむらかっていうぐらいのループモノの時間旅行を繰り返して世界の危機を救う。世界が吸血鬼パンデミックで人類滅亡の危機にある中、頼みの鬼太郎も早い段階で吸血鬼側に堕ちており、命からがら目玉おやじと逃げのびて、目玉おやじの最後の切り札でその命と引き替えに過去に戻ることができる”まぼろしの汽車”に乗って過去に戻るのだが、鬼太郎だけ感染から助け出そうとしても、経緯は違えども鬼太郎が感染する運命に未来が収束してしまい、人類滅亡の世界線から逃れることができない、根本的な原因に戻らねばと目玉おやじと逃げ延びる結果に終わる度に、より早い時点の原因を探りに時間旅行を繰り返し、とうとう最初の吸血鬼が日本にやってくるところを突き止める。
その日付が2月14日だと知って、猫娘は一瞬躊躇する。猫娘は鬼太郎のことが大好きでそのことを知らないのは鬼太郎だけという、6鬼太郎は平成のラノベ主人公のような鈍感野郎なわけだが、その2月14日バレンタインデーに猫娘は勇気を振り絞って鬼太郎に告白し、どうやら上手くいって無事恋仲になれたようなのである。素直に好意を表現できないツンデレ娘の猫娘自身が”奇跡的”と感じるような恋の成就だったのである。
2月14日にやってきた吸血鬼を倒しに行ってしまうと、鬼太郎を呼び出した河川敷には行くことができない。でも一瞬の躊躇の上で腹を決めて汽車に乗って2月14日に遡って、まだ来たばかりで何も悪いことをしていない吸血鬼を問答無用で怒りを込めて容赦なく叩きのめしてしまう超男前な猫姉さんなのである。パンデミックを防ぐには初動が重要っていう実にためになるお話で、凄い時期をとらえた放送でありアニメ製作の工程から考えて偶然なんだろうけど驚きに値する。
人類滅亡から逃れられた世界線のバレンタインデー、美しい夕焼けの河川敷には待ち合わせをすっぽかされた鬼太郎が一人たたずむ。猫娘の気も知らずに。
なんて切ない乙女心よ!五十路を前にした鼻毛に白いモノが混じるオッサンの心の中の乙女の部分にキュンキュン来ちゃうノ!アタイ猫姉さんのこと応援するワ!!
てな具合にTHE猫娘も非常によろしいんだけど、最近もう一人なのか一匹なのかマンガ方面でこれまた素敵によろしい猫娘がいて、その名をイヅツミという。九井涼子先生の「ダンジョン飯」で主人公達の仲間に新たに加わった”黒魔術”で猫と混ざった獣人になる呪いを掛けられている少女で、これが猫好きなら気に入らずにおられようかという猫々しさ。
しなやかな身のこなしと跳躍力、耳で目で語る豊かな表情、飽きっぽい性格と好き嫌いの感情の揺れ、やりたいようにヤる自由な行動、何も無いところを目で追う仕草、怪我してうずくまる所作、行儀の悪い食事の仕方、そして気に入らないモノは食べない偏食、すぐに爪を立て牙を剥く気の短さ、気がつくと毛があちこちに、典型的なツンデレで最初は警戒して敵意剥き出しにしてくる、でも知らないうちに懐いてきて、チョットぐらい嫌なことも嫌そうな顔しながらもつきあってくれる。
まったくもって良く猫を知っているナと感心するし、それをマンガ表現として完璧に描き出せる九井先生の力量の素晴らしさったらないネ。マンガ家で”画力”が一番あるのは誰か?という話題にネット上ではだいたい「ベルセルク」の三浦建太郎先生や「乙嫁語り」の森薫先生あたりの凄まじい書き込み量を誇る先生方が推されてくるけど、「単純に”絵”が上手いって話じゃなくて、マンガ家の画力ってマンガ表現として、コマ割り含めて動きの感じられる画面構成やら、物語に沿った感情の表れとか、そういうのが写実的すぎないシンプルな絵で表現されているのが重要なんじゃネ?」っていうもっともな疑義が呈され、そうなってくると今のマンガ表現の基礎を築いた”マンガの神”手塚治虫先生やら、みんな大好き「ドラゴンボール」の鳥山明先生あたりが、劇画的な写実的描写ではなくいかにもマンガ的な単純な線を基調にした画風でありながら、動きが感じられ迫力のある”マンガ表現”になっているからマンガ家としての”画力”が高いんじゃないか?という意見もあり、ナルホドナと思う。ワシも鳥山明先生に一票入れる。
