2021年5月29日土曜日

夢にまで見るふるさとは

  NHKオンデマンドを契約したときに、ざっとどんな番組が観られるのかなと眺めて、お気に入りに登録して、それでもなかなか視聴できないでいたNHKスペシャル「被曝の森」シリーズを、「被曝の森2021」が来てたので、精神的に傷を負いかねないような重い内容だろうことを覚悟して「被曝の森(2016版)」「被曝の森2018」とあわせて視聴した。

 チェルノブイリ原発事故の跡地でも、野生動物が元は街だったところにまで進出してきていて、放射性物質の悪影響よりも人間活動が無くなったということの利点の方が野生動物達には大きいという事実に驚かされた記憶があるのだが、福島の帰宅困難地域等でも、人間が居なくなった集落には、イノシシがニホンザルがアライグマがネズミが事故後ほんの5年で我が物顔で棲息するようになっていた。元の住民達は一時帰宅の許可を得るたびに荒らされていく我が家に危機感を覚え、除染が進んでも野生動物をどうにかしないと生活していけないと不安を抱えているという。

 そういう状況の中、ある科学者が「こう言い方をするとわるいけれども、(”フクシマ”は)放射能汚染の壮大な実験ほ場なっている」とあえて不謹慎ともとれる発言をしているけど、放射性物資の挙動や被曝の動植物への影響を科学者達はあきらかにしようとしている。そこから見えてくる事実をNHKも長期にわたって追いかけている。

 科学的にあきらかにされた事実として、多くの生物が放射性物質で汚染されていて、放射線の影響を受けて松が上に伸びずに根元近くから枝分かれしてたり、禿げちょろけのウグイスが多く見つかったり(因果関係は継続調査中)、アライグマで染色体にも被曝の影響の可能性が高い異常が増えたりというのが見つかってて不気味なんだけど、それ以上に驚かされる事実が生き物たちの生命力の強さで、最も放射性物質が溜まりやすい地表の土に生活の場を置くアカネズミが染色体とかには異常は多くなく割と平気なようにみえたり、被曝したニホンザルで骨髄の造血組織がスカスカになってるにもかかわらず、血液自体の異常はみとめられないというなんでやねん?と首をかしげざるを得ない事例が出てきたりして、まあ野生生物の場合は沢山産まれてくるなかで、たとえば放射線によって致命的な染色体的異常を抱えて産まれてきたヤツは淘汰されて死んでしまうので科学者の目にも触れないってこともあるんだろうし、まだ長期的な影響は出るかどうかも含めて分かってないって話もあるんだろうけど、それが10年経って、世代交代の早いアカネズミには精原細胞を増やして精子の受精能力を補って保つようになっているように見える事例が出てきたり、ニホンザルでは染色体の異常が蓄積するのではなく回復する傾向がみられる場合があるとか、放射性物質による汚染、放射線被曝にさえ適応してきているように見える生き物の”強さ”に驚愕する。

 そういう強い野生生物をどうにかしないと、除染が進んで帰宅がゆるされても帰れない。猟友会が定期的に”駆除”してもとうて追いつかないようで、住居などをビリビリッとくる電気柵で囲って、人が檻の中で暮らすような状況に陥っていると除染が進んだ地域で帰宅の準備をする住人はため息をつく。10年経ってもともと居なかったツキノワグマさえ姿を現しているとのこと。

 故郷離れて5年の猟師のジ様が柿干しながら「夢で見るよなふるさとは、夢に見るよりまだ遠い」と哀切のこもった良い声で歌うのを聞いたときには、視界が涙でにじんじまった。


 明らかになった事実の一つとして、水源の川は汚染されていないというのも意外だった。森の土が放射性物質のダムとなって貯め込んでいるってのもあるとのことで、水が汚染されていないこと自体は喜ばしいことだろう。ただし、半減期が30年と長い放射性セシウム137などに汚染された土が残り続けることで、別の場面では悲劇的な状況を生んでいるようだ。

 セシウムは植物に重要な栄養であるカリウムと性質が似ていて、植物がそれを取り込むことにより、植物が放射性物質に汚染され続けているらしい。そして、植物を餌としてあるいは巣として利用したりして動物も汚染されつづけ内部被曝に晒されつづけている。生態系の中で”被曝の循環”が起こっているとのことである。植物は特に動物達の餌になるような花や実に濃くセシウムを取り込んでいくらしい。

