2024年7月6日土曜日

ノコギリエイの証明

 common sawfish 
撮影:Diliff 氏、出典:ウィキペディア
 ノコギリエイという魚はマイナーだけど正真正銘の怪魚と言って良いだろう。昨今、”怪魚”も流行なのかお安くなったモノで、レンギョとかが巨大魚だの怪魚だの書き立てられているようなしょうもない記事がお薦めされてくると辟易とする。読むかよアホくさい。あんなもん利根川水系とかなら集団で飛び跳ねるのが風物詩になってるぐらいで関東の人間にはけっこうお馴染みの、見た目もちょっと垂れ目ぐらいしかこれといった特徴のないコイの仲間であり、型も2m近くなるコクレンならともかく、しょうもない記事で取りあげられているのはハクレンであり、1mかそこらで巨大魚はねぇだろ、まったくアホかと思う。

 その点ノコギリエイの仲間は、滅多にお目にかかれる代物ではないし、冒頭写真の種は最大7mとかいわれてて、沿岸から汽水域、淡水域にも現れて釣り人にも遭遇の機会がありうる巨大魚なうえ、その名のとおり吻部にノコギリ状の角が突き出ているという奇っ怪な面相の、まごう事なき怪魚である。いくつかの種、亜種に分かれるようだけど、オーストラリアではまだ多少個体数が多いらしいけど、ほとんどの海域で絶滅危惧種かいなくなった種であり、古いビデオでフライのディアヘアを刈り込んで成形してあって潜っていく”ダールバーグダイバー”パターンの考案で有名なラリー・ダールバーグ氏がフロリダだかで2m弱ぐらいの個体を釣っている(フライじゃなくて餌使ってました)映像を見たことがあるけど、寄せてくると当然ながらノコギリ振り回して暴れるので、獲物と自分の間にポールを突き立てて一撃を食らわないようにしてからハリ外していた。おっかねぇ魚である。ちなみにノコギリザメってのもいるけどこちらは深海魚であまり大きくなく釣り人には馴染みが少ない。むしろ練り物原料として知らないうちに食べているかも。サメとエイとは分類上分けることがデキるパターンで、耳?の無いミミズクであるアオバズク(最近近所で鳴いてます)、立派な耳のシマフクロウとか矛盾だらけのフクロウとミミズクの違いとか、大きさで雑に分けてるだけのクジラとイルカ、ワシとタカ、英国→米国→日本の伝言ゲームで概念がグッチャグチャになってるサケとマスとか分類上明確に分けられないパターンが多い中、サメとエイ、チョウとガは分類上の線引きでカタがつくので珍しくスッキリしている。まあ生物なので多少の議論の余地(蝶と蛾は実はややこしいのか?ウィキの論者は日本語の整理にこだわりすぎていてまるで駄目な気がする)はあるし、サカタザメのようにサメという名のついたエイがいるにしてもだ。ちなみにノコギリエイ科はサカタザメ目に属していて語感的にはややこしい。

 日本語でもノコギリが名前につくけど、英語でもsawfish(ソウフィッシュ=ノコギリ魚)とまあ、誰が見ても武器のノコギリが目につく。こういう武器の名前がついている系の魚って、名前からして厨二っぽくて格好いい。代表格がメカジキのソードフィッシュであの長い吻を剣に見立てるのは何の文句もはさみようがなくピッタリくる。日本語のメカジキもカジキにしては深い所も泳ぐ種であり深海魚っぽい目のでかさをとらえてて悪くはないけどソードフィッシュのほうが文句なしに格好いい。ソードがあればサーベルもあってタチウオは日本では立って泳ぐから説が一般的だけど太刀魚説もあながち無くもなさげに思うぐらいで、太刀魚の類いは英語ではサーベルフィッシュとかカトラスフィッシュとも呼ばれたりしている。見た目に加えあの歯の切れ味も踏まえてここは刃物系で呼んでもらいたいところだ。カジキの仲間には、和名は由来がよく分からんフウライカジキ、スピアーフィッシュ(槍魚)なんてのもいる。細身のカジキでたしかに槍のよう。 