ただ、鳥山先生もマンガ家としては実質引退していて、神様は天国におられるので、現役マンガ家で”画力”最強はダレだ?と問われれば、九井先生か「ヴィンランドサガ」の幸村誠先生のどちらかに一票入れるだろう。両先生とも栴檀は双葉より香しで、九井先生の初期作品の絵柄はちょっと、とり・みき先生っぽい感じもある単純な造形ながら、既に”画力”的には完成の域にあって、独特の感性もあってマンガ界隈では期待の新人として話題になってたのもさもありなんという感じだった。幸村先生の商業誌デビューは多分「プラネテス」のユーリのペンダントの話の原型になった読み切りだったはずで、「週刊モーニング」にはちばてつや賞という新人の登竜門的賞を取った作品が掲載されるんだけど、後に有名になるマンガ家の作品であっても新人の頃書いたのはショボかったりして目に留まらないような作品がほとんどにもかかわらず、幸村先生のは「凄い新人が出てきた!」と驚いたことを憶えている。物語の骨格自体は、戦に負けて騎士が姫様連れて山越えて逃げる途中で姫様氷河のクレバスに落っこちてしまい、騎士は氷河の流れ落ちる海辺に住んで姫様が若く美しいまま氷漬けで海までやってくるのを待って、ボロボロに年老いてそれを出迎える、っておとぎ話と一緒なんだけど、その骨格のまま宇宙に持ってってSFにして永遠の愛を描く物語を紡ぐ力量と壮大な世界観を描き出す”画力”に感服した。
九井先生の「ダンジョン飯」は最初、ドラゴンクエストとかのロールプレイングゲーム(RPG)でお馴染みの、オークやらスライムやらゴーレムやらの闊歩する異世界で地下迷宮で仲間である主人公の妹を助けるために地下世界にとどまって闘うって話。なんだけど、食うモノが尽きたので魔物達を狩って料理して美味しく食べてしまうという異色のグルメマンガで、異世界モノも美食モノも群相化して迫り来るバッタの群れにも勝るぐらいの数描かれていて、異世界美食モノっていうだけでも「異世界食堂」と「異世界居酒屋「のぶ」」がネタかぶりやんケってぐらいに存在したりするけど、”魔物グルメマンガ”とはさすがは九井先生、独特の感性で独自性が高いなと笑って読んでたんだけど、これが巻を重ねて、妹を失うことになった因縁の炎竜を倒すあたりから、おちゃらけ異世界グルメマンガから本格ファンタジー冒険マンガとして覚醒しはじめた。そんな中で猫娘イヅツミは黒魔術(古代魔術)の知識がある主人公の仲間のエルフの娘を刃物で脅し自分の体にかけられた呪いを解けと迫るのだが、その要求はかなわず、炎竜と混ざってしまって魔物化している主人公の妹の呪いを解く可能性を探るために地下迷宮の深部をめざす主人公達に同行する流れになる。最初は悪態をつきまくり、魔物との戦闘にも気が乗らないと参加せず、魔物食を拒否し魔物食を探求する心優しきドワーフは心を痛めたりするんだけど、旅は道連れ世は情けという感じで、だんだんと”デレて”きて、最新巻の第8巻では女性同士ということもあって何かと親身に世話をやいてくれ正面から向き合ってくれるエルフの娘にそれなりに懐き始め、休憩時にはなにげにエルフ娘の膝を枕に寝ていたりする。
この最初ツンツンしていたのが時間の経過と共にデレていくというのは、まさしく”泉こなた”が提唱した狭義の”ツンデレ”に合致するとても良いツンデレ具合なんである。
エルフ娘の膝枕で寝ていると、主人公の語る妹の悲しい過去にエルフ娘は涙を流す。その涙に最初猫娘は飛び起きて「なんだよ ばっちいな」と悪態をつくのだが、泣いているエルフ娘を目にして、うわ面倒くせぇ、って顔をして、どうしてよいのか戸惑い、抱きつかれて驚き、イヤイヤな感じもあるけどエルフ娘の背中をさすってあげ、不器用ながらも優しさを示す。っていうのが下に画像引用させてもらった場面である(引用元:九井諒子「ダンジョン飯」第8巻キンドル版P81より)。
どうっスか、この台詞一つないのに目と耳が表す感情の豊かさと動きのある絵で登場人物の細かな心の動きまで描ききる”画力”の高さ!!