 林業家が科学者からその報告を聞いて、”間伐”で線量をさげようとしても土壌のセシウム汚染がある限り難しいと知り、諦めたような力の抜けた声で「オレらの(林業の)時代は過ぎちゃったな」と呟いていて、その悔しさ無念、いかほどのものであったか、それでもオレらの時代は無理でも次の世代には何とかしたいという気持ちも見えて、涙なしには観ていられなかった。田畑なら別の土地から土を持ってくる”客土”もあり得るかもしれない、でも山林規模ではそれは無理というものだろう。無理を承知で東電が政府がやってあげろよと、責任取れよと思ってしまう。でも現実には線量の多い山林は除染の対象である復興拠点からも外されてしまっている。どっかの”賢い人”の”効率的な判断”なんだろうけど、ひたすらひでぇ話である。さらに完全に被曝の森の中だけで放射性物質が循環しているとは限らないようで、夏に大気中のセシウム濃度が高まるようで、原因としてはキノコの胞子が疑われるというのも不気味である。

 ただ植物が放射性物質を汚染された土から取り込むということについても、10年経って「被曝の森2021」では新しく芽生えた木が意外に放射性物質を取り込まないということが明らかになってきたと報告されていて、林業者はいつか豊かな森に再生することを願って、植林地の手入れを再開していた。次の世代に引き継ぐために。


 ふるさとに帰ることができる日を、願いながらもなかなか思うようにいかない福島の避難区域の人々。避難指示が解除されればすぐ元の生活に戻れるってわけでもなく時間がかかる、野生動物や除染、汚染土の処理の問題にどう対応していくのか、時に避難している住民達は”妥協し”お国の方針に翻弄され、諦めたり、それでも諦めきれなかったり。避難解除になって前向きに復興に向けて動き始められた人はまだ救いがある。でもまだ避難解除にならない地域もあり、人はいつまでも待つことはできないし老いるし病にも倒れることもある。そんな中で病気などを苦にして一時帰宅したふるさとの我が家で自殺した人がいたとのことで、哀しいことだなぁと感じたけど、その自殺方法を聞いて心に強く衝撃を受けた。”割腹自殺”だったそうである。彼が何を思って腹かっさばいたのか、分かった気になるのも失礼だけど、それでもある程度は誰にでも分かるコトだと思いたいけど、分かってしかるべき、今回の事故において責任を取らねばならぬはずの人々、世が世ならテメエらが責任とって腹切る話だろ!って思う、東京電力の当時の偉いさん、原子力政策進めてきた政府の官僚や政治家達には”分からない”んじゃないだろうか?って不安でならないので、あえて不粋にも彼の心情を推し量ってみるなら、当時のワシも含んだ都会の人間とかがジャブジャブ電気使って便利に暮らすためや、自分たちが直接働いてるわけじゃない企業が工場動かしたりするために、電力会社が国や自治体と一緒になって安全神話を信仰のよりどころのようにして、時に地域に補助だの地域経済の発展だのなんだの甘い餌をちらつかせて騙くらかして原発おっ立てて、地震の巣の上に住んでるような日本で”想定外”とかクソ間抜けな言い訳しか出てこない悲惨な人災が起きて、その結果、父祖より引き継いだ田畑山林が場所によっては100年からを越えて使えないほど汚染され、健康被害は”直ちにはない”と言われてもそれって長期的には分かってないってことだよねって不安でならないだろうし、地域の社会は避難でちりぢりになり分断され、自分は避難先の慣れない生活で心労も重ね、病に苦しんでいる。誰が責任を取ってくれるんだ、誰がこの責任を取れるというのか、取れるはずもないけど取ろうともしていないようにしかみえない。裁判所(東京地裁)さえ、旧東電幹部の責任を全面的には認めず無罪判決をだす始末。福島第一原子力発電所の事故で踏みにじられた人間の”やってられるかよ”というような強い憤り怨嗟、抗議、怒り、悲しみ、喪失感、無力感、後悔、絶望、あれやこれやが、割腹自殺と聞いていやがおうにも”そりゃあったんだろうな”と心に突きつけられた気がした。それらについて、電気ジャブジャブ使って便利に暮らしている自分たち含め、今一度思い、考え、理解しようと努力して、何を自分たちが求めるべきなのか心に問うべきだと強く思わされた。今の時代に”割腹自殺”ってよっぽどのことだと、それ程の思いを原発のせいで酷い目にあわされた人が胸にしているというのは思い至っておらず、自分の浅はかな無関心さや電気ジャブジャブ使ってきた罪を深く反省させられた。心から申し訳なく思い、ご冥福をお祈りするしだいである。