ツルギメダカ?のメス
 東南アジアとかにいる、ナイフフィッシュの仲間(ロイヤルナイフフィッシュとか)は和名だとナギナタナマズと呼ばれたりもして、ナギナタってあんな幅広で湾曲してたっけ?って疑問に思うけどギラリと濁った水中で体側が光る様はやはり刃物を連想させる。南米の水面上に飛んで逃げるカラシンの仲間にハチェットフィッシュと呼ばれているのがいて、ハチェットは手斧の類いのことらしい。滑空じゃなくて空中で羽ばたいている説があるこの魚の、筋肉がつく胸の張り出した独特の体型は、シッポの方を柄にして持って使えば刃の部分が大きい手斧っぽい。その他にもダーツ(投げ矢)っぽいシュッとした体型のダーターテトラ、尾鰭の上下がハサミのようにリズミカルにチョキチョキ開閉するさまが特徴的なシザーステールカラシンが南米にいれば、収斂進化なのか同じように東南アジアにはシザーズテールラスボラがいる。レイザー(カミソリ)フィッシュとも呼ばれるのはヘコアユ。細長い体に薄っぺらいヒレがカミソリっぽいと言われればそうか?和名のヘコアユの意味は全く分からん。逆立ちでヘコヘコ歩むからとかホントか?南米産の口のでっかいナマズ、バトラクスキャットはバトルアックス(戦斧)が語源だろう、そういや観賞魚ではソードはソードテールっていう卵胎生メダカがいたな、和名もツルギメダカで香港で狙ったのも懐かしい。あと刃物と言えるかどうか、ニードルガーって呼ばれる淡水産小型ダツがいるし、大型の生物から皮と肉を丸く囓り取るクッキーカッターシャーク(ダルマザメ)なんてのもいる。あと思いつくのは、刃物そのものじゃなくてそれを使うモノっていう感じの名前がついているパターンで、アーチャーフィッシュは”弓使い”で日本語だとテッポウウオでどちらもスナイパー的な意味合いは一緒。パラオの川で爆釣したのがこれまた懐かしい。アーチャーがいればランサーもいて東南アジアのナマズに黒に白いラインが一本入るお洒落なブラックランサーってナマズがいるんだけど、白線を槍に見立てたのか、ナマズのヒレの棘も暗喩しているのか、なかなか呼び名も洒落ている。あと、尾鰭尾丙部の鋭い棘をメスに見立ててサージェントフィッシュ(外科医魚)とニザダイ系のナンヨウハギあたりは呼ばれたりしてる。ハンマーとスレッシャーがサメにいるけど刃物じゃないので惜しい感じ。


 と、盛大に脱線しまくったけど、本題に戻ってノコギリエイ。実は最近になって琉球大学を中心とする研究者グループからノコギリエイが日本近海で絶滅したとの報告がなされている。ワシびっくり。なぜなら海産魚類の絶滅の確認って典型的な”悪魔の証明”で直接目視することもできない、かつ世界中つながってる海の中を泳ぐ能力のある魚が、ある特定の海域で居ないことを証明するという難しいことだからである。居ることの証明は手法自体は簡単である。1匹つかまえてくれば事足りる。居ないことは証明することは難しい、ッテのいうのがあって、不在証明が難しいってのは陸上でも少なからず同様で、慣例的に生物種の絶滅には生存の確実な証拠が50年報告されていないというのが基準とされてきていて、環境省のいわゆる”レッドリスト”なんかの絶滅の基準もそれにならったものとなっている。

 なので、陸上生物や内水面の魚類に比較してもさらに難易度の高い、海産魚類の国内絶滅の報告はそれ自体これが初の事例だそうで、ワシ「海産魚類の国内絶滅って概念としてあり得るのか?」といぶかると共に驚いた。もちろん本邦海域200海里を含め隅々まで探したところでノコギリエイは1匹も居ないって言われればそりゃそうだろうなって思うし、そこに疑義があるわけではない。それでもそう判断するに足る根拠「おまえ隅々まで探したんか?海は広くて深いし見つけ損なってるだけとちゃうか?」という突っ込みにどう答えているのか、興味深く琉球大学の報道資料を読んだ。基本的な判断基準は先ほど書いた50年捕獲されたり目撃されたりの報告が無かったというものだけど、それだけなら例えば深海に棲む混獲も含め漁獲の対象にならないような魚で50年報告がない魚などざらにいるだろう。何しろ2mを越えるという頂点捕食者であるヨコヅナイワシなんてのが、2016年に発見されるまで知られてなかったぐらいで、居てもわからんなんてのは海産魚類では珍しくない。ただ、今回のノコギリエイについては淡水域にも出現するぐらいの沿岸種であり、かつ見たらその異様な姿に驚かざるを得ない、写真でも撮れればバズり間違いなしの目立つルックスなので、報告が無いことが不在の証明に近似するということや、隣国の海域での報告事例、16世紀の古文書まで遡っての文献調査による報告状況の多寡等も勘案して総合的に「これなら絶滅って言って良いんじゃないか」という判断をしたのと、もう一つ重要な判断として、見えない海の中で知らないうちに数を減らし絶滅していっている生物がいる、そのことを見えないからといって放置することへの警鐘が必要である、というのがあったのだそうだ。ナルホドナとワシもガッテン。あえて報告すべき価値があったということか。