マンガって本当にいいもんですね(©水野晴郎)。ってこういう素晴らしい作品を読むたびに思う。以前にもマンガ論的なのを書いているけど、マンガに限らずアニメでもなんでも、人が人の楽しみのために力一杯創りだしたものの尊さって、最も人間の素晴らしさを示すモノだと思っているので、良いものがあったらなるべく皆さんにお薦めして評価されるべき人達が正当な評価を得てどんどん素晴らしい作品が世に出でれば良いなと思ってます。って、鬼太郎とか九井先生とか既に高く評価されてるけどね。もっと知られてないけど面白い作品とかをお薦めしてくれ、というむきにはサイトの方「魚雑文」のところで地味にそういうの書いてるので是非読んでみてください。最近釣りが忙しすぎて更新滞りがちだけどボチボチと書き続けてます。
さてもう一匹、我が家の猫娘であるウニャ子の近況などご報告を。
ウチのウニャ子もこれまたツンデレで、やっとこさデレてきて、最近は窓の柵を越えてウチの中に入ってきます。機嫌が良いとワシの手に頭ゴンゴンぶつけて挨拶してくれます。
そんなもん何ヶ月も餌やってたら当たり前だろ!って世の猫好きの人なら思うかもしれませんが、邪悪な本性が禍いしてか犬猫畜生には思いっきり嫌われて警戒される人間なので、ウニャ子も最初数ヶ月は餌もらいに来るくせに窓開けて餌あげようとする度に牙を剥いてフシャーッ!っと威嚇してくる始末で、今でも機嫌悪いと威嚇されるし、抱き上げようとすれば窓枠とかに爪を立てて死にものぐるいで抵抗するけど、それでもやっとお腹とかさすれるぐらいに2人?の距離が縮まったのです。具体的には窓のところの枠の外から内への10センチぐらい縮まりました。
先日など夜中にトイレに行ったらたまたま窓の外に来ていて、もともとは夜行性の動物だったせいか妙に機嫌が良くて、せっかくフライ巻く素材とか余ってる穂先とか使って作ったのに最初に一回ガッと爪掛けただけで飽きて遊んでくれなかった自作ネコジャラシで延々と遊んでくれてワシ寝不足で辛かったですヨ、へっへっへ。
ねこっ飼いでもあるJOSさん曰く「猫の飼い主は”主”などではなく猫の下僕である。」だそうで、猫様が遊びたいと仰ってるのに下僕が拒否することなどできないのです。
次の目標は、機嫌が良いきに出るという喉をゴロゴロと鳴らす音を聞くことである。猫好きを公言してはばからない私なれど、恥ずかしながら前述のように猫には好かれない人生を送ってきたので未だその声をYoutubeでしか聞いたことがなく、現実に膝の上とかで聞くことができたらハラハラ落涙してウニャ子に「なんだよ ばっちいな」と嫌がられる覚悟はできております。
ということで、料理ネタに続いて猫ネタも適宜投下して読者数増加に努めねばな、と思って書いてみたりしたんだけど、世の猫好きが求めるであろう、癒やされる猫写真やほのぼのとした話題が提供できず、あられもない交尾写真やらオタ臭さにむせかえるようなサブカルネタしかお出しできずに心苦しい限りだけどコレからもたまに猫ネタは書くつもりなので読んでいただけたなら幸いです。
その日付が2月14日だと知って、猫娘は一瞬躊躇する。猫娘は鬼太郎のことが大好きでそのことを知らないのは鬼太郎だけという、6鬼太郎は平成のラノベ主人公のような鈍感野郎なわけだが、その2月14日バレンタインデーに猫娘は勇気を振り絞って鬼太郎に告白し、どうやら上手くいって無事恋仲になれたようなのである。素直に好意を表現できないツンデレ娘の猫娘自身が”奇跡的”と感じるような恋の成就だったのである。
