2019年10月19日土曜日

ご近所チヌ資源管理計画


 チヌ釣りの際のリリースするか確保するかの基準について、私的規則を決めました。

 「2匹目が釣れたら2匹目を確保」

 以上、って感じに単純明快になものにした。
 キャッチ・アンド・リリースについては以前にもサイトの方で書いた。その時と考え方はあんまり変わってないんだけど、ぶっちゃけ仕事もあって”週末釣り師”だったころは持ち帰って捌いて料理して余さず食べるって、次の日ゆっくり家で飯食えるかどうかも分からんのに面倒くせぇ。っていう要素が大きく、かつ釣り場の魚はちょっとでも多い方がイイよねって単純に思ってたところがある。

 今現在状況はずいぶん変わってて、毎日釣りに行ってもかまわない無職という身分であり時間はそれなりに自由にでき、一方で食糧確保は重要な案件となりつつあるのでよっぽどの大魚でもないかぎり持ち帰っても余らすようなことにはならないので、持ち帰りたいのは持ち帰りたい心境。
 とはいえ、釣り場を荒廃させてしまったりしたら元も子もないので考えなしに何でもかんでも持ち帰るというのもおそらく間違ってるんだろう。
 ただ、キッチリと資源量調査をして科学的に妥当な持ち帰り数を設定するとかワシ個人じゃできるわけもない(科学的根拠に基づいた資源管理も完璧ってわけでもないし)。
 まあ、マアジみたいな浮き魚やらマハゼみたいな小型魚は数が多いんだから釣り人の持ち帰り量とかあんまり気にしなくて良いんだろうなとはザクッと思っている(移動性少なそうなゴンズイは要注意かなとも思ってる)。


 悩ましかったのが件の”チヌ”ことクロダイで、この地にはえらい数が多いようで港でも河口でも砂浜でも護岸でも地磯でもどこにでも出没して、これまで5匹かそこらしか釣ったことのない人間が何を心配する必要がある?っていうぐらい数自体は居るんだろう。
 当地でも釣りモノとして人気で筏釣りや港での浮きを使った釣りを主体に多くの釣り人が楽しんでいて、それなりにお持ち帰りされていてこの数である。食費浮かせるのに全部持って帰って良いんと違うか?と思わなくもないけど、どうも自分の釣り場の、ルアーに食ってくることがあるような浅場に突っ込んでくる個体っていう条件に絞るとそこまで数が多くないように思う。かつ見えてるヤツらみんなデカくて40は越えてる感じで、そこまで育つのに10年から掛かってるって話だと、今まだルアーで釣る方法がそれほど当地ではやられてないのでワシぐらいしか狙ってないけど”チニング”なんてヘンテコな言葉作って流行らせようとしている釣り業界の目論見もあって遅かれ早かれルアーでも狙われるようになるだろうから、そうなると見えてたヤツが抜かれていって居なくなるのは早いと予想している。
 今時、世界の果てのジャングルの奥地に釣りに行っても船外機に日本の釣り具メーカーのステッカーが貼ってあるぐらいで釣り人の腕は長く地球上のどこに居ても届く。
 新たに開拓したと思った釣りモノでも、そのうち同じように気がつく釣り人がいて秘密はバレて広まり、釣り場には人山が立ち、魚はスレて数を減らしていく。
 いままで何度か経験してきたことであり、どこに行こうが逃げられない。


 ただ、逃げ切れないにしても抵抗して、少しでも良い釣り場を維持していきたいと願う。
 そのために、少しでも釣り場の魚を減らさないようにオールリリースにするべきか?
 実は違うんじゃないかと思う。既に魚が減ってしまった状況なら、その方がイイしなんなら釣りしない方が望ましかったりもするんだろうけど、現状私の釣り場にはチヌいっぱいいる。
 ほっときゃ誰かが見つけて、割と簡単に釣れるということを知ってしまい人山コースなのは目に見えている。
 チヌ釣るの現時点で苦戦しまくってるけど、そんなもん1シーズン目っからワシ程度のつたない釣り人がもう5匹も釣ってる時点で上手いヤツらにかかったら”簡単”に釣られてしまうだろうとは想像に難くない。
 実際やってることは魚見つけてルアー投げてるだけっていう酷く簡単なことで、釣れるという認識があったらそんなに難しくない状況だと思ってる。今は当地では”見えてるヤツにルアー投げても無視されるだけ”っていう認識だから見逃されているってだけの話だと思う。
 私も、ケン一から”釣れる魚”だと聞かされていたから、釣り方掴むまで時間は掛かるかもしれないけど釣れるハズとある程度確信を持ってルアー投げてた。私が釣れたのは今回はケン一やJOSさんのような何年も掛けて開拓してきた釣り人から、クロダイ系はルアーフライでの釣りの対象となるという”根拠”をもらったから釣れたのである。おかげさまでとしかいいようがない。