 で、まあ絶滅報告そのものも興味深いんだけど、どうも日本には一種しか分布していなかったと思われていたノコギリエイの仲間、過去の報告やら標本やらを調べていくと2種いたらしいッテのも面白い。一種は今回絶滅の報告がされた和名ノコギリエイのAnoxypristis cuspidataと、もう一種は新たにオオノコギリエイの和名が提唱されたPristis pristisで、冒頭写真借りてきた7mになるとかいうまさにその巨大種で、報道資料には5mの標本の測定風景が紹介されていてデカさにビビると共に釣ってみたいものだと欲情を禁じ得ない。どちらかというと熱帯とかの魚なので今後海水温上昇とともに、現在の分布域での保護活動が効をそうして個体数回復して黒潮に乗って紀伊半島まで来てくれんものか?などと妄想も捗るのであった。海水温上昇は勘弁してくれなところではあるけど、個体数回復はクロマグロも保護の成果が出てきたようだし、7mとかの怪魚が遠くの川には普通に泳いでるってなったら、それだけで素晴らしいことだろうと思う。

 ッテな感じで、興味深い”絶滅の報告”だったんだけど、いつも絶滅危惧種とかの話で保護活動やらなにやらの話題を見る度に、単純じゃない複雑な話だなと思考を放棄したくなる。最近だと特定外来生物に新たに指定された大陸原産のオオサンショウウオとそれと在来種の交雑個体がまさに面倒くせぇ話で、タダでさえ少ない野生のオオサンショウウオのうち純粋な在来種はもう数%しか残ってないそうで、半分に裂いても生きているというその生命力を持ってしても、そりゃ絶滅目前だと思わされるモノがあった。ただ、種の違いこそあれ似たような生態的地位を占める生物種が居てくれるだけで、それなりに意味があるっていう側面と、”混ぜるな危険”で遺伝的に混ざってしまうのは取り返しがつかないっていうのは、大陸産の種の方が大型化してメスを独占するとかいうのもあっていかにもマズいってのも両面当然あるんだろうと思う。オオサンショウウオはまだICチップ埋め込んで個体管理ができるぐらいに、個体数が少ない大型種ってのが逆にナントカできる希望が持てる要素だけど、遺伝的に混ざってしまってどうしようもないってのは、むしろ小型の淡水魚なんかで致命的で、最近九州方面でコウライオヤニラミが増えてるらしいけど、マズいってそれは、と直感的に思う。既にニッポンバラタナゴはタイリクバラタナゴと混じって他水系と隔離されたようなため池除けば手遅れかもしれない。写真の個体は胸ビレの端が白くないニッポンバラタナゴの表現形が出ているけど、遺伝的に純血かどうかまでは分からん。

 っていうときに、じゃあオヤニラミがコウライオヤニラミに、ニッポンバラタナゴがタイリクバラタナゴに置き換わったときに、何か困るのか?っていうと分からんのよね正直なところ。分からんけど分からんから予防的に元のママの方がイイよねってのが基本にはあると思うけど、次善の策的には置き換わっても良いじゃないかってのは間違いなくあると思っている。だって、トキにしろコウノトリにしろ放っておいて大陸から飛んできてくれることは期待できないぐらいには交流のなかった、大陸の個体群から種親持ってきて野生復帰を一生懸命やっている。そのことはトキやコウノトリが象徴するような豊かな里山的二次的自然環境を構成する鍵種としてそれらの種が、多少遺伝的な差違があっても重要な役割を担うと判断して営々と金も労力も議論も費やしてきて今の状況がある。

 って言うなかで、一回絶滅させてしまうとちょっと別のモノを持ってくるとかしかないよっていうのを避けるべく、今とれる対策は取っておくべきなんだろうと思う。思うけど、カワウソが絶滅していま川には外来種のミンクがいたりする。カワウソいなくなったけどミンクが棲めるぐらいの環境があるよってのは、果たして悪いことなのか?ミンク駆除せにゃならんのか?カワウソどっかから泳いできたのか対馬には大陸系のカワウソがどうも近年居るらしいとか聞くと、じゃあそのカワウソの扱いは外来種なのか?自然分布の延長じゃないのか?とかワシには正直答えが出ない。出ないけどその時その時その場所その場所で妥当な落としどころってのがあって、それを探っていかなければならない問題なんだろうと思う。いつも書くことの繰り返しだけど”外来種は悪”って勝手な趣味趣向の線引きで考えることを放棄することは、単なる宗教的な思い込みでしかなく、根拠も整合性もセンスもクソもねぇとワシャ思ってる。面倒臭くて思考を放棄したくなるけど、それをやっちゃあおしめぇよ。

 特定外来生物に指定されるにあたって、隔離飼育されつつ看板オオサンショウウオとなってた交雑個体を、引き続き飼育許可を取って飼育すると明言する施設の担当者、アカミミガメが特定外来生物に指定される前から、飼いきれなくなったらウチで引き取りますという姿勢の動物園「イズー」の心意気。テメーの趣味でしかない気色の悪い純血主義で生き物の命を選別するような輩に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。心の底からそう思う。簡単に割り切れるような問題じゃねぇってことぐらい分かれやボケ!と罵っておこう。

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