2月14日にやってきた吸血鬼を倒しに行ってしまうと、鬼太郎を呼び出した河川敷には行くことができない。でも一瞬の躊躇の上で腹を決めて汽車に乗って2月14日に遡って、まだ来たばかりで何も悪いことをしていない吸血鬼を問答無用で怒りを込めて容赦なく叩きのめしてしまう超男前な猫姉さんなのである。パンデミックを防ぐには初動が重要っていう実にためになるお話で、凄い時期をとらえた放送でありアニメ製作の工程から考えて偶然なんだろうけど驚きに値する。
人類滅亡から逃れられた世界線のバレンタインデー、美しい夕焼けの河川敷には待ち合わせをすっぽかされた鬼太郎が一人たたずむ。猫娘の気も知らずに。
なんて切ない乙女心よ!五十路を前にした鼻毛に白いモノが混じるオッサンの心の中の乙女の部分にキュンキュン来ちゃうノ!アタイ猫姉さんのこと応援するワ!!
てな具合にTHE猫娘も非常によろしいんだけど、最近もう一人なのか一匹なのかマンガ方面でこれまた素敵によろしい猫娘がいて、その名をイヅツミという。九井涼子先生の「ダンジョン飯」で主人公達の仲間に新たに加わった”黒魔術”で猫と混ざった獣人になる呪いを掛けられている少女で、これが猫好きなら気に入らずにおられようかという猫々しさ。
しなやかな身のこなしと跳躍力、耳で目で語る豊かな表情、飽きっぽい性格と好き嫌いの感情の揺れ、やりたいようにヤる自由な行動、何も無いところを目で追う仕草、怪我してうずくまる所作、行儀の悪い食事の仕方、そして気に入らないモノは食べない偏食、すぐに爪を立て牙を剥く気の短さ、気がつくと毛があちこちに、典型的なツンデレで最初は警戒して敵意剥き出しにしてくる、でも知らないうちに懐いてきて、チョットぐらい嫌なことも嫌そうな顔しながらもつきあってくれる。
まったくもって良く猫を知っているナと感心するし、それをマンガ表現として完璧に描き出せる九井先生の力量の素晴らしさったらないネ。マンガ家で”画力”が一番あるのは誰か?という話題にネット上ではだいたい「ベルセルク」の三浦建太郎先生や「乙嫁語り」の森薫先生あたりの凄まじい書き込み量を誇る先生方が推されてくるけど、「単純に”絵”が上手いって話じゃなくて、マンガ家の画力ってマンガ表現として、コマ割り含めて動きの感じられる画面構成やら、物語に沿った感情の表れとか、そういうのが写実的すぎないシンプルな絵で表現されているのが重要なんじゃネ?」っていうもっともな疑義が呈され、そうなってくると今のマンガ表現の基礎を築いた”マンガの神”手塚治虫先生やら、みんな大好き「ドラゴンボール」の鳥山明先生あたりが、劇画的な写実的描写ではなくいかにもマンガ的な単純な線を基調にした画風でありながら、動きが感じられ迫力のある”マンガ表現”になっているからマンガ家としての”画力”が高いんじゃないか?という意見もあり、ナルホドナと思う。ワシも鳥山明先生に一票入れる。
ただ、鳥山先生もマンガ家としては実質引退していて、神様は天国におられるので、現役マンガ家で”画力”最強はダレだ?と問われれば、九井先生か「ヴィンランドサガ」の幸村誠先生のどちらかに一票入れるだろう。両先生とも栴檀は双葉より香しで、九井先生の初期作品の絵柄はちょっと、とり・みき先生っぽい感じもある単純な造形ながら、既に”画力”的には完成の域にあって、独特の感性もあってマンガ界隈では期待の新人として話題になってたのもさもありなんという感じだった。