第1章、今年の放鳥はどうなったの?という方はプロジェクトのサイトから実施状況をご確認いただきたいというところだけど、無事に、とはいかなかったところが、まさに生き物相手の一発勝負の難しさで、2羽現地の育成小屋に動物園から連れてきたヒナのうち、1羽は足の怪我で動物園に戻り、感動の放鳥にこぎつけた1羽は、南三陸を離れ今も野生個体の残る北上山中で、給餌も受けつつ狩りを学んでいる状況。
なにはともあれ動物園で生まれた個体が、日本の空の下飛んでいるという、その事実を思うと微力ながら応援させてもらったワシとしても、なにか心に気持ちの良いものが湧き上がる。釣り人であるワシが意図せずにだとしても過ちで海底に残してしまった釣り糸がいまも揺らめいて、生き物を絡め取る可能性を発生させつつユラユラしているだろうことを思うときに感じる後ろめたい悔いの感情とは真逆の誇らしい気持ちである。”鳥の人”はじめ現地で実際に携わる方々、ヒナを育て育成に尽力してくれる動物園の方など関係各位のたゆまぬ努力に敬意と感謝を捧げたい。
せっかく、餌生物も増えて準備万端と思える放鳥地の南三陸ではなく、別のところに飛んでいったというのは、ある意味極めて生き物らしいとワシなど面白く感じているところである。餌環境も整って、過去イヌワシの繁殖していた地域ならそこに留まるのが普通だろうと思う気持ちをあっさり裏切って、いうても想定はしてただろうけど”ここではないどこかへ”と飛んで行ってしまう。放鳥されたイヌワシに話を聞くことはできないけど、彼(彼女か?)は、自らの”意思”に従い、自由に空を飛んでいったんだろう。とワシャ思ってる。
昭和の生物の常識としては、それ以前の、動物たちを擬人化することが行き過ぎた反省もあってか、何でも本能や遺伝子のせいにしていたように感じる。なにせ人間も結局ジーン(遺伝的な情報)とミーム(文化などの情報)の乗り物でしかないと、偉い学者先生が喝破したぐらいで、生き物は人間含めて、遺伝情報的に有利な行動をとるという画一的な印象が浸透してしまったように思う。そういう面はある意味否めないにしても、その範囲の中でも、多様な戦略、一見無駄な行動、などなど一筋縄でいかず、ジーンやミームの求めるモノはさておいて、なんかそれに関係なく、あるいは逆らってでもやりたいとかヤルことが人の魂の求めるモノなのではないかとワシャ思ってる。ジーンが求めるからオレは女とヤりまくるとかしょうもない考えの男をワシャ軽蔑する。
人間以外の生き物でも、最近では遺伝や本能にのみ従うという過度な見方からの揺り戻しで、人間以外の生き物も存外に賢いし、感情やその起源に類するようなものを持っているのではないかということを認める機運になっていると感じている。端的な例としてゾウにシャチ、チンパンジーなどは、死んだ子からなかなか離れなかったり、死んだ子を持ち運んだりすることが報告されている。どう見てもこれは我が子の死を悼んでいるとしかとりようがなく、そういう感情があるとするのが自然であり過度な擬人化ではないだろうと思う。以前紹介したけど”カラスの葬式”は死んだカラスの死因や危険な事項について情報共有しているのではないかとか言われているけど、カラスぐらい賢いと死を悼む心が芽生え始めてても何ら驚かない。他にもカラ類混成群が種を超えて鳴き声を使った”文章”で情報交換しているとか、鏡に映った自分を正しく認識できる”鏡像自己認知”とか類人猿、アジア象、イルカ、シャチ、カササギ、がデキるというのは彼ら彼女らの賢さを知っていれば納得だけど、魚類からは”クリーニングステーション”を営む客商売のホンソメワケベラが鏡像自己認知できると報告されているのを知って、かの魚の実はたまにお客のヒレとか囓ってるけど、あんまりやり過ぎるとお客がほかの店に行ってしまうので、他店とサービス内容を比べて加減しつつ囓ってるとか知ると、なんというか人間くさい知恵の発露を感じる。単純にネコ観ててもっていうか、むしろネコこそ気まぐれで、合理的でも何でもない感情任せの行動をとっているようにみえる。生き物はプログラムされて単純な本能に突き動かされて行動しているだけではない。もっと偶然も含めて”意思”のような決定過程を経て行動しているように思えてならない。そういった幅のある意思を持つことも、あるいは、遺伝的、本能的な行動が幅を持つような多様性もこみこみでプログラムされていると逆説的に考えることもできるのか?なんにせよ、そういうどうなるか究極的には読めない生き物相手の事業で一年目から一羽自然の空の下に放鳥できたというのは素晴らしい成果。ただ、その一匹も厳しい冬を越え自力で餌を獲りというところまでモニタリングという名のもと見守り続ける必要もあり、一匹で終わりににしていい状況ではなく、繁殖成功率が下がって危機的状況にある日本のイヌワシの自然個体群にあらたな若い個体を増やして、持続的に自然で繁殖していけるようにするのが目的のはずで、そのためには第二章以降も引き続き育てたイヌワシを野に放ち続けなければいけないだろう。
ということで、皆様是非とも一口乗っていただきたく、またまたご紹介させていただきましたところ。
お金なんていうのは持ってるだけでは今時金利も誤差みたいなもので、単なる通帳上の数字でしかなく、使ってこそ価値が生じると思ってるけど、ワシも、使いもせん釣り具にアホのように金使ってるぐらいなら、こういう使う価値のある事業にお金を使うべきだろうなと思い、早速チョロッと支援させていただきましたとさ。