 魚が多すぎる釣り場の悲劇的な結末として思い出すのは、昔東北で、解禁中毎週末必ずと言って良いほど通ってオールリリースで楽しんでたイワナの支流。
 元々見つけた段階で魚影も濃く型も良かったけど、土曜の朝一はそこに入るのでたぶんその後では釣りにくく毎週オールリリースの人間しか釣ってない状況に近くて魚が残り、2年目以降はあからさまに異様な魚影になって、案内したりすると驚かれる状況になっていた。その川も東京に戻ってしばらくして行ってみると、1度目は魚籠持った釣り人が何人か居てイヤな予感がしたけど2度目には釣り人いなくなってて、魚も釣りが成立しないぐらいに居なくなってた。
 今考えると、もう少し魚間引いてやって難しい釣り場にしておくべきだったのかもしれない。

 あんまり釣り場に魚が沢山いて釣れすぎると、考えなしになんでもかんでも持ち帰るようなよからぬ釣り人を含め多くの釣り人を呼んでしまってかえってよろしくないと最近思うようになってきた。


 当地において今後自分のシーバス釣り場に人山が立つようなことはないと楽観している。だって、魚そんなに居ないし既にルアーでさんざん狙われているしで、20年以上シーバス釣りやってきたワタクシが恥ずかしながら40以上の大きさの魚、予定外のヒラフッコ入れてもまだ4匹しか釣ってないっていう「チヌより難しいやんケ!」な状況なので、来るなら来てみろテメーらにゃ釣れやしねぇから、ぐらいの不遜な心持ちでいる。
 川崎のご近所ポイントでも春のバチ抜けは、やり方分かっちまえば素人でも釣れる釣りなので見つけた最初の頃はウハウハだったけど、後半は人山立って大苦戦をしいられた。でも、条件良い日を選んで1匹2匹釣るのがやっとの魚少ない秋には釣り人いるのは橋桁周りぐらいでノビノビと釣りを楽しめた。
 っていうくらいで魚釣れすぎるのもどうかと思うよ実際。ちょっと難しくてスカ食いながら釣るぐらいの方が熱くなれるし人山も立たないしで良いんじゃないでしょうか?


 で、そのちょっと難しくておいそれとは釣れないんだけど、ワシが暇に飽かせて通える分の情報量で優位に立って釣りを成立させて楽しめる程度に”間引く”にはどのぐらい持ち帰れば良いのか。釣りしながら考えてしまい魚釣れなかったけど、良い方針を思いついた。
 それが、最初の方で書いた「2匹目を確保」である。要するに釣りに行って自分の技術で1匹釣れるけど、複数は釣れないぐらいの難しい釣り場にしておきたければ、単純明快複数釣れたらその分持ち帰れば良いんじゃなかろうか?
 これなら、机上の空論かもしれないけど自分が上手くなっていくにしたがい、資源に与える影響が大きくなっていきさらに難易度が上がって、常に1匹釣れるかどうかぐらいになりゃせんだろうか?
 まあ基本理念はそういうことで、実際には3つも4つも釣れることは想定してなくて2匹目だけ持って帰るで良いだろうって話。
 割とスッキリした整理だと自画自賛するんだけどどうでしょう?

 1匹も釣れなきゃつまんないと思うけど、数釣りするような小物じゃないなら簡単に釣れすぎるのもいまいち攻略しがいがないというかツマランと思うよ。
 結局、自分のような面倒くせぇ性格の釣り人は、今の技量で釣れるよりちょっと難易度の高い獲物が釣りたいわけで、釣れなきゃ釣れない中で楽しむんだろうけど、釣り場の状況が悪くなっていき「昔は良かった」的なことしか言えない老害じみた釣り人にはなりたくないので、少しでも釣り場を良い状態に保つにはどうすれば良いのかっていうことを、どうやったら魚が釣れるのかってことなんかより、時に真剣に考えてみたりする秋の夜長。

 つらつら書いてみたけど、まったくもって”自分の釣りのため”だけを考えている。みんなの釣り場を!とかそんなヌルいことを考えてる余裕なんて全くない。なんてゲスいんでしょう。自分だけ釣れればそれで良いっていうのか?って聞かれたらぶっちゃけもちろんそれで良いって思っちゃってる自分の身勝手さと他人に釣らせる魚はねぇゼっていう底意地の悪さが露呈していて、我がことながら何とかならんのかと思わなくてもないけど、そんなもんだよね実際。
 アジやらハゼならみんなで並んで仲良く釣れば良いと思うし、そういうことができる釣りモノの素晴らしさってのはしみじみと感じるところだけど、貴重な獲物を独り占めしたいという実にあからさまに正直な欲望もまた私の中に真実として存在するのである。
 アタイちょっぴり恥ずかしい。でもそれがアタイってやつなのヨ。

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