 何度も書くけどワシャ”原発反対”である、何度も書くけど、電車の発着時間が世界最高程度に正確だってくらいに細かい性格の我れらが日本人が管理してさえ、我が国で過去に2回も臨界事故を起こしている。チョロっと”お漏らし”程度の人的ミスは数え上げるとキリがないだろう。人間は失敗するウッカリする上手にやり損なう。上手に管理するので大丈夫です、っていうならなんで2回も事故ってるんだって話で、核分裂自体が管理がそもそも難しい現象で、原発っていうのは発電方法として管理がしきれないものだ、というのが分からんのだろうか?爺さんボケ始めて交通事故2回起こしたら、だれでも免許返納するべきって思うだろってのと一緒っちゃうの?どう考えてもあぶねぇって分からんのかね?

 じゃあどうするのか、一つには日本も世界の工場の座は中国始め新興工業国に取って代わられてしまって、もう電力需要自体が景気よくモノ作ってた時代ほど大きくないから化石燃料使う火力発電でも二酸化炭素排出量自体はある程度削減できちゃうんじゃないかという気はする、その上で、今はあんまり上手くいってない持続利用可能エネルギーを使った発電方法に切り替えていくっていうのだろうって思う。現実的には風力発電は鳥の衝突やら振動による周辺生物への影響とかの問題を抱えていて、太陽光発電は二酸化炭素排出削減しましょうって趣旨で推進してるはずなのに山の木を切って”メガソーラー”とか本末転倒な事例がでてきて自治体も対策で条件つける条令作り始めたりと黎明期の混乱的な状況にあるけど、技術的、制度的に改良しながらそういった発電方法を推進していくってのが取り得る手段だとやっぱり思う。”フクシマ”で米作るのを諦めた田んぼでメガソーラーっていうのは事ここにいたってはそれはそれでありかもなと、ちょっと感心した。田んぼの持ち主からしたらずっと稲育ててたかったんだろうけどね。メガソーラーのパネルから妖怪”泥田坊”が「田~をかえせ~」って湧いて出てきそうではあるけど次善の策ではあるのかなって思う。

 NHKはよく”偏向報道”とか言って叩かれてるけど、報道番組はみてないのでそっちはよく知らんけど、ドキュメンタリーでこういう現行政権が推し進める政策に真っ向から疑義を呈するような番組の視点って、報道機関として当然あるべきものでそれが務めだろって思う。完全な中立なんてあり得ないわけで、観る人の立ち位置によっては左に寄ってたり右に傾いてたりするんだろうけど、報道機関が政権与党の大本営に沿ったような報道し始めたら世も末である。第二次世界大戦中の日本やらSF小説「1984年」の世界である。ワシャ左利きの右翼を自称する人間だけど、NHKの硬派なドキュメンタリー番組には金払ってオンデマンド視聴しているパトロンの一人として満足している。報道する側の言いたいことってあるんだろう、それを読み取った上でどう判断するのかは、視聴者の責任だと思う。アホみたいに垂れ流された情報を鵜呑みにすることを前提にした批判はアホのすることだと正直思っている。情報の取捨選択や裏付けの確認とかは、この情報化社会を生きる人間の必須技術だろうと思っている。完全に正しい情報なんてのは視点が違えば解釈も違うので有り得なくて、そんなものの入手はまず無理にしても、「NHKは現政権には批判的だな~」ぐらいの予備知識を持って、それ差し引いて物事を考えるなんてのは、よっぽどの馬鹿以外は普通にやってるでしょ?ッテ話。

 NHKには引き続き、”フクシマ”の事実(とNHKが考えるもので良いンです)を追いかけて報告してもらいたいと期待している。ワシもせめてそれを観てこの悲劇について考え続けていきたい。

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