2016年5月29日日曜日

PCチェアディテクティブ 便所の神さん四十九歳篇


  なぜそこにそれがあるのか?きっと理由なり経緯なりがあるのだろうが、その必然性がわからない。
 そういった、ふと目にする日常の謎というモノがある。

 左の写真の駅のトイレの前にあるちり紙販売機もそういうモノである。
 「トイレ前でちり紙売ってて何がおかしい?」と思われるかも知れないが、ちょっと考えて欲しい。今時、トイレの個室にトイレットペーパーが備え付けられていないことはない。
 トイレの個室にトイレットペーパーが常備されるようになってもう何十年と経つはずだが、それでもいまだにちり紙が売っている。
 これが、JRの駅ならまだ分からなくもない。お役所体質をいまだに引きずっているJRなら、「前年同」「前例踏襲」とかで非効率でも事なかれ主義で「ちり紙自販機廃止」という「改革」をせずに放置していても、「まあJRやしナ」と納得してしまうところだ。
 でも、この駅はバリバリの私鉄の駅である。ちり紙自販機、手動式で電力とかを消費するタイプじゃないけど、間違いなく設置費用やちり紙の補充のための人件費とかかかっているはずで、その費用について、このコスト削減が叫ばれる世知辛いご時世、トイレの改修とかの時点で、コストダウンのために必ず撤廃の議論があったはずである。場合によっては株主総会で「あんなモンやめてまえ!」と指摘があったかも知れない。

 それでも、いまだに必要性が感じられないちり紙自販機が生き残っている事実からは、便所のネズミもゲロを吐くほどのドス黒い利権と癒着の臭いがするのである。

 こんな今時まったく必要性のないものを存続させるためには、かなりのことをしないといけないように感じる。新しいトイレを設計する際にちり紙自販機を設置するように何らかの圧力なり贈賄などが行われているのではないだろうか、というのはゲスの勘ぐりだろうか。そうとは軽々に断じられないように思う。

 トイレ改修にあたって真面目な担当者が「ちり紙自販機廃止」を決意し、ちり紙業者にその旨伝える。するとちり紙業者が「そんなことをされては困ります。我が社の社員は皆路頭に迷ってしまいます。」とか何とかいいやがるので担当者は「そうはいっても今時、必要性の認められないものを設置しておく理屈がありません。」と突っぱねるが、業者は「とにかくこの件はあなたが思っているほど簡単に廃止とかできることじゃないんです。あなたの今後の社内での立場にも関わりますよ」とか脅してくるので、担当者は怒りを覚えて議論を打ち切り、「ちり紙自販機廃止」の方針で社内決済をとろうとする。
 すると、かなりエラい上役のところで、待ったがかかる。
 「キミキミ、この「ちり紙自販機廃止」というのは困るよ、あそこの会社の娘さんは、大株主のところに嫁いでいて、こんなことしたら株主総会大荒れだよ、この件はアンタッチャブルなんだ、従来通りにしておいてくれたまえ。」
 とかなんとか言われて、担当者は世の中の汚さというやつを身にしみて実感するのであった。

 ぐらいの社会の闇的な背景が無いと、駅前でティッシュ配ってるのに旧態依然としてちり紙自販機が存続している説明がつかないと推理しているのだが、事実はどうなんだろうか?
 そんなことどうでも良いっちゃいいんだが、私気になります。

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