幸村先生の商業誌デビューは多分「プラネテス」のユーリのペンダントの話の原型になった読み切りだったはずで、「週刊モーニング」にはちばてつや賞という新人の登竜門的賞を取った作品が掲載されるんだけど、後に有名になるマンガ家の作品であっても新人の頃書いたのはショボかったりして目に留まらないような作品がほとんどにもかかわらず、幸村先生のは「凄い新人が出てきた!」と驚いたことを憶えている。物語の骨格自体は、戦に負けて騎士が姫様連れて山越えて逃げる途中で姫様氷河のクレバスに落っこちてしまい、騎士は氷河の流れ落ちる海辺に住んで姫様が若く美しいまま氷漬けで海までやってくるのを待って、ボロボロに年老いてそれを出迎える、っておとぎ話と一緒なんだけど、その骨格のまま宇宙に持ってってSFにして永遠の愛を描く物語を紡ぐ力量と壮大な世界観を描き出す”画力”に感服した。
九井先生の「ダンジョン飯」は最初、ドラゴンクエストとかのロールプレイングゲーム(RPG)でお馴染みの、オークやらスライムやらゴーレムやらの闊歩する異世界で地下迷宮で仲間である主人公の妹を助けるために地下世界にとどまって闘うって話。なんだけど、食うモノが尽きたので魔物達を狩って料理して美味しく食べてしまうという異色のグルメマンガで、異世界モノも美食モノも群相化して迫り来るバッタの群れにも勝るぐらいの数描かれていて、異世界美食モノっていうだけでも「異世界食堂」と「異世界居酒屋「のぶ」」がネタかぶりやんケってぐらいに存在したりするけど、”魔物グルメマンガ”とはさすがは九井先生、独特の感性で独自性が高いなと笑って読んでたんだけど、これが巻を重ねて、妹を失うことになった因縁の炎竜を倒すあたりから、おちゃらけ異世界グルメマンガから本格ファンタジー冒険マンガとして覚醒しはじめた。そんな中で猫娘イヅツミは黒魔術(古代魔術)の知識がある主人公の仲間のエルフの娘を刃物で脅し自分の体にかけられた呪いを解けと迫るのだが、その要求はかなわず、炎竜と混ざってしまって魔物化している主人公の妹の呪いを解く可能性を探るために地下迷宮の深部をめざす主人公達に同行する流れになる。最初は悪態をつきまくり、魔物との戦闘にも気が乗らないと参加せず、魔物食を拒否し魔物食を探求する心優しきドワーフは心を痛めたりするんだけど、旅は道連れ世は情けという感じで、だんだんと”デレて”きて、最新巻の第8巻では女性同士ということもあって何かと親身に世話をやいてくれ正面から向き合ってくれるエルフの娘にそれなりに懐き始め、休憩時にはなにげにエルフ娘の膝を枕に寝ていたりする。
この最初ツンツンしていたのが時間の経過と共にデレていくというのは、まさしく”泉こなた”が提唱した狭義の”ツンデレ”に合致するとても良いツンデレ具合なんである。
エルフ娘の膝枕で寝ていると、主人公の語る妹の悲しい過去にエルフ娘は涙を流す。その涙に最初猫娘は飛び起きて「なんだよ ばっちいな」と悪態をつくのだが、泣いているエルフ娘を目にして、うわ面倒くせぇ、って顔をして、どうしてよいのか戸惑い、抱きつかれて驚き、イヤイヤな感じもあるけどエルフ娘の背中をさすってあげ、不器用ながらも優しさを示す。っていうのが下に画像引用させてもらった場面である(引用元:九井諒子「ダンジョン飯」第8巻キンドル版P81より)。
どうっスか、この台詞一つないのに目と耳が表す感情の豊かさと動きのある絵で登場人物の細かな心の動きまで描ききる”画力”の高さ!!
マンガって本当にいいもんですね(©水野晴郎)。ってこういう素晴らしい作品を読むたびに思う。以前にもマンガ論的なのを書いているけど、マンガに限らずアニメでもなんでも、人が人の楽しみのために力一杯創りだしたものの尊さって、最も人間の素晴らしさを示すモノだと思っているので、良いものがあったらなるべく皆さんにお薦めして評価されるべき人達が正当な評価を得てどんどん素晴らしい作品が世に出でれば良いなと思ってます。って、鬼太郎とか九井先生とか既に高く評価されてるけどね。もっと知られてないけど面白い作品とかをお薦めしてくれ、というむきにはサイトの方「魚雑文」のところで地味にそういうの書いてるので是非読んでみてください。最近釣りが忙しすぎて更新滞りがちだけどボチボチと書き続けてます。
さてもう一匹、我が家の猫娘であるウニャ子の近況などご報告を。
ウチのウニャ子もこれまたツンデレで、やっとこさデレてきて、最近は窓の柵を越えてウチの中に入ってきます。機嫌が良いとワシの手に頭ゴンゴンぶつけて挨拶してくれます。
そんなもん何ヶ月も餌やってたら当たり前だろ!って世の猫好きの人なら思うかもしれませんが、邪悪な本性が禍いしてか犬猫畜生には思いっきり嫌われて警戒される人間なので、ウニャ子も最初数ヶ月は餌もらいに来るくせに窓開けて餌あげようとする度に牙を剥いてフシャーッ!っと威嚇してくる始末で、今でも機嫌悪いと威嚇されるし、抱き上げようとすれば窓枠とかに爪を立てて死にものぐるいで抵抗するけど、それでもやっとお腹とかさすれるぐらいに2人?の距離が縮まったのです。具体的には窓のところの枠の外から内への10センチぐらい縮まりました。
先日など夜中にトイレに行ったらたまたま窓の外に来ていて、もともとは夜行性の動物だったせいか妙に機嫌が良くて、せっかくフライ巻く素材とか余ってる穂先とか使って作ったのに最初に一回ガッと爪掛けただけで飽きて遊んでくれなかった自作ネコジャラシで延々と遊んでくれてワシ寝不足で辛かったですヨ、へっへっへ。
ねこっ飼いでもあるJOSさん曰く「猫の飼い主は”主”などではなく猫の下僕である。」だそうで、猫様が遊びたいと仰ってるのに下僕が拒否することなどできないのです。
次の目標は、機嫌が良いきに出るという喉をゴロゴロと鳴らす音を聞くことである。猫好きを公言してはばからない私なれど、恥ずかしながら前述のように猫には好かれない人生を送ってきたので未だその声をYoutubeでしか聞いたことがなく、現実に膝の上とかで聞くことができたらハラハラ落涙してウニャ子に「なんだよ ばっちいな」と嫌がられる覚悟はできております。
ということで、料理ネタに続いて猫ネタも適宜投下して読者数増加に努めねばな、と思って書いてみたりしたんだけど、世の猫好きが求めるであろう、癒やされる猫写真やほのぼのとした話題が提供できず、あられもない交尾写真やらオタ臭さにむせかえるようなサブカルネタしかお出しできずに心苦しい限りだけどコレからもたまに猫ネタは書くつもりなので読んでいただけたなら幸いです